うつ病の今日的病型と病態解明の意義 松浪先生
うつ病の今日的病型と病態解明の意義
松浪克文先生 虎の門病院精神科
Bulletin of Depression and Anxiety Disorders Volume 5, Number 1, 2007
新型うつ病のいくつかについて、松浪先生が紹介していますので、お勉強。
逃避型抑うつ: 20 歳代後半から40 歳代の,いわゆるエリートサラリーマンが,多くは職 場の配置転換などの発病状況の下に,制止症状主体の抑うつ状態を呈するもの。自責的では なく,責任を他へ転嫁し,希死念慮の訴えはない。入院すると制止症状が比較的短期間に軽 減し,他患との交流も円滑かつ活発となる。しかし復職が問題になると出社恐怖の状態が出 現する。広瀬は,この抑制主体の病像を「―冬眠というよりも―驚愕反応としての擬死反射 に通ずる要素が強い」,すなわち「ヒステリー性要素の混入がある」と論じている。
未熟型うつ病:保護的にかわいがられて育った末子が,基本的には協調性を保つ循環気質者 として育ちながらも,依存的,わがまま,自己中心的,顕示的な性質を加え,自分の望みが かなわない状況下で不満とともに不適応を繰り返し,内因性のうつ病の病像で発症する。病 相を反復すると,不安・焦燥,パニック発作,身体的愁訴が病像に加わり,強い自殺衝動が 出現することがある。他責的で,自己愛的傾向が認められる。病前性格にマニー型ほどの精 力性はないが,いわゆる双極スペクトラムに属する。
阿部隆明のいう未熟型うつ病についてですね。
職場結合性うつ病:加藤は,仕事量が増大しスピードを要求される現代において職業的負荷 と密接な関連をもって発症するうつ病の型に注目した。不眠・心身疲労,頭痛・肩こりなど の身体不調,いらいら,不安・焦燥などの症状で発症する。患者は仕事をこなそうとする姿 勢,こなさなければならない状況のなかで呻吟し,突然の自殺企図,パニック様発作,過換 気発作のために救急外来を経由して精神科を受診する。加藤は,「能力の限界を感じる」と いう言葉は「決定的な無能力の確信」にあたり,この型のうつ状態も実際は「内因性うつ病 」であるとしている。
身体で悩むのか、精神で悩むのか、違いがあります。
双極スペクトラム論:内海は,双極II 型障害を,双極I 型障害とも境界型PD とも異なる様 態として捉える視点を提出している。内海は昨今のこの概念の提唱者Akiskal とも論を異に し,双極II 型障害に代表される双極スペクトラムを,あらゆる意味で境界を越えていくエ ネルギーをもったものとして捉えているようである。疾患と性格,病理性と創造性,近縁病 態との境界を越境していく可能性をもつ,ある種の新たな人間様態の視点を開こうとしてい るようにみえる。
双極スペクトラム論は新しい展開を見せています。薬の使い方も、変えていこうと、アメリカでは提案されています。
現代型うつ病とは,表1に示すような特徴をもつ病型のことである。35 歳以下の比較的若 年のサラリーマンに多い制止主体の内因性うつ病である。組織への一体化を拒否し,固有の 領域を侵されることに忌避感をもって育ち,会社企業や組織の一員としてのアイデンティテ ィの形成に必要な律儀さや几帳面さを発揮しない姿勢で社会に参入する。したがって,会社 での公的生活よりも私的領域の趣味活動が生活の重要なペースメーカーになっている。多く はRemanenz 状況(能力に比して負荷が過大となるだけでなく,仕事をこなせば新たに負荷 を作り出してしまって負債が増大する状況)に突入するところで,比較的早期に受診する。 したがって,症状は不全型で,うつ病症状が十分に形成されていない,あるいは出そろって いない。軽症のうつ病であるが,心因性の発症ではなく,些細なミスや失敗が続くことに当 惑し,その不可解さ,違和感を抱いて「出社できない」「能率が低下しているんじゃないか と思う」と制止症状を述べる。
表1 現代型うつ病の特徴
① 比較的若年者
② 組織への一体化を拒絶しているために,罪責感の表明が少ない。むしろ当惑ないし困惑
③ 早期に受診 → 不全型発病
④ 症状が出そろわない:身体症状と制止が主景
cf) 選択的制止(広瀬),SSD(SSD:subsyndromal symptomatic depression Judd ら)
⑤ 自己中心的(にみえる):対他配慮性が少ない
⑥ 趣味をもつ:cf) 逃避型(広瀬)
⑦ 職場恐怖症的心理 + 当惑感
⑧ Inkludenz を回避:几帳面,律儀ではない =Remanenz 恐怖:締め切りに弱い
Remanenzというのは、下に出てくる、Inkludenzとともに、ドイツの偉い先生の使っている言葉です。「負目性(Remanenz)」「封入性(Inkludenz)」などと翻訳、Tellenbach先生の原著を木村敏先生が翻訳しました。Remanenzは 精神医学以外の分野では残留という訳語が多いようです。
筆者が「従来型うつ病」と呼んだ旧来のうつ病と,この現代型うつ病との相違は,発症の仕 方において顕著である(表2)。従来型I 型うつ病は,わが国の経済が発展する時代の病型 で,几帳面で堅実に働くことがまさに適応的であった職場環境において,適応過剰を通して 発病する。患者は自分の几帳面さが発症の要因であったことを洞察できないことが多い。従 来型II 型うつ病は,安定成長時代に入って,成果主義やオフィスのOA 化などの状況の変化 が生じ,几帳面さが適応力を失って適応障害に陥り発症する。患者は発症を通じて,自分の 几帳面さが職能のなかに生かされなかった,むしろ適していなかったということを実感して いる。現代型うつ病は,几帳面さの不適応性,あるいは短期の適応の後に破綻する運命を見 据えて,職場状況の変化についていけないほどの職場論理との密着を避けようとしている。 つまり,Inkludenz を回避しようという態勢にある。しかし,職能と負荷の関係は,原理的に臨界点に達することが避けられないので,Remanenz 状況が到来するのは時間の問題で あることを知っており,密かに恐れているのである。現代型うつ病と従来型うつ病の比較を 表3 に示す。このような病態の差異を通じて筆者が導き出したのは反復性という強迫の時間 的局面の病理である。
図1はうつ病の診断の範囲が広がり、灰色部分のところを、いろいろな言い方でいろいろな人が描写しているという図です。
新型であるといいつつも、どれもやはり「うつ病」であるというのですから、
ずっと変わらずにあるうつ病の根本があるはずだと論じています。
Tellenbach 型うつ病からBeard 型うつ病へ
もう一つ、「職場結合性うつ病」について。こちらは加藤先生の論文です。
「Tellenbach 型うつ病からBeard 型うつ病へ」Bulletin of Depression and Anxiety Disorders Volume 5, Number 1, 2007
労災の適用となるような職場の仕事の負荷によって生じる職場結合性うつ病は,IT 革命によって進行する高度資本主義を背景に大量出現をみている
残業限度について、80時間とか100時間とかいわれていますが、そういわれると今度は、残業をつけないようになるとのことでした。多い人では瞬間最大で200時間との話もあり、強制的ストップをお願いしています。
職場結合性うつ病では,病像として不安・焦燥感が前景にでるものが多いため,うつ病の診断がつきにくく,過換気発作を含むパニック(様)発作を起こして,総合病院を受診することがしばしばである。
そうですね、でも、治療は、SSRIで、うつ病にもパニック障害にも効くわけですから、便利です。
時には,不安・焦燥の頂点で自殺企図がなされてしまう。
はい、そうですね。
従来,成人のうつ病というと,制止(優位)型うつ病がモデルとされ,自殺(企図)の好発期として,うつ病の病態の極期に入る前の時期と回復期があげられていたわけだが,最近の勤労者の不安・焦燥(優位)型うつ病にあっては自殺の好発期は病態の極期にこそあるとみるべきである。
これが新型うつ病ですね。
この種のうつ病は,とりわけ初診時など,DSM によって操作診断をすると大うつ病性障害の基準を満たさないと判断され,不安障害,ないしパニック障害と診断されることが少なくない。 DSM では不安症状を呈する病態は不安性障害へ,そして制止関連症状を呈するものはうつ病性障害へ分類するという具合に,表出症状による単純な区分けがなされており,そのためDSMのうつ病と不安障害のカテゴリーは実際の臨床の現実にはそぐわない部分がある。
はい、そう思います。
プライマリーケアの現場では,不安症状とうつ病性症状をともに併せもつ事例が多いことを強調し,ICD では診断カテゴリーにあげられている混合性不安抑うつ障害(mixed anxiety depressive disorder)をDSMでも正式採用する必要性が述べられている。今日改めて,(少なくとも理念的には)抑うつ神経症,ないし不安神経症と内因性うつ病の区別は有用であると考える筆者としては,混合性不安抑うつ障害というとき,これら二つの病態レベルについて,つまり神経症と内因性うつ病のそれぞれについて混合性不安抑うつ障害が問題にされる必要があると考える。
フムフム。
うつ病と不安障害の歩み寄りは,不安障害とうつ病の病態が重なり,場合により移行するうつ病-不安(パニック)障害中間(移行)領域を想定するよう促す。筆者としては,混合性不安抑うつ障害のカテゴリーはこの中間領域を指し示したカテゴリーであるとポジティブに評価したい。抑うつ神経症が内因性病像を帯びて,こちらが優勢になり内因性うつ病に一時的に移行するなどといった現象も,うつ病-不安(パニック障害)障害中間(移行)領域を舞台にして生じていると理解できるだろう。
図
内因性うつ病を制止優位と不安・焦燥優位に分類するのは、伝統的です。
不安神経症、抑うつ神経症については、もう少し議論が必要かもしれません。
職場結合性うつ病に陥る人の人格特性について述べると,確かに一部にはきわめて几帳面,完全主義で,強い他者配慮性が際立つ,かつてドイツの精神病理学者Tellenbach が提唱したメランコリー親和型の典型例が認められることもあるが,多くはむしろ社会人としてのまっとうな勤勉さと社交性を備えた平均的な人格の持ち主である。なお,病相時の面接での患者の言葉からメランコリー親和型と判断される際,前うつ病状態が始まり,二次的に強迫性が前面に出てきて偽性のメランコリー親和型の振る舞いをする事例があることにも注意しなければならない。
「前うつ病状態が始まり,二次的に強迫性が前面に出てきて」という観察に私は賛成します。これを「偽性のメランコリー親和型」と呼ぶことには疑問があります。
「社会人としてのまっとうな勤勉さと社交性を備えた平均的な人格の持ち主」の場合、「二次的に強迫性が前面に出てきて」、メランコリー親和型の振る舞いをしたら、潜在的にメランコリー親和型だったのだと思うのですが。それ以外の何でしょうか?
発病の主たる要因は,会社,職場自体の「メランコリ-親和型化」であるというのが筆者の最近の論点である。つまり,今日,職場は勤労者に対し間違いを許さない厳密性と完全主義を徹底し,消費者,あるいは利用者(お客さん,患者さん)などに対し不都合やミスがないよう細やかな配慮を行き届かせる他者配慮性を前面にうち出す。そのため,勤労者は仕事課題において高い水準を要求される。それはある意味で職場の「過剰な正常規範」であり,医療に端的に示されるように,確かにそれ自体はたいへん正しく,善い行為規範を示し,正面から異を唱えることはなかなか難しいものの,普通の人が従うには心身の限界を超える危険を内蔵する。いうまでもなく,職場の「メランコリー親和型化」の背景には,生産性と(国際)競争力をできる限り上げようという企業の論理,および職場のミスや虚偽があれば最終的には訴訟にでも訴える構えをみせる消費者,ひいてはマスコミから注がれる厳しい視線の増加が控えている。
厳しいわけです。
1970 年代は,Tellenbach の発病状況論が盛んに導入され,この図式にぴったり合致するうつ病の事例が確かに多かった。ちょうど日本の会社が,家族的なまとまりをもちながら高度成長を続けている時代にあたる。そこでは,うつ病のなによりの病因は,患者の側のメランコリー親和型性格であり,彼らは際立った几帳面さ,完全主義,他者配慮により,自分に課された仕事を自分の強い信念に裏打ちされて,けっして手抜きをすることなく,全力を尽くしてやり遂げることを目指した。
つまり,前うつ病者は毎日の生活をうつ病が発生するのを促す方向で状況構成(situieren)する。それゆえ,うつ病の病因には,患者自身が自分で招いてしまって,出口のない袋小路に入りこむという自家撞着の側面が強い。そのため,この種のうつ病の患者に対して,「ほどほどにする」「いい加減がいい」などといった言葉の処方箋が適応となったのであった。ところが,現代の職場結合性うつ病患者に対しては,この種の言葉は見当はずれであることが多い。
グローバリゼーションの時代に入り,会社,職場が勤労者に先んじてメランコリー親和型規範を採用・徹底させているからであり,彼(彼女)らが「ほどほど」「いい加減」に仕事をするものなら直ちに解雇や降格という厳しい現実に直面しかねない。職場結合性うつ病の場合,発病過程の端緒において職場の側の「メランコリー親和型化規範」が大きな要因を果たすのであり,そのその意味で,この種のうつ病は,19 世紀中葉,イギリスに引き続くアメリカの産業革命下で出現した新種の病態としてBeard によって記述された神経衰弱(神経疲弊)の延長線上にあるとみることができる。
Beard のいう神経衰弱は,今日ならICD でいう,先に指摘した混合性不安抑うつ障害と診断される病態におおよそ対応するように思われる。それゆえ,社会要因,症状などの面からして,現代の職場結合性うつ病は第二の神経衰弱(神経疲弊)と位置づけることが可能である10)。Tellenbach の発病状況論があてはまるうつ病を「Tellenbach 型うつ病」と呼ぶなら,職場結合性うつ病はさしずめ「Beard 型うつ病」と呼べるだろう。もちろん,この対比はあくまで理念型なものであるが,わが国の職場関連性うつ病は,一定の勤勉さと社交性を備えた堅固な人格の持ち主の勤労者におけるうつ病に限っても,ここ30 年余りの時代のあいだに,Tellenbach 型うつ病からBeard 型うつ病への重心移動をしているのではないだろうか。そして,Beard 型うつ病へのシフトにより,わが国のうつ病はアメリカ,イギリスにおける勤労者のうつ病に接近をみせた。
概して,グローバリゼーションの時代において,職場関連のうつ病はBeard 型うつ病に収斂する方向でグローバル化し,各国のあいだでの病態の違いが減少してきているように思われる。付け加えれば,Tellenbach 型うつ病では罪責,自責の主題がよく観察されたのだが,現代の職場におけるBeard 型うつ病ではこの種の症状は少なくなり,代わりに職場や上司に対する攻撃的感情,あるいは批判的態度,ひいては労災申請をするといった行動がみられているのである。
というわけだ。座布団3枚だ。勉強になりました。
加藤先生の文献
加藤 敏.現代日本における不安・焦燥型うつ病の増加.精神科2002; 1:
344-9.
加藤 敏.職場結合性うつ病の病態と治療.精神療法2006; 32: 284?92.
加藤 敏.現代日本におけるうつ病の自殺とその予防.精神神経学雑誌
2005; 107: 1069-77.
加藤 敏.現代の仕事,社会の問題はどのように精神障害に影響を与えてい
るか.精神科治療学2007; 22: 121?31.
加藤 敏.現代日本におけるパニック障害とうつ病―今日的な神経衰弱.精
神科治療学2004; 19: 955-61.
職場結合性うつ病 加藤敏インタビューから
インタビュー記事から抜粋して、読んでみましょう。
従来のうつ病とは病像を異にする、20、30代の若い世代を中心にみられるうつ病病を「職場結合性うつ病」と捉え、発病の主な要因を職場自体のメランコリー親和型化にあると指摘する。
「現代の仕事、社会の問題はどのように精神障害に影響を与えているか」(加藤敏.精神科治療学 2007; 22:121-31)
職場自体がメランコリー親和型になったという指摘なんです。効率のよい組織になったとは思いますが、メランコリー親和型になったと言えるのでしょうか?
「几帳面で義理堅い」従来型のうつ病から、「自己中心的でわがまま」な現代型うつ病へと、職場のメンタルヘルスの話題が移っている。
こうしたタイプのうつ病は、非定型うつ病、気まぐれうつ病、逃避型うつ病、未熟型うつ病、職場結合性うつ病、双極スペクトラム論などさまざまに論じられている。
ここから加藤先生の職場結合性うつ病の話。
仕事が過重となり心身の疲弊の末にうつ病を発症する。職場の仕事に結合したうつ病という意味で、「職場結合性うつ病」と名付けた。
1960年代の高度経済成長期にも日本人の働き方は大きく変わった。しかし、このときには会社は終身雇用制・年功序列の賃金体系をとり、職場は正規社員で構成され、会社が「家族」としての一体感・まとまりをもっていた。
ところが現在は、会社の家族的な共同体意識が希薄となり、職場での個々人の孤立感が増している。以前は社員旅行が定期的にあり、なにかあったら職場で「支えあう」という面があった。いまは業績主義が支配的で失敗をすれば蹴落とされる、給料が下がるというリスクを負う。
ドイツの精神病理学者Tellenbachは、うつ病に親和的な性格として几帳面で他者配慮的、良心的な性格をメランコリー親和型と名付けた。それは1961年のこと。もともとはうつ病の病前性格とされたメランコリー親和型の行動特性を、会社・職場がとりこみ、勤労者に対し、間違いを許さない厳密性と完全主義を徹底し、顧客に対する良心性と仕事課題に高いレベルを要求する。これが現在の職場である。
競争が激しくなり、過重・長時間労働が課せられ、緊張状態が続き、心身の疲弊が蓄積し、その頂点でうつ病が発症する。この点で、職場が「メランコリー親和型化」していることに、わたしは注目している。患者の病前性格についていえば、職場の「メランコリー親和型化」により、この性格類型が稀釈されるような形で明確にメランコリー親和型とはいえないケースが増えている。
ということは、メランコリー親和型の個人はむしろ適応的な性格になっていて、発症しないということなのだろうか。
いや、そうではない。心身の疲弊が蓄積して発病するというのだから、やはりメランコリー親和型の人が発病しやすいようだ。
メランコリー親和型でない人も、メランコリー親和型のように仕事をすることが求められ、その結果、メランコリー親和型の人と同じようにうつになると解釈すれば話は通る。
要するに、性格がどうであれ、疲れ果てるまで働いてしまう、または、働かされる、だからうつ病になる。
自分から働いてしまうのがメランコリー親和型で、働かされるのが、それ以外ということか。
だったら、職場や上司のせいにするだろう、当然。
産業革命下の米国で内科医Beardが提唱した神経衰弱(神経疲弊)の延長線上にある。職場結合性うつ病は、いわば「Beard型うつ病」である。1980年代以降、英米圏でも労働時間が長くなり、仕事の厳密性、迅速性が求められる中で、このBeard型うつ病が増えてきている。
Beard型うつ病は神経衰弱(神経疲弊)をいっているだけで、原因類型には言及していない。
疲れ果ててうつ病になるというのは、とくに新しい論説ではない。
グローバル化した企業競争の下で、日本と英米圏で似たようなうつ病像を呈しているのではないか。国を越えた先端的企業での職場結合性うつ病、あるいはBeard型うつ病の増加は、企業活動や競争のグローバル化とパラレルな現象ではないか。「精神障害は社会の病理の鏡」という見方があるが、Beard型うつ病は現代社会のグローバル化の下での競争原理優位な社会の歪みをあらわしているといえるかもしれない。
国を越えた先端的企業では、職場自体がメランコリー親和型なんでしょうか?
メランコリー親和型職場は、競争主義的でしょうか?
メランコリー親和型の人は、家庭人としても尊敬できるいい人のような気がします。
競争主義と家族主義はどう関係するのでしょうか。
競争主義というのは、会社内部でも競争して、会社同士でも競争する。
家族主義は、会社内では家族のように融和し、会社同士は競争する。
ということでしょうか。いや、そうでもないのだろう。そんなことが焦点ではない。
「家族的」といっても、とても競争的な家族もあるわけで、むしろ、「教育的」といったほうがいいような気がしますが。競争もあるし、教育的な厳しい場面もあるけれど、最終的には各成員の幸福に責任を持ってくれるような会社というイメージ。仕事以外の付き合いもあり、家族親戚みたいな付き合いをする集団。
競争主義というのは、会社の存在理由は、収入のためと割り切り、それ以外の関わりに関心を持たない主義。でも、毎日一緒に仕事をしていて、家族類似の感情が湧き起こらないというのも、あり得ない話ではないか。
同僚がライバルか仲間かといってもそんなに簡単な区別はできない。
以下、すこし方向が違うお話。
糖尿病、高血圧などの患者さんが治療経過中に、うつ状態を呈することが意外に多い。うつ病の患者さんが生活習慣病を合併する率が高い。生活習慣病という言葉から、個人の生活に原因があるという印象を受けるが、わたしは生活習慣病のおおもとは勤労者の仕事過重にあり、そのストレス反応のために血圧、血糖値が上がる、生活習慣病、あるいはまたうつ病を発症するのではないかと考える。生活習慣病は職場結合性うつ病と同じく、「現代社会結合症候群」とみたほうが適切だと思う。
特に仕事もしていない人にも、糖尿病、高血圧、痛風、肥満、高脂血症、多いですね。むしろ食べもののせいかと思っていました。ストレス要因が問題なのは当然で、ストレスの中心は当然仕事ですから、仕事過重が生活習慣病発症にかかわっているというのは、その通りでしょう。
教室の研究でうつ病の患者さん(入院例)の中に消化性胃潰瘍の既往症をもっているケースが約8%あることを報告している。こうした、いわゆるcommon diseaseとうつ病には、生物学的なレベルでの内的な関連もあるのではないか。
ここはもう少し解説してほしいところ。
DSM-IV以降、うつ病概念が広くなりすぎ、曖昧になっている。また、不安症状は不安性障害に、制止関連症状はうつ病性障害へと表出症状により単純に区分けされるので、不安・焦燥が前面にでる職場結合性うつ病が不安性障害と単純に診断されてしまうという危険がある。DSMのうつ病性障害の診断基準は不安・焦燥については不十分である。
そうですね。うつ病概念が広くなりすぎ、曖昧になっていると確かに思います。
うつ、不運、焦燥の関連性、独立性については、検討が必要です。
わたしはうつ病は、「仕事の領域」のうつ病と「愛の領域」のうつ病に大別するとわかりやすいと思うのですが、仕事の領域とともに、愛の領域でのうつ病も増えていることを指摘したいと思います。たとえば、親や愛する人が亡くなるときに生じる悲哀の感情が遷延してうつ病となるケースです。その際、身体の痛みを訴えるケースも多くみられます。心の「悼み」が文字どおり身体の「痛み」に転化したと考えさせられるケースによく出会います。かつては人が亡くなれば喪に服すという時間がありました。ところがいまは、喪に服す、人の死を思いやるといった時間が割愛され、「喪の仕事」が疎んじられているように思います。愛の領域のうつ病、あるいはまた、疼痛性障害の増加は、失感情症的(アレクシチミック)な布置を色濃くもつ現代社会に関連して生じているのではないかと、強く感じています。
まあ、人間の生活は、仕事とプライベートとが主な場所ですから、仕事の領域と愛の領域ということになるでしょうけれど。
愛する人が亡くなったときの、悲哀の感情を、悲哀として充分に悲しめない。悲哀は失感情症的に疼痛症状に転化して、遷延する。
でも、現代社会は、失感情症的な布置を色濃くもつのでしょうか?
むしろ、深い悲しみはあるけれど、テレビ画面のように、せわしなく転換し、にぎやかに無意味である、そんな印象。
職業とうつと自殺
こんなにも一致するものかと、
みんなが驚く。
目盛りに細工をすれば、
もっと重ねられる。
*****
職場でのストレスを検出する質問紙。
本当は、血液検査でストレス測定ができたり、
心電図や皮膚抵抗計のようなもので客観的に測定できるように
するのが目標ですが、当面はこんなものです。
答えは1~4まであります
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どんな仕組みで職場のメンタルケアを考えようかという、その仕組み。
医療としては、産業医科大学が研究施設としてあり、
各地の労災病院が地域の中核になります。
身体疾患とうつ病
身体疾患になったとき、
たとえ虫歯でも、うつ気分になりやすい。
ましてや、脳卒中など、命にかかわり、障害が残るような病気の場合には、うつ病になりやすい。
人生を深刻に振り返ったりするものだ。
一方、脳梗塞の場合には、脳の特定部分での梗塞が、うつ病の発症と関係があるのではないかと議論された時期がある。最近の動向については、よく分からない。
つまり、単に心理的な理由で落ち込んでいるのではなく、
脳の一部が障害された結果、「器質性のうつ病」になっているのではないかとの指摘である。
*****
心筋梗塞の後で、うつ病を併発すると、死亡率が高くなる。
これはひとつは、うつ病になって、生きる気力がなくなるということもあるが、
もうひとつには、セロトニンが怪しいといわれている。
血小板は血液の凝固に関係しているのだが、
セロトニンは血小板の中で大事な働きをしている。
そんなこともあって、心筋梗塞を起こした患者さんの場合でうつ病があったら、
ほかの抗うつ剤よりもSSRIがよいと言われる。
うつを治すと同時に、血小板のセロトニン系に効くらしい。
*****
この図にあるように、
うつ病で自律神経失調状態になるので、不整脈が起こりやすい、また、脱水が起こりやすいなどから、再度の梗塞が起こりやすくなる。
血小板機能の亢進にはセロトニンがからんでいるかどうか、よく分からない。
エニアグラム
私たちはあまり使いませんが、
エニアグラム無料診断というページがあります。
ふむふむ。
チェックボックスにチェックを入れてもらって、後で集計するのは、
<input type=checkbox value=1 name=ts8> というような書式のようで、
今度何か作ってみようと思う。
境界性人格障害の心理教育
原田 誠一先生(原田メンタルクリニック・東京認知行動療法研究所)の論文から。
境界性人格障害の心理教育
境界性人格障害(BPD)の心理教育。図「BPDの悪循環」を参照。
・中心となる基本テーマに、
① 自信がない
② 資質を生かせる活動の場が乏しい
③ 支えになる仲間が少ない
の三つがある。
・基本テーマから「落ち込み」「空しさ」などの感情が生まれ、対人関係の特徴(たとえば、傷つきやすさ)につながる。
・日常生活の「行き違い」などで「見捨てられた」などと極端に受け止めて、行動化を起こしてしまいがち。
・行動化が「周囲との軋轢」の増大、本人の「後悔」などをもたらし、不安・抑うつ症状や基本テーマが、いっそう悪化する。
・以上をふまえて「典型的なうつ病との違い」や「精神科での治療の内容や限界」を理解してもらう。
・本人の試行錯誤・自助努力で「行動化」を減らし、基本テーマを変えていくことが治療の本質であると伝える。
*****
中心葛藤課題といった感じの3つテーマを抽出、そこから症状を説明する。
必要なのは症状をかえることではなく、
「基本テーマを変えることだ」と目標設定する。
なるほど。
治療者も患者も多大のエネルギーを要する作業である。
*****
それにしても、
① 自信がない
② 資質を生かせる活動の場が乏しい
③ 支えになる仲間が少ない
こうして3つ並べてみると、程度の差はあっても、当てはまるという人も多いだろう。
悪循環にしても、程度の差はあっても、当てはまるなあと思う人も多いのではないか。
そういった意味では、病的というよりも、普遍的に存在している基本テーマであるし、普遍的に悪循環であるという気がする。
ただ、健康な人は、そのような心の側面を、場面に応じて、一時的に、軽度に、露出させる。病的な場合には、むしろ、そのような側面に、圧倒される。そのような違いがあるのだと思う。
「適度に、一時的に」、自信喪失し、傷つき、嘆き、行動化し、後悔もしようではないか。それが人生だ。
日本版社会恐怖尺度(SPS-J) 日本版社会的相互作用不安尺度(SIAS-J)
日本版社会恐怖尺度(SPS-J)
自分の性格や自分についての事実を全く表していない 0
自分の性格や自分についての事実をやや表している 1
自分の性格や自分についての事実をまあまあ表している 2
自分の性格や自分についての事実をよく表している 3
自分の性格や自分についての事実を大変よく表している 4
1.人前でものを書く時、不安になる。
2.公衆便所を使う時自分を意識してしまう。
3.自分の声や自分の言う事を聞いている相手の事が突然気になる事がある。
4.道を歩いている時、人が自分の事を見ているような気がして落ち着かなくなる。
5.他人と一緒にいる時,赤面するのが怖い。
6.他の人達がすでに席に着いている部屋に入らなければならないとしたら自分を意識するだろう。
7.他人に見られている時、自分が震えてしまうのではないかと心配だ。
8.バスや車で他人と向かい合わせに座らなければならないとしたら緊張するだろう。
9.自分が気を失うか、具合が悪くなるか、病気になるのを他人が見るかもしれないと思うと平静ではいられない。
10.人の集っているところで何かを飲むのは私にとって難しいだろう。
11.他人が自分の行動を変だと思うのではないかと心配だ。
12.レストランなど知らない人達に見られるところで食事をするとしたら自分を意識してしまうだろう。
13.もし混んでいる食堂でお盆を持って物を運ばなければならないとしたら緊張するだろう。
14.人前で自制心を失うのではないかと心配だ。
15.自分か他人の目を引くような事をするかもしれないのではないかと心配だ。
16.エレベーターの中で人が私を見たら緊張する。
17.列に並んでいると自分が目立っているような気がする事がある.
18.他人の前で話をすると緊張する事がある。
19.他人の前で自分の頭が震えたり,うなづくように縦に揺れるのではないかと心配だ。
20.人が自分を見ているとわかると気まずい気がして緊張する。
*****
日本版社会的相互作用不安尺度(SIAS-J)
自分の性格や自分についての事実を全く表していない 0
自分の性格や自分についての事実をやや表している 1
自分の性格や自分についての事実をまあまあ表している 2
自分の性格や自分についての事実をよく表している 3
自分の性格や自分についての事実を大変よく表している 4
1.もし権威ある人(先生、上司など)と話さなければならないとしたら、神経質になる。
2.話をする時、相手の目を見て話すのは難しい。
3.自分の事や自分の気持ちを話さなければならないとしたら緊張する。
4.職場の同僚となかなか気楽に付き合えない。
5.もし道で知り合いに会ったらとても緊張する。
6.人と付き合うのは苦痛だ。
7.誰かと二人っきりになると緊張する。
8.パーティーなどで人に会うのは平気だ。
9.他人と話すのは難しい。
10.話題を探すのは簡単だと思う。
11.自分を表現する時ぎこちなく見えるのではないかと心配だ。
12.相手の意見に異議を唱えるのは難しいと思う。
13.魅力的な異性に話しかけるのは難しい。
14.社交の場で自分かなんと言っていいか,わからなくなるかもしれないと心配する事がある。
15.あまりよく知らない人達と一緒にいると落ち着かない。
16.話をしていると何か恥ずかしい事を言ってしまいそうな気がする。
17.集団でいると、自分が無視されるのではないかと心配することかある。
18.集団でいると緊張する。
19.自分が少しだけしか知らないひとに挨拶すべきかどうかよくわからない。