軽症うつ病 2002年の回顧
月刊 精神科治療学
【バックナンバー目次】第17巻8号 2002年8月
■特集 「うつ」は変わったか―評価と分類― (I)
●うつ病の概念を考える:笠原-木村分類(1975)と今日のうつ病臨床
笠原 嘉
1960年代から70年代にかけて増加し始めた精神科外来患者のなかにうつ状態,なかでも軽症のそれが相当数を占めるようになった。それには医師が第一世代の抗うつ薬をようやく自家薬籠中にしたことも一役買ったであろう。この傾向は2000年現在も続いている。
軽症うつ状態の出現はこれまでの診断学の通念を揺さぶった。例えば内因性VS心因性の二分論は重症者に対するときほどの力をもたず,神経症性うつ病という診断名は一層多義的になり使用に耐えなくなった。この現実を踏まえて試みたのがこの分類である。
新機軸として,当時わが国で盛んだった病前性格論を取り入れた多軸診断を試みたり,フランスのNeo-Jacksonismを借用して一層の亜型作成を試みたりした。
五年後に発表されたDSM-(III)がグローバルに「誰でもどこでも」を目指したのと対称的で,経験のある医師による使用を念頭に置いた。また基準項目のいくつを満たすかを数えるそれでなく「理想型」を中心にする古風な診断学であった。筆者は,世界に通じる診断を目指してDSMやICDを多用する今日の風潮を進歩として喜ぶものだが,同時に,将来,文脈を異にする「もう一つの」診断学が併用される可能性にも期待している。
Key words: mild severity of depressive disorders, multiaxial diagnostic classification, premorbid personality, premorbid social function, age at onset
●うつ病の概念を考える:「神経症性うつ病」という概念の行方
松浪 克文
臨床現場ではまず非内因性うつ病が否定されてから「神経症性うつ病」の診断が検討される。このことから,「内因性うつ病」の概念が「神経症性うつ病」概念に論理的に先行していることがわかる。症状,発症形式における「了解性」「反応性」があり,同様の反応が生活史上に多く見られるときに神経症の診断が可能となるが,その場合には外的葛藤よりも内的葛藤に重きがおかれ,人格の病理として理解される。人格としてのうつ病は現代の精神医学で優勢なDSM診断分類ではappenndix Bに採り上げられている抑うつパーソナリティ障害に相当する。DSM体系内では,メランコリー病像を伴わない大うつ病,気分変調症の一部に「神経症性うつ病」に相当すると思われる病態が潜んでいる。前者の場合には,不安性障害の諸病型やパーソナリティ傾向~障害とのcomorbidityの病像に相当するが,躁性の成分の混入も考えられる。後者の場合には慢性軽症のうつ病を二分したAkiskalの提唱するcharacter-spectrum disorderという概念に臨床像が近い。「神経症性うつ病」概念は,集積された精神現象についての事実を帰納的に純化しようとするDSM的思考法とともに,仮説概念によって個々の精神現象の性質を演繹的に特定するという,今日排除されつつある思考法を保持するためのモデルを提供していると思われる。
Key words: neurotic depression, dysthymic disorder, double depression, endogenous depression, character-spectrum disorder
●うつ病の概念を考える:大うつ病の概念
木村 真人 葉田 道雄 森 隆夫 遠藤 俊吉
大うつ病の概念は,Kraepelin以降のうつ病概念の変遷における病因論的枠組みの議論とその限界を背景にして誕生した。多種多様なうつ病の類型化と診断が提案されるなかで,統一した診断基準が求められ,脱理論的アプローチを用いたDSM-(III)診断の成立は歴史の必然と考えられる。数多くの未解決な問題は残されているが,今後の実証的あるいは経験的研究の積み重ねにより,うつ病概念の新たな理論的枠組みが再生されることを期待したい。
Key words: DSM-(III), DSM-(IV), mood disorder, major depression, untheoretical
●うつ病の概念を考える:大うつ病(DSM-(IV))概念の「功」
佐野 信也 野村総一郎
DSM-(IV)による大うつ病概念は,うつ病診断学の歴史的知見を十分吸収した妥当なものであり,DSM-(III)からDSM-(IV)に至るまでに大きな修正を要さなかったことから,完成度が高いと考えられるという私見を述べた。操作的基準による大うつ病カテゴリーの明確化は,誤診(過剰/過少診断)を減らすことによって治療的恩恵を広く行き渡らせ,他の病態との関連性を探求する契機を提供し,人類に共通の生物学的本態への接近の道具となっているだけでなく,教育場面での情報伝達においても有力な海図を提供している。しかし臨床使用にあたっては,この海図はいわば大縮尺の世界地図のようなものであって,特定の狭い海域の入り組んだ湾内の変化に通暁している地元の水先案内人のような完全性を備えているわけではないことに留意する必要がある。
Key words: major depression, psychiatric diagnosis, DSM-(IV)
●うつ病の概念を考える:大うつ病(DSM-(IV))概念の「罪」
中安 信夫
「うつ」は内因,心因,外因とさまざまな成因によって生じ,それに従って病像と経過も多様な疾患群である。旧来の「うつ」診療はこれら成因による状態像の差異を分別して疾患診断に到達し,それによって個々に応じた肌理細やかな治療を展開してきたが,成因を棚上げし,結果的に成因的には特定度の低い,いわば‘ごった煮’の「状態像」とでも称すべき大うつ病エピソードの特定を旨とするDSMの気分障害の分類以降,「うつ」の診断ならびに治療には誤った単純化・平板化が生じ,破壊されたものとなった。この点を,(1)成因への考慮なき治療がありうるのか?,(2)抑うつ反応はどこへ行ったのか?,(3)身体疾患(脳器質性,症状性,薬剤性)に基づく抑うつ状態が見逃されないか?という3つの疑問形の形で問い,それらを大うつ病概念の「罪」と断じた。
Key words: major depressive episode, major depressive disorder, DSM, endogenous depression, depressive reaction
●うつ病の概念を考える:うつ病理解にいま精神分析が貢献できること
藤山 直樹
うつ病が脳の機能異常であることが知られ,その臨床が操作的診断基準と薬物療法のアルゴリズムを中心に語られる現在,精神分析がうつ病理解と臨床的介入に貢献できるのはどのような点であるかを論じた。Freudの喪の仕事という概念が,抑うつ的心性を心的成長の重要な側面であるととらえていたこと,対象関係論が抑うつポジションという概念によって人間的なこころの本質的要素として抑うつ的心性を考えていたこと,うつ病は真の抑うつ心性に入らないための停滞の局面であり,「躁的防衛」や「病理的組織化」といった概念がそうした病的な喪の仕事の基礎を説明することを記述した。このような人間的仕事としての喪の仕事の不全という見方でうつ病をみることが,とくに難治の人格障害的ニュアンスをもつうつ病の臨床に有益であることを示唆した。
Key words: depression, depressive position, mourning work, psychoanalysis
●臨床実践の視点から:薬の選択と初期評価
田中 克俊 上島 国利
うつ病治療における薬剤の選択と評価は,有効性と安全性の両面から総合的に判断されなければならない。副作用プロフィールや種々の相互作用など薬剤の安全性や忍容性については比較的十分なエビデンスやコンセンサスが得られているものの,薬剤による有効性の違いについては,これまで海外を中心に行われてきた多くの無作為割り付け比較試験(RCT)やメタアナリシスでも未だ断定的な結論には至っておらず,今後本邦においても優れたRCTの集積が待たれるところである。治療計画の再アセスメントを行うための初期評価の際にも,治療の有効性と安全性について幅広く情報を収集しバランス良く判断を行う必要がある。これらの判断の重要な参考資料として,今後EBMに基づくより優れた治療アルゴリズムの作成が期待されているが,目の前の患者については,多くのメタアナリシスよりもその患者に関する1事例研究がもっとも優れたエビデンスである点はこれまでと変わるものではなく,臨床実践においてもこの視点の重要性に変わりはない。
Key words: depression, antidepressant, algorithm, evidence-based medicine (EBM), evaluation