SSブログ

精神病とは何か

朝青龍とかいろんな有名人の精神疾患らしいものについて、
いろいろといわれたりして、
一体精神病とは何なのかと思う人もいるだろう。

1.そもそも病気とは何か。
生体の機能が異常を呈したとき、その機能の異常を説明する構造の異常が発見される。そのとき、疾患として確定する。

そんなに簡単なのかと言われそうだが、これが本流の医学である。
生体の正常機能を研究するのが生理学。
正常機能の裏付けとなる構造を研究するのが解剖学。
生体の機能異常を研究するのが一般の臨床医学。
そうした機能異常の裏付けとなる構造異常を研究するのが病理学。

2.原因不明の病気がある。
機能異常として観察される症状や検査結果は確かにあるが、今のところ、それを裏付ける構造異常は解明されていない場合がある。これはいずれ科学が進歩すれば構造異常が解明されるだろうという見込みの上で、病気と呼んでいるだけである。たとえば、ベーチェット病。見込みの疾患単位。明確な構造異常が確定されない限り、本当の疾患単位とは呼べない。呼んでいるとしても、暫定的なものである。将来、解体されるかもしれない。

病気の原因として、伝統的に、先天性異常、感染症、外傷、感染症、腫瘍、炎症、などが分けられるが、現代では、もっと厳密に詳細に記述できるので、これらの用語・分類にこだわらない。DNAの異常なのか、たんぱく質の異常なのか、細胞表面のレセプターの異常なのか、外来物質によるものなのか、免疫システムの異常なのか、これらの中の二つあるいは三つの複合なのか、精密に記述したほうがよい。

3.構造異常にもレベルがある。
これはどのレベルで調べれば構造異常が分かるのか、違いがあるということだ。
骨折や虫歯なら、肉眼で分かる。
腎臓細胞異常や血管壁の粥状硬化や白血病は光学顕微鏡で分かる。
電子顕微鏡ではじめて診断確定する疾患もそのうちでてくるだろう。
さらに微細に、細胞の代謝異常の問題もあり、これは、いまだに構造を解明できていないが、模式図で、化学物質が分解されたり合成されたりしている様子が提示される。これは、状況証拠を積み重ねて、こうに違いないといっているわけだ。
もっと微細には、細胞内骨格の問題で、細胞内の物質運搬システムの異常が病気に関係していないかなどもある。これは神経細胞について研究されていて、アルツハイマーの場合にどうか、検討されていた。

従って、現在の構造研究手段で異常が見つからないからといって、異常がないとはいえない。
また、電気や磁気は、肉眼で見えない。可視化するには工夫が必要である。そのような、人間の五感では感覚しにくいタイプの構造異常があるのかも知れず、そのような可能性も含めると、ある状態を病気ではない、つまり構造異常がないと言い切るのも難しい。つねに留保がついてしまう。

構造異常というものも、実は決めがたいことがある。正常構造からの変異は常に多様に存在する。それがダーウィンの説であり、現実にそのとおりである。したがって、どこまでを正常とし、どこからを異常とするか、実は、恣意的である。

癌細胞と正常細胞の中間に無限の中間変異を観察することができる。しかし難しいことを言わなければ、青空は青いし、夕焼けは赤い。明白なことだ。

4.精神異常は存在するか
精神異常は存在するかといわれれば、確実に存在すると思う。昔、反精神医学という思想があり、鋭い指摘を含んだものであった。しかしながら、精神病院に二十年も勤めた医者の話を信用してもらいたい。精神の機能異常は確かに存在する。

5.どのような精神異常が存在するか
それはよく分かっていない。とりあえず、本人が苦しむか周囲が苦しむか、単純に言って、苦しい人がいるということだ。いろいろな分類があり、分類の歴史があり、分類の背景となった思想がある。どうすればいいのか、まだよく分かっていない。それは、上の論を援用すれば、構造異常の種類が分かっていないからだ。

6.構造異常はあるか
現在精神病といわれるものは、精神の機能の異常と考えられるが、大部分はその裏付けとなる構造の異常がわかっていない。
MRIで観察して、肉眼的に分かる程度の脳の異常を論じることもある。脳神経細胞の変性を観察して論じることができる。しかしそれでは構造異常を指摘できない病態のほうがずっと多い。
ということは、将来、疾患として認定されるかどうか、未定だということだ。

7.疾病単位が揺らぐ例
たとえば、同性愛。昔は病気といわれたものだが、現在は病気とは言われない。本当は、その裏付けてとして、構造異常があるかないかを論じるべきなのだが、そのような動きではなく、もっぱら政治的な動きで決定された。
たとえば、極端な例として、ある種の微分方程式を解けない人は、知能発達遅滞であるとか、100メートルを走って、12秒以上かかる人は、運動機能異常であるとか、「決める」ことだってできる。そんなことは、社会の側の多数決による決定であって、真実の機能異常というべきかどうか、疑わしい。ここで、疑わしいというのは、実は、微分方程式が解けないのは、ある種の構造異常があるからかもしれず、そのことを見込んで、人類の大部分を精神異常者と定義することも不可能ではない。まあ、誰も、そんなことはしない。
これは法律と似ていて、たとえば、姦通罪が時代により地域により、定義されるのと似ている。精神病の定義は、刑法の定義とは違い、構造異常を持つかどうかによるのだと、わたしは言いたい。
しかし、現状では、このくらい、不確定なものなのだ。

8.やはり、病気だというからには、構造異常の証拠を提出すべきだ。
したがって、わたしは、やはり、病気だというからには、構造異常の証拠を提出すべきだと思う。
それを前提として、暫定的に、長年の経験を生かして、ある種の状態を病気と認定しても、大きな間違いではないだろうと感じる。

9.ではうつ病とか気分変調症はどうか
それを言われると大変困る。
DSMという研究用の暫定診断基準や、ICDという保険統計用の暫定基準を、本物の診断基準と思っている人がいる。
そうではない。
現実に、ここまで、紹介してきたように、「うつ病」には、雑多な状態が混入している。うつ病と診断しても、治療は同じではない。
「気分変調症」には、双極性障害から、身体疾患によるもの、性格障害によるもの、反応性のものなど、いろいろと混入していると、Akiskal先生が言っているにもかかわらず、「神経症」を解体したい都合もあり、項目として立ててしまった。したがって、気分変調症と診断されても、治療は同じではない。
一方で、「PTSD」の扱いは特別である。これだけは原因を推定して、障害を診断している。
こうした現状はすべて、精神の機能異常の裏付けとなる構造異常が特定されて分類される日まで続くだろう。そして、その日は、遥かに遠い日だろう。

その遠い日、あなたは統合失調症ですという代わりに、××という指標が5.6ですというだろう。多分、単一ではないだろうが。血糖値がいくつ、血圧がいくつというように。高血圧という状態が先天的に孤立してあるのではなく、いろいろな血圧の状態がいろいろな事情で生じているに過ぎない。それを正確に記述すればいいだけなのである。どのような状態を高血圧と定義するかは、しばしば社会の要請による。

10.刑法とのかかわり
当然、ある。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。