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抑うつ神経症と気分変調症

雑誌「こころの科学」や「イマーゴ」、「現代思想」などにちょっと噛み砕いた感じの文章が載ることがあって、時々参考にする。書き手も、業績にはならないけれど、厳しいことも言われないので、書きやすいらしい。

昔は「抑うつ神経症」とか「神経症性うつ」などという呼び方で、特有の一群を指し示していたものだ。多分、10年位前まで。

そのあと、DSMと一緒に、大うつ病、気分変調症などという名前が押し寄せた。新しい名前の概念内容はあまりにレベルの低い議論だったので、日本の精神病理学者はため息をついていた。当時のうつ病関係の診断学はDSMよりももっと緻密だった。

しかしその一方で、完成されていたうつ病診断学の体系から漏れる症例が目立ち始め、社会の変質や個人の変質が論じられ、完成されていたうつ病診断学の部分的改造が試みられてもいた。

それは外部から見ると、ドイツ・日本の「古い診断学」とアメリカDSM流の「新しい診断学」の折衷問題と映ったかも知れない。しかし、当時の精神病理学者たちは、DSMを併記してもよいが、目の粗いざるであり、役に立たないと断じていたのである。

一方、新型薬物の登場にともない、その薬は何に効くのかというとき、やはり当然のようにDSMの言葉で語られるのだった。DSMで診断して、EBMにしたがって薬剤を投与すれば、それで一応、形は整うのである。それは、「診断基準」に従う、「科学的な」精神医学といった体裁を整えて、現在、流通している。
結果として、うつ病診断学の最上の成果は、秘められたものになりつつある。

平易に語れば、緻密ではない、たとえ話のようなものになり、
正確に語れば、細部は果てしなくわけありで、一生の仕事になってしまうのだった。

先学のそばに座り、じっとすべてを学び取るもので、天才を除き、独学はおそらく難しい。秀才にして一生かかり、凡百の我々は途中で思考制止となり、そのまま停滞するのだった。

ただわずかに、笠原、広瀬、神田橋、その他の俊英が、後世の努力を惜しまない者に道を示してくれている。だから、やはり少しずつ、改めて学んで行こうと思う。

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以下の論文は、心理学科の、学部学生程度。引用しつつ、自由なコメントをつけてみる。
全体として、とてもよい文章だと思いますが、どうですか?

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こころの科学N0.116/ 7-2004
特別企画・向精神薬療法の限界

抑うつ神経症と気分変調症

小田英男神経研究所・晴和病院

広瀬徹也神経研究所・晴和病院

はじめに

近年の軽症うつ病の増加は、以前なら重症であったものが軽症化したというより、新たに軽症うつ病が増加したものであるという。典型的な内因性うつ病の軽症例として従来の標準的治療を適用するだけではうまくいかない例も増えてきた。特に病院で対応に困るのは、うつ状態ということで受診するが、主要な障害はむしろ背景のパーソナリティ(メランコリー親和型性格、ではない)の問題に起因するようなケースである。たとえば、クリニックを転々とするうちに過量の抗不安薬・睡眠薬や精神刺激剤の使用が当たり前になっていたり、入院した場合には早晩トラブルメーカーになる、などである。

 ここでいう「軽症うつ病」は笠原が提唱したもので、新型うつ病のひとつ。
「入院した場合には」という記述のとおり、みんな困った。医者も、看護も、対応が遅れた。昔ながらのうつのつもりだった。

そうした例のうつ状態の多くは、非内因性のうつ病、従来の抑うつ神経症の範囲のものと診断しうるか、それにも確信を持てないことが多い。病気の部分を見極めて治療の対象とし、人格面については可能ならば主として精神療法的対応を考えるのが原則であるが、実際には病気と人格とが明快に分離できるものではない。人格障害として治療者が防衛的になりすぎると病気の治療にはつながらず、逆にすべて病気として扱うと人格障害を見逃してしまって、かえって医原性に状況の悪化を招くことになる。

 まことにそのとおりであって、このように簡潔に正確に表現できるのだ。やはり、表現の工夫が必要なのだと思う。治療者は治療できればいいのであって、表現することはまた別の営みであるが、このようなよい文章を読むと、やはり工夫が必要なのだと思う。

病気の部分を見極めて治療の対象とし、人格面については可能ならば主として精神療法的対応を考えるのが原則であるが、実際には病気と人格とが明快に分離できるものではない。人格障害として治療者が防衛的になりすぎると病気の治療にはつながらず、逆にすべて病気として扱うと人格障害を見逃してしまって、かえって医原性に状況の悪化を招くことになる。
一九七〇年代の北米でも、うつ病の増加に伴い抑うつ神経症と診断されるケースについての混乱があったことが、アキスカルの著述からも窺える。次のような皮肉な言及がある。 「金持ちの患者は寝椅子で精神分析された。抗うつ薬の対照試験の結果を台無しにされるのを恐れて一般に彼らを無視する薬物療法家とも精神分析家以上にうまくいきはしなかった。認知行動療法的研究者も同じ理由でそうした患者を一般に避けた。そのため最近までは、慢性の性格因性のうつ病に関心を持ち続けていたのは、精神力動的な志向を持つ臨床家、(少なくとも短期的な)結果に関心のない臨床家のグループだけであった」

翻訳の文章が一部不安定であるが、意味は分かる。

一般的には、抑うつ神経症、現在の用語では気分変調症(dysthymia)、の多くは、さまざまな訴えで治療を求めてくる外来ケースであるらしい。しかしそのうちの大部分は精神科ではなく内科にかかっていたり、医療にはつながっていないという報告がある。定義上は気分変調症には人格の問題は(合併することはあるが)含まれておらず、むしろ人格の問題とみえたものが実はわがままと誤解されがちな病気の現れであるようなケースを、治療の対象として拾い上げようとするものである。

なるほど、そのように理解する方法もある。最近は医療にかなりつながってきているが、治療がうまく行っているとは言いがたい。

気分変調症の用語はまだ定着しているとは言いがたく、操作的な診断基準はあるものの、イメージが漠然としており、論者によって対象がかなり異なるようである。抑うつ神経症(神経症性うつ病)とほぼ同じ疾患群を指すということになっているが、必ずしも重ならない。指し示す対象が同じでも、気分変調症は原因を問わない症状や経過の記述だけによる定義であり、抑うつ神経症のほうは心理的原因や葛藤を想定しているので意味はずいぶん異なる。神経症とうつ病との境界状態という意味では、かつての「境界例」(神経症と統合失調症との境界状態)の概念の変遷と同じような経過をたどっているのかもしれない。

 「必ずしも重ならない」ではなく、「ずいぶん異なる」と思う。「さいころ」と「立方体」の違いのようなものだ。表面に出ている不安抑うつの背景に、神経症性の成分が見えているということが、抑うつ神経症だと思うのだが。

気分障害(躁うつ病)の捉え方

躁状態、うつ状態を定義しようとすると案外に難しい。健康な状態でも喜怒哀楽のような感情の動きと共に躁的、うつ的な気分変動はあり、それがどのようになれば病気であるのかは明確でない。通常の悲哀ではなくて、むしろ悲哀不能状態がうつ病の核心であるという定義さえある。DSM‐Ⅳの診断項目に挙げられている症状は、躁病は、気分の高揚、誇大性、睡眠欲求の減少、多弁、観念奔逸などであり、うつ病は、抑うつ気分、興味や喜びの喪失、食欲の変化、睡眠障害、精神運動性の焦燥、制止、易疲労性、意欲低下、無価値感または罪責感、思考力や集中力の減退、決断困難、自殺念慮などであり、健康な状態との違いは症状の強さや持続の程度の問題であるかのようにみえる。

 この点は重大な指摘である。日本の精神病理学者に、うつ病と健康状態の違いは、「症状の強さや持続の程度の問題」かといえば、否定される。これはSchneiderのVitale概念以来、確固としたものである。しかしそのことを、たとえば、コンピュータのチェックリストを埋めて行って、診断が完了するような診断基準にできていない。それができないと言うことは、「怪しい」のではないかとの批判はあるだろう。

しかし一方で、20年間精神病院に勤務して、典型的なうつ病者と長い付き合いのある医者にとってみれば、それは、明瞭に、Vitaleとしか言いようのないものである。
自転車の乗り方のようなもので、言葉で説明できなくても、自転車には乗れるのだ。
だからまず、明白に、うつ病のうつと健康人の落ち込みは、質的に明白に違うのだと言っていいと思う。

たとえ話で言えば、台風と、晴天と、明白に違う。しかし連続はしている。どこかで決定的な質的違いがあるかといえば、そんなことはない。現在では、中心部の気圧で定義しているのだと思うが、それは、気象庁が便宜的に決めただけのものだ。あくまでも連続している。台風の風と晴天の風は「強さと持続の程度の違いに過ぎない」のである。

そのことを踏まえたうえで、台風の風と晴天時の風はやはり「質的に違う」と思う。このようなことは結局、「違う」という概念の違いということになってしまう。

簡単に言えば、事象を観察している倍率の違いと言ってもいいだろう。精密に顕微鏡で観察すれば、すべては連続しているのだ。しかし、肉眼で観察する限りは、それは、不連続と言っていいものだ。そのような事情が、うつ病と健常の落ち込みの場合にもある。

躁症状とうつ症状との関係も、躁状態は明るく楽しく多弁で活動的、うつ状態は暗く悲しく寡言で不活発、というようにすべて陽性あるいはすべて陰性の性質が揃うとは限らず、種々の混合状態(mixed state)がある。たとえば激越(agitation)は混合状態で最も典型的に認められる症状である。自責的なうつ状態での責任意識の強力さや要求水準の高さには誇大性を感じることがある。心気症者の身体不調への敏感さやとらわれは、うつ病というよりむしろ躁病の精力的な要素が感じられる場合もある。

躁とうつは反対で、患者さんの状態は、縦軸の数直線状のどこかの地点で表現できると思うのは間違いである。
躁とうつは混合する。だから、横軸を時間にして、二種類の、関係はするが独立した曲線を描くことができる。
これがどのような関係にあるのか、それが探求の内容である。 
自責的なうつ状態の中に、躁的な誇大性を感じ、うつ病の典型である心気症者の中に、躁病の精力性を観察する。このあたりに深みがある。
精力性は強力性ともいい、sthenic 、反対は弱力性で asthenic である。ふつう、asthenic をうつ病に関係する指標として抽出するのだが、そうでばかりもないところに、議論の展開基点がある。うつの内部で、強力性と弱力性がどのように関係しているのか、その構造の様態が、問題となる。

うつ症状と心因性あるいは神経症性の症状との関係も明快でなく、いろいろな議論がある。病前性格論や状況論(昇進・引越し・荷降ろしなどを契機とするうつ病)で従来から言われていたように、うつ病は純粋に心因性ではないが心因的出来事が大いに影響するという認識が一般的である。神経症症状による防衛が抑うつの深化を防ぎ、うつが軽症化、長期化するという考えがある。実際軽症うつ病の多くにいわゆる神経症症状を伴うことが多い。うつ病が遷延する要因の一つとして「神経症化」が挙げられている。一方、内因性うつ病で病相期に語られた神経症的葛藤が病相軽快後に消失してしまう例があるが、精神療法の適応として深追いすると、かえって遷延させる場合があるので注意を要する。

 「神経症症状による防衛が抑うつの深化を防ぎ、うつが軽症化、長期化するという考えがある。」ここを正確に診察していくのが、20年前の診断学だった。「内因性うつ病で病相期に語られた神経症的葛藤が病相軽快後に消失してしまう例があるが、精神療法の適応として深追いすると、かえって遷延させる場合がある」このような知恵がないと、実際、治療にならない。

双極性と単極性の区別に大きな影響を与えたレオナードの内因性精神病の分類体系では、気分障害に相当する病相性精神病の項は、思考・感情・意欲がすべて障害されている純粋メランコリーと純粋躁病、思考と意欲はそのままで感情面だけが病的に変化している純粋うつ病と純粋多幸症、メランコリーと躁病の症状を混在させながら両極に振れる躁うつ病、に分類される。純粋うつ病と純粋多幸症は、障害されている感情面の特定の層によって病像が異なるとされ、さらにこまかく分類される。純粋うつ病の中には焦燥性うつ病、心気性うつ病、自責性うつ病、猜疑性うつ病、不関性うつ病という亜型が挙げられているが、表面に現れた神経症的症状による分類ともみられ興味深い。また軽症慢性例や、心理的要素が一見原因のようにみえるが実際は病的感情が内容を求めているだけである場合や、焦燥性うつ病の回復期に病気に由来する不安が見過ごされ、わがままや悪意と受け取られる傾向についての記述がある。

 思考・感情・意欲を抽出したとなると、すぐに、ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンに還元したがる傾向は困ったものだ。
「心理的要素が一見原因のようにみえるが実際は病的感情が内容を求めているだけである場合」というような解釈センスが昔は共有されていた。
「焦燥性うつ病の回復期に病気に由来する不安が見過ごされ、わがままや悪意と受け取られる傾向」というように観察してもらえる患者さんは幸いではないか。「わがままや悪意と受け取られる」のでは救われない。

うつ病の笠原-木村分類(一九七五年)では、I.メランコリー性格型うつ病、Ⅱ.循環型うつ病、Ⅲ.葛藤反応型うつ病、Ⅳ.偽循環病型分裂病、Ⅴ.悲哀反応、Ⅵ.その他(器質因性など)、に分けられる。第Ⅲ型-葛藤反応型が気分変調症と重なりが大きいが、持続的な内的葛藤などに由来する神経症性の範囲のうつ状態であり、薬物への反応は不良という。広瀬はその分類に当てはまらない一類型として「逃避型うつ病」を提唱したが、職場など場面限局的な抑制主体の典型的内因性うつ病像と復職を前にしての不安恐怖症状との対照が目立ち、典型的うつ病の部分は、最初は治療反応性が良いものの次第に遷延化の様相を呈するという。

 逃避型うつ病で言われる、不安恐怖の観察は、今日に引き継がれている。
社会の変化、個人の変化もあるが、制度の変化も大きいだろうと思う。保健室があるから、保健室登校が増えたのか、保健室がなかったら、もっと大変なことになっていたのか、そんな話。

気分変調症の成り立ち

抑うつ神経症と気分変調症の疾病学的理解のためには、DSMの亜型分類の変遷を理解しておく必要がある。DSM‐Ⅱまでは、抑うつ神経症の本質は神経症であるとして神経症のカテゴリーに入れられていた。典型的な内因性うつ病(メランコリー)ではないうつ状態として、軽症、慢性、心因反応性、性格因性、神経症症状を伴う、などの要素を持つ多種多様なうつ状態がすべて抑うつ神経症に含まれ、混乱がみられた。そのような従来と様相の異なるうつ病の増加に対して、抑うつ神経症として捉えて精神分析的接近をすることではうまくいかず、新たな捉え方による分類が必要となった。

 昔、DSMの準備委員会のようなものに出掛けたことがある。主な話題は、地域的に特色のある病態をどうするかといったことだったと思う。中国によく見られる何とかとか、そんなものをどう分類していくか。民俗学的な領域としていいのか、精神障害の領域としていいのか、「原住民」の意見を聞きたいということのようだった。まあ、英語も満足に話せないような人間は、原住民と思われたに違いない。

気分変調症の概念の成立に貢献したアキスカルの一九七八年の有名な論文によれば、初診時診断で神経症性うつ病(neurotic depression)とされた二〇〇例の三~ 四年間の追跡調査で、原発性気分障害となったものが四〇例、そのうち双極I型が四例、双極Ⅱ型が二四例、単相あるいは反復性の単極うつ病一八例、慢性うつ病四例であり、続発性気分障害となったもののうちでは不安神経症八例、ブリケ病(心身症的なヒステリー)八例、アルコール症七例、身体疾患による二次性一〇例などであり、最初の診断は維持されないものか多かった。診断名とは別に「性格的」要因が認められるものが全体の二四%あり、予後不良を予測させた。この論文の影響や、病因論を廃するというDSM-Ⅲ(一九八〇年) の基本方針によって、抑うつ神経症の用語は使われなくなり、気分障害のカテゴリーに入れられる気分変調症の用語が通用することになった。同時に導入された多軸診断の方法によって性格的な要素は第二軸で表された。

 ということです。

DSM‐Ⅳ の操作的診断基準では、気分変調症は大うつ病より少ない数(抑うつ気分に加えて六項目中二個以上)のうつ症状が二年以上の長期に続くというだけになってしまい明確でなく、今のところ異種性をはらみながら軽症慢性例を気分変調症として一括している。二年以上の持続という条件で、経過とともに他の診断になる例は、ある程度除外される。軽症なら医療の必要性は小さいようにも思われるが、症状が長期間持続することによる社会的機能の損失の程度は大うつ病を超えるとさえいわれる。また、九割以上が経過の中で大うつ病を発病する、すなわち重複うつ病(double depression)の形をとるため、大うつ病で受診に至る時には、すでに長期間未治療のままの慢性状態で経過していることが少なくない。同じ分類体系の中でも軽症の大うつ病、非定型うつ病、大うつ病の残遺状態などとの本質的な違いは、なおあいまいなままである。若年発症の一群については、AD/HDや統合失調症初期との関連も議論の余地がある。

 一種のくずかご。くずかごがないと分類はうまく行かない。でも、くずかごが一人歩きして、気分障害の一種となってしまっている。「議論の余地がある」というのは控えめな表現で、その心は、「きちんと診断しなさい」ということだと思う。統合失調症を見逃すのはよくない。

アキスカル(一九八三年)は慢性うつ病を、①晩発性の慢性原発性うつ病、②慢性続発性うつ病、③早発性の性格因性うつ病、に三分し、さらに抗うつ薬などへの反応性から③を二つに分け、薬物が有効でないものを性格スペクトラム障害、有効なものを準感情病性気分変調症としている(図1)。準感情病性気分変調症が中核群で、薬への反応性以外にも、REM潜時(入眠からREM睡眠までの時間)が七〇分以内、気分障害の家族歴、などが原発性気分障害と共通するという。さらに準感情病性気分変調症の中には、薬の影響や断眠あるいは自然経過で軽躁病相となるような、気分循環性障害や双極Ⅱ型と近縁のものがあるとされる。

 こうなると話はますますややこしい。

DSMⅣより明確なアキスカル(一九九一年)の気分変調症の定義は、以下のようである-----大うつ病の残遺状態ではない二年以上続く軽症の慢性うつ病。パニックや恐怖症を前駆として持たない二四歳以下の緩徐な発症。持続的ないし間歇性の経過。以下の特徴の外来治療で済むもの:典型的には午前中に悪い陰うつないし不快な気分、低い自己評価・罪責念慮・悲観的表情と自殺念慮、不眠・過眠あるいは過食、疲労感と社会的引きこもりへの傾向。

 なるほどな。これも一理あるのだ。

このように、気分変調症の考えにおいては、従来の抑うつ神経症の考えと異なり、治療方針も含めてあくまでも気分障害のヴァリエーションとして捉えようとする姿勢が貫かれている。

 それでいいわけはないよねと言っているようだ。

気分変調症の薬物療法

以上のような診断の背景にある多くの要因が、薬物療法にも影響を与える。抑うつ神経症として捉えられていた時代には精神療法の補助として抗不安薬や睡眠薬が中心の処方であったが、イミプラミンやクロミプラミン等の三環系抗うつ薬が不安や強迫などの神経症症状にも有効なことが知られるとともに、気分変調症へと名称や捉え方が変更され、抗うつ薬の使用が第一選択の地位を与えられた。アキスカルは薬物療法の重要性を強調し、「性格」障害を生物学的枠組みで捉えなおすことで、「困難」例への新たな薬物療法に道を拓くばかりでなく、逆転移の減少によってもより効果的な治療が可能になるという。

 『「性格」障害を生物学的枠組みで捉えなおすことで、「困難」例への新たな薬物療法に道を拓くばかりでなく、逆転移の減少によってもより効果的な治療が可能になる』これは患者さんにとって大きな朗報ではないか。

薬物療法上は、何らかの阻害要因のため病相が長引いている遷延性うつ病との共通面が大きいと考えられる。服薬期間は、単相の大うつ病では軽快して数力月後に漸減中止するのに対して、気分変調症では軽快した場合にも再発予防、あるいは良い状態の維持のため服薬は長期間続けるのが普通である。重複うつ病の場合、急性期の治療は同じでも大うつ病から回復した時点で気分変調症はまだ残る場合が多く、やはり長期戦が必要となる。長期の服用に堪えるように副作用や依存性への配慮がよりいっそう必要になる。

 そうは言っても、簡単ではない。

(1)抗うつ薬

軽症であるからと言って少量で漫然と続けるのではなく有効でなければ増やして充分量を使うべきであるという意見が多い。効果の判定に最低でも三ヵ月続ける必要があるという。有効性については、「(フルオキセチン有効例の)多くが生まれて初めて生きる喜びを経験したと述べた」という報告もあるが、大うつ病と大差ないという意見や、ほとんど無効という意見まであって、一定していない。有効という判断の基準の違いや、気分変調症や抑うつ神経症という診断が使われていても対象が違うことが要因と思われる。大うつ病の場合よりは劣るが、無効でもないというくらいのところであろうか。

 「有効という判断の基準の違いや、気分変調症や抑うつ神経症という診断が使われていても対象が違うことが要因と思われる。」こんなことを平気で書いているが、つまり、DSMはうまく機能していないと指摘しているのだ。DSMは対象を同じに限定して、有効性の判定を正確にするためのものなのだから、それができていないということは、もうひとがんばりというところだ。単純に、ざるの網目を細かくするだけで、ずいぶん違うと思うけれど、そうもいかないのだろう。

抗うつ薬の種類はどれが良いということはなく、合う薬は個人差が非常に大きい印象がある。従来の三環系、四環系よりSSRIやSNRIを推奨する意見もあるが、うつに対する効果が優れているというより有害作用が少ないからという理由のようである。

 ニュートラルな意見。製薬会社お抱えの教授が多い中で、公平な意見。

有効例がある反面、躁転や、「神経症」的な症状の増悪や、身体的副作用に過度に敏感な例も多い。抗うつ薬がかえって焦燥感をあおって危険な状態になる場合があることは以前から言われているが、このような例には改めて注意か必要である。さらにラピッドサイクラー化や遷延化につながることもあるという。SSRIの離脱症候群が最近注目されたが、SSRIは気分変調症に多用されており、切り替えの際には原疾患の症状とあわせて配慮を要する。即効性を期待してアモキサピン、消化器症状などの心身症状がある例にスルピリドを処方することがあるが、アモキサピンの代謝産物(抗精神病薬と類似)やスルピリドによる副作用としてパーキンソニズムやアカシジアが出現し、副作用止めとして抗コリン薬か必要になることもまれではない。

 そのように言われています。アモキサピンについては、最近は、SDAに似たプロフィールと考えてよいのではないかとの見解があり、これはむしろ、肯定的に評価されている。
スルピリドについては、ないかの先生が気軽に使うようで、副作用を考えると信じられない。生理を止めて、乳汁を出したいのが望みなら、使えばいいけれど。

(2)抗不安薬(ベンソジアゼピン)

不安緊張などの神経症症状や心身症状が強いとき、抑うつ「神経症」の名の通り、抗うつ薬を使わなくてもアルプラソラムなどの抗うつ作用で充分な例もある。しかし効果が次第に落ちてきて、決められた用量を超えて依存症になることが起こりがちである。特に短時間作用型でなりやすいため、長時間作用型のロフラゼプ酸エチルや、最初から抗うつ薬のほうか良いという意見もある。脱抑制・攻撃的などの奇異反応と言われる状態を惹起することもある。うつ病の慢性化を引き起こしやすいので短期の使用にとどめるべきであるという意見がある。睡眠薬は、短時間作用型は依存性や離脱症状、長時間作用型は翌日への持ち越し作用が長期連用に伴って特に問題になる。

 Star*Dでアルプラゾラムは別格の扱いをされていて、やはり別格なのかと思った次第。
依存症については、米国の政治的問題なのか、日本の鈍感さの問題なのか、両方なのか。しかし少なくとも、何十年も使い続けて、QOLを改善できている人も現実にいて、あの日野原先生も、ベンザリンが安全でいい薬だといって、継続投薬しているのだ。
最初から抗うつ薬がいいという話は、米国で、何でもかんでもSSRIの流れだろう。デパスみたいにパキシルを使っている。でもそうなると、パキシルのセロトニン仮説が怪しくなると私は思う。

(3)気分安定薬(mood stabilizer)

準感情病性気分変調症を中心に、抗うつ薬で興奮状態が起こる例などで、双極性障害に準じたリチウム、バルプロ酸、カルバマゼピン、クロナゼパムなどの気分安定薬が奏功する場合がある。抗うつ薬に付加して強化療法として使うことも一定の効果が期待される。

 リチウム、バルプロ酸、加えて、ジプレキサ、セロクエルなどは、選択肢として、頭におきたいものだ。

(4)モノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)

内因性うつ病と反対の夕方悪くなる気分の日内変動や過眠・過食、不安恐怖症状、対人関係での拒絶に対する過敏さなどを特徴とし、MAOIの効果がその他の抗うつ薬以上に大きいとされる「非定型うつ病」の概念があるが、DSM‐Ⅳの分類体系では気分変調症の中にも「非定型の特徴をもつもの」として特定されて一部が含まれる。服用中はチラミンを含むチーズ、ソーセージ、ワイン、等の食物の制限を要する。フェネルジンや可逆性モノアミン酸化酵素A阻害剤であるモクロペミドがあるが、日本ではまだ認可されていない。

 認可してもいいと思うが、どうだろう。

(5)その他

リタンセリン(5-HT2拮抗剤)、アミスルプリド、トリフルオペラジン、などが有効な例があることも報告されている。これらは抗精神病薬ということになり、非定型精神病や統合失調症の初期と薬物療法の面で似てくることになる。しかし抗精神病薬は慢性化の原因となるので、短期間の使用とすべきという意見もある。甲状腺剤が強化療法として用いられることもある。

 漢方薬の可能性も研究したい。

薬物療法以外

軽症であるほど患者の個性的な特徴が病像に及ぼす影響が強いのに対し、重症になると疾患の特徴が強くなって患者の個性的な特徴が出にくい、すなわち軽症ほど病像は均一でなく修飾因子が増えるとのラングの指摘がある。その意味では大うつ病に比べてよりいっそうさまざまな個別的側面に配慮しながら治療計画を立てる必要があり、一般論には馴染まない特徴と言える。

 トルストイみたいだ。

中心となる薬物療法を補完する精神療法的配慮としては支持的・実際的な心理教育、環境調整、対人関係療法、認知療法、家族療法、SST、森田療法などの方法が試みられている。症状の軽減、再発予防、社会適応の改善が目標とされる。易怒的、衝動的、不機嫌な患者には治療のはじめから明確な限界を設定する必要がある。精神分析的治療は効果が証明されていないが、若年のアイデンティティの確立に障害のある例には、力動的精神療法は行ってみる価値がある。

 要するになんでも。

気分変調症では従来の内因性うつ病の標準的な対応法と違ってくるところも多々ある。たとえば、うつ病はいねば心理的疲労による脳の心身症であり休養が必要であると告げ、休養や興味の持てる気分転換活動をこころがけてもらうことが第一であるが、慢性の軽症うつ状態ではむしろある程度の仕事が治療効果にもつながるようであり、休ませることは生き甲斐を奪いかねず、また目途のつかない長期休暇も現実的でない。活動は優先順位をつけ、休めるときには徹底的に効率よく休み、適度なバランスを保つようにする。

 気分変調症と言っても、なかみはいろいろなものを含んでいるのだと言ってきたのだから、このような括り方はどうなのだろう。単に紙数が足りなくなったのだろう。

うつ病の予後の見通しは三~六ヵ月程度で必ず治ると最初に保証するのが重要であるが、気分変調症ではそうはいかない。個人差か大きく、試行錯誤的にはなるが、より良い方向を目指して希望をもって行きましょう、というように説明することになる。うつ病では重大な決定は病気が治るまで先延ばしにすることが原則であるが、気分変調症では、どの程度に回復したら治ったとするか判断が難しく、期限のある事柄の場合など、その時点での必要性などによって決めたほうが良いこともある。うつ病の人に励ましは有害であるとされるが、不活動とうつ気分との間で悪循環になっている時には、行動に向け少々プッシュすることが役立つ場合が多い。

 「場合が多い」というが、それはどんな場合なのか、知りたいし、ということは、そのために、細分化が必要なのだという結論になる。

おわりに

気分障害の一類型としての気分変調症の治療は、かつての「抑うつ神経症」と捉えられて精神療法が中心であった時代と比べて、薬物療法が主体となってきている。しかし現状では概念がなお不明確で薬物療法の標準は確立しておらず、薬物療法が主体である割には不充分・不適切になりがちである。

 そうですね。

一方、薬物療法以外では、葛藤を過大評価して無益に精神療法を適用することがなくなった反面、大うつ病よりも多彩な個別の心理社会的要因に対する配慮は、むしろ軽視されがちである。長期的・包括的な視野に立った対応が望まれる。

 はい。でも、一体どうすればいいのだろう。

〔参考文献〕

Akiskal,H.S.& Cassano,G.B.(eds.) Dysthymia and the Spectrum of Chronic Depressions,The Guillford Press,1977.

『臨床精神医学(特集・気分変調症の臨床)』二七巻六号、一九九八年

『臨床精神医学(特集:軽症うつ病の臨床)』二二巻三号、一九九三年

神庭重信、坂元薫、樋口輝彦『気分障害の臨床-エピデンスと経験』星和書店、一九九九年

笠原嘉『軽症うつ病― 「ゆううつ」の精神病理』講談社現代新書、一九九六年

広瀬徹也『抑うつ症候群』金剛出版、一九八六年



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