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境界例と社会

性格障害を誘発し易い状況というものがある。

それは苦しすぎる状況ではない。
苦しすぎるとき、性格障害にはならない。
うつになるし神経症になる。

規律がはっきりしている時、
たとえば、軍隊、体育会は病理の拡大を
予防してくれるかもしれない。
ただし神経症は増える。

それは自由すぎる状況ともいえる。
「本来の自分」を発展させればいいだけだと
繰り返して言われる
そして本来の自分は気あまりにも平凡で
表現しようにも発展させようにも
どうしようもない
だから最近は「自分探し」にむやみに時間を費やす。

もっともっと自分になれば自分の本質が持って出てくると言われる
しかし言われるほどには何も出てこない
出てくるのはつまらない昔だけである。
カウンセラーは果てしなく過去を聞きだし、
それはたいてい誰とも同じであるが、
完全な父親母親もいないし、
完全な友達もいないし、完全な兄弟もいない、
時には作話が混じり、それを信じ込んでくれるいい人がカウンセラーである。

結局針少棒大にするしかない。
わたしには何もありませんでは、商売にもならないし、
商売にならないことのいいわけにもならない。

さて、境界性人格障害の場合には、
自由と創意工夫が保証されている世の中で、
自由という無限定な培地の中で花開く、
一種の「退行である」
それは創造性ではなく退行である。

現代芸術と称して、退行を展示しているものがあり、
それはそれで興味深い。

境界性人格障害が最終的に幸せになっていれば、文句はない。
そんな例もある。性格は環境との関係で、幸不幸が決まる。
そうなると最終的な安定に向けて、すべては途中経過の苦難である。
だとすれば、それでもいい。40歳くらいまでには落ち着く。
教育費と住宅ローンが人格を安定させる。

しかし逆に、境界性人格障害者が幸せになっていないとしたら、
途中の一段一段も苦難の階段で、しかも最終局面も、苦難なのであるから、
いいことはひとつもない。

*****
一般に、ロールシャッハ的無限定的構造は今日では、
神経症と精神病の中間的な性格病理を持つ人に対して、
精神病的な要素をより一層発現させるように作用している。

では逆に、軍隊のように規律の厳しい社会では、
境界例は少ないものだろうか。
逆に、戦争神経症や軍隊神経症が出るものだろう。

ロールシャッハで出易い病理が、固い質問用紙になれば、出にくくなる。
そのように社会の仕組みを固くして、
社会全体の「無定形」から出現してしまうロールシャッハ時なものを
少なくしていく方法は可能であると思う。

治療の際に治療構造がやかましく指導されるのはそのせいもある。
治療においては、治療構造だけが現実だからだ。

現在子供はどのように育てられているか。
これは容易に推測できる話で、
点数がいい、順位がいいというはっきりした目標ではなく、
自分らしさを生きなさいといわれた時に
「無定形な」現実は始まる。

実は人生は何でもありなので、
ずるずると無定形になってしまう。
そこでは人は容易に退行し、
古い防衛機制を繰り出し、
まったくもって非合理的な行動をしている。
それは赤ん坊の時に合理的な行動だったはずのものなのだ。

第一親が性格の病理を露出させてしまっている。
子供は困る。

会社もそうだ。
創意工夫を社員に求める。
来年度までの達成目標さえ、
個人に考えさせる。
リストラをすればいいと考えている上層部がいる限り、
その会社で「分別のある大人」「順番が待てる大人」を演じていても、
意味はない。

そんなことが「無定形」の素地になる。

上司がいうのだから逆らえない。
昔からこうして来たのだから、そうするしかない。
一生をこの会社で生きるのだ。
その方が、固い組織になる。

固い組織ではまたヒステリーや解離などが起き易い。
性格の病理と、どちらもどちらで、理想的な社会などはない。
ゆるい社会では性格の病理が起き易い。

とりあえずそんなことがよく言われ、書かれている。

ーーーーー
そのそもそのこの人たちの場合、口で何と言おうと、
長期的な利益と短期的な利益が相反した時、
短期的な利益を選んでいる。

衝動性、
とにかく今楽になりたい、
この不安を何とかしたい、

そんな短期の目標にとらわれて、
長期的には悪化させてしまっている。

短期の利益は現実を悪化させ、適応を悪化させている。
短期の利益が症状である。

治療者はそれを治すべきだと思うし、
患者はそれを適応だと思っている。

リストカットをどうしても頑張って治療すべき目標なのだとは
現在ではいい難い。
けかしは当然に治療目標だった。

きることもあるでしょう、
それで心が落ちつくんです、
他人に迷惑をかけないタイプの行動ですから、
ひとまずいいとして、様子を見ましょう、
などと治療者に説明された親は、
リストカットを治療しないで何を治療するのかと驚く。

何を治療する?
「洞察」である。
「自己認識」である。

なんとも八方塞なのである。



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刷り込み 強い学習 弱い学習 一生に一度の回路 また開く場合

PEY.
人間には一生に一度の強い学習から、
かなり強い学習、弱い学習まで、
いろいろなタイプの学習があります。

刷り込みは、人生の始まりに、そばにいて動くものを母親と思い、
行動を真似する回路のことですね。
imprinting.

強い学習は、子供の頃に立て続けに起こります。
一生記憶が続くような強い学習が起こります。
歳をとるとだんだん学習は弱くなっていきます。

これは、歳をとると脳の回路の変更がしにくくなるからですね。
しかし一方で脳の安定性にもつながっています。
不安定な人でも、40才くらいにもなれば、まずまず安定するものです。

もうひとつは、10歳くらいまでに環境に適応する作業を完成しておきたいからですね。
それからあとは性的成熟が始まります。
例えていえば、10歳くらいまでに、建物の一階部分ができます。
そのあとの性的成熟は二階部分です。
一階部分で、個体の生存には充分です。
二階部分で種としての生存を実現します。

子供時代に、環境を学び、脳の中にコピーを蓄えているのです。
だから、子供時代と大人時代で、根本的に原理の違う世界になったら、
とても不適応になります。
進学や就職で環境が変わるのが青年期ですから、
この時期にアイデンティティの危機があるわけです。

田舎で育った人が、田舎の環境のドーパミンレベルに適応した脳を持っていたとします。
それが都会に来て、刺激の多い状態になると、どうしてもドーパミンは過剰になります。
そしてその思春期に性的スパートが生じますから、
ドーパミンはどうしても不安定に、過剰になります。
だからその時期に、統合失調症が発生するわけです。

脳の回路形成には臨界期と呼ばれるものがあります。
その時期にいったん形成されれば、閉じられてしまいます。
確定されたものとして記録されてしまいます。

たとえば、よくいう、rとlの違いに反応する耳とか、
母音の聞き分けとか、そんなことです。

文法面に関しては、
生後の学習というよりも、脳の回路に生得的な根本文法があるようで、
それをもとにして言語を学習します。
だからそれは英語とか日本語、中国語の根本にある、
人間の共通文法のようなものです。
だから単語を並べただけで、買い物くらいは用が足りるわけです。
ソシュールみたいな話ですね。

言語は基本OSのようなものです。
その上にさらにいろいろな技能やコミュニケーションが組み立てられる。
この基本OSが一応ではあるが翻訳可能なのはやはり、
潜在的共通文法があるからでしょう。

そのようにしていったん脳の回路は完成します。
10歳の頃、人間は完成するのです。
満ち足りています。幸福です。

そしてそのあと、二階建て部分を作ります。
ここでは男女それぞれに苦難があります。

男性ホルモンと女性ホルモンでは違いがあります。
男性ホルモンは脳の回路をそのまま保持します。
逆に言えば、世界を脳に従って変えたいのです。

女性ホルモンは逆で、世界に合わせて自分を変えます。
妊娠出産に当たり、女性ホルモンが大量に出ます。
この時は実に世界が大幅に変わるわけです。
このときまで女性は自分が世界で一番可愛い存在でした。
しかし子供が生まれて秩序は変わります。
なにより、赤ん坊に肉体的に奉仕しなければなりません。
赤ん坊はまさに「未熟な適応機制」を用いてお母さんを徹底的に支配し操作しますから、
世界は大幅な変わりようです。
そこでこの世界の激変を受け入れられるのは女性ホルモンのおかげでしょう。

私のイメージでは、女性ホルモンは、10歳までに書き込まれて閉じられた、古い回路をもう一度開くのです。
そして新しい現実に合わせて、回路が再び調整され、書き込まれ、閉じられます。
これが妊娠出産育児という事態です。

何という大事業かと思います。
女性は二度、幼年時代を体験するのです。
それは子供とともに成長するからでもありますが、
女性ホルモンの急増が原因してもいるのです。

一生に一度の回路が、もう一度開かれて、閉じられる。
これはとても神秘的なことです。
このことによって、女性は、嫁ぎ先の世界にも適応し、子供を育てる生活に適応するわけです。
従順さという女性の指標もここから発生します。

古くは男性が捕虜になると、睾丸が摘除されました。男性ホルモンがない方が従順な労働力になるからです。環境に親しむのです。

このように表現してくれば、女性は環境に適応するだけの受け身な感じといっているように思うかもしれません。
そうでないことは明らかで、結局、家の中心になるのは母親であり、母親そのものが子供の環境になり、結局は家族全部の環境になるのです。
その圧倒的な支配力に耐え切れず、男性は空しく抵抗をしたりするわけです。

*****
以上、ひじように強い学習から、弱い学習まで、種類があること。
それは人生の時期によって臨界期があり、回路は閉じられること。
閉じられた回路も、女性ホルモンなどの事情によっては、再度開き、書きこまれること。
などを説明しました。

*****
さて、パニック障害は、強い学習の誤差動と言えないかということです。
パニック障害が学習される時、
何らかの事情によって、強い学習の回路が開いているのではないかと考えます。
そこに偶然「電車でのどきどき」が学習されてしまったのです。

どんなときに強い学習の回路が再度開くのでしょう。
多分、女性ホルモン、退行的状況、それに関連して、お酒、薬物などが関係すると思います。

簡単な話、月経前くらいに女性は不安定になることがあります。
それは不安定という言葉を使ってもいいのですが、
世界を受け入れて自分を変える準備があるということもできるのです。

世界にまったく無関心であれば、イライラする必要もないのです。



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二つの世界モデルとシミュレーション機能 自己所属感と自我違和感

司会.
先生、世界モデル1と2は無駄に二つあるような気がします。
同じならひとつでいいわけですし、
違うなら困るでしょう。

PEY.
衆議院と参議院だね。
私は二院制を左脳と右脳にすればいいと思っている。

それはいいとして、
世界を生きていて、脳は時々刻々と世界を体験して、
世界モデルを写し取り、蓄積している。

それは時間順に、脳の古い層から順に写しが作られてゆく。
そして、ときに「退行」して、
古い回路が働く。
その他、分析でいう「防衛機制」というものは、
過去の適応的メカニズムの蓄積であって、
抑制とかそんなモデルは必要ない。

新しい適応メカニズムから順番に試して行って、
だめだったら次第に古い適応回路を使う。

これは回路を実際に使用してみて、だめだったら、
回路がダウンするので、
一階層下の回路が出現する。
ジャクソニスムだ。

これだけで解釈できるんじゃないか。

*****
同じ入力なのだから、
写し取られるものも、同じはずだ。

だから、本来は猫の脳だけでいいはず。
世界モデル1.だけで充分なのだ。

自意識というものはなくて、ただ反応しているのだ。
自由意思は錯覚なのだ。

実際人間も猫と同じなのだ。
猫の自意識を体験したことがないから想像だけれど。

なぜ自意識=世界モデル2.が発達したかと言えば、
機械意識は、実際の出力をしてみるより先に、
世界モデル2.に打診してみて、出力の結果をシミュレーションして、
その後で実際に出力できるようになった。
これは世界モデル2.の本来の利用の仕方で、
自意識という現象は付随的なものに過ぎない。

世界モデル2.は、自動機械からの打診にも、律儀に答える。
だから存在意義がある。
しかし世界モデル2.は自意識を発生させ、
自我の能動性と呼ばれる現象が発生し、
ひいてはさせられ体験と幻聴が発生する。

司会.
なるほど。
世界モデル2.は世界を写し取り蓄えることで、
世界のシミュレーションを実現するわけですね。

PEY.
そう。
ここは微妙なところで、表現がまだ未熟だけれど、
刺激→世界モデル2.→運動
という回路は、実際の運動にはつながっていなくて、
世界モデル1.で検証されているわけだ。

こうしてできた世界モデル2.は
運動→現実世界→刺激
という経路とつながって、ループを形成するので、
ちょうど、現実世界の「倒立像」になる。

その倒立像をもう一度逆転させてさせて、
外部世界の代わりにして、
シミュレーションを実行して出力している。

司会.
分かりにくいけど、わたしには分かります。
これはわたしが書いているんですから。
でも、分かりにくいでしょうね。
そして、分かったとして、何の利益があるんですか?

PEY.
君は知的な興奮というものを感じないかな?

まあいい。

利益は疾病モデルを提供することで、
モデルがある限り、患者さんの不安はそこで止まる。

たとえば、自我違和感ということが言われる。
精神病理学では大切な指標だが、
一体何のことかよく分からない。
直感的にはわかるが客観的には定義しにくいものだ。

せかいもでる1.と2.は原理的にはズレはないのだが、
何かの事情でずれたとすれば、
自我違和感になるだろう。

自分ならそんなことはしないのにというような事をやってしまっている。

また、世界モデル1.と2.との出力の時間差ができているのが普通で、
ここで能動感の錯覚が生じているのだが、
ここの時間調整が逆になれば、
させられ体験になる。

行為や思考の自己所属感というものも、
精神病理学では問題になる。

自己所属感は能動性と解釈すればいいと思う。

そんなわけで、自我障害を説明できる。

司会.
たとえば、従来は、強迫性障害は自我違和的で、
パーソナリティ障害などは自我親和的なわけですね。
このあたりの違いだと思えばいいわけですか。

PEY.
そう思います。

司会.
でも、先生。だんだん違う事を言っているような気がしますが。
それに、統合失調症も躁うつ病も説明できませんよね。

PEY.
そう思います。
考えはすこしずつ発展するだろう。
だから書いているんだ。

統合失調症の進行性崩壊性メカニズムについては、これとはまったく別だと思う。
躁うつ病については、MAD理論を用意した。
うつ病と呼ばれているものを分類して、説明するにはまだ工夫が必要だ。
しかし原則的に無理はない。

不安性障害については説明できると思う。
パーソナリティ障害についても、
一部は世界モデルのズレだと思う。

そもそもパーソナリティ障害は、
いつ始まったとも言えない、人生の初期から持続してある人格の傾向だから、
世界モデルそのものだ。

自分に不利だと充分に理解しているに、
その行動をしてしまうのは、
世界モデル1.に埋め込まれしてまった回路だからだ。
回路を訂正しないといくら説教しても無駄というものだ。

パーソナリティ障害の人たちは、
診察室では実に理性的で立派な事をいいます。
そうできない人たちは、知的な障害を考えた方がいい。
診察室でどう振舞うべきか、そのような知性がないのだから。

診察室では立派な洞察のできる人が現実の場面になると
どうしても困った回路にはまり込む。

境界性や自己愛性の障害はそんな感じでしょうね。
もっと適応の低いパーソナリティ障害もあるし、
強迫性パーソナリティ障害などというものもありますが、
これなどは定義の違いで、
わたしはパーソナリティ障害と言う必要はないと思っている。

強迫性という言葉を用いるときも、
自我違和的なもの、かつ、自己所属感の明白なもの、と私は定義しますが、
「自我親和的な強迫症」という言葉を使う人もいて、
それがかなりの大御所なのだから、
そのような人たちも多いのだと考えざるを得ないが、
そうだとすれば、強迫性の指標は、「分かっているけどやめられない」
の程度になるだろう。

説明と定義を一緒にやってしまうのだから、
横柄なものだ。

司会.
先生、まだまだ考え中なんですね。

PEY.
そうだ。だからスリリングだろう。
発想の現場に居合わせているのだから。
さっき風呂場で思いつついた事を書いているんだ。

司会.
スリリングというのは本人で、迷惑でもあります。
人間はこの程度に自分勝手だということですね。



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人格の成熟

成熟した人格とは、
要するに他人にあまり迷惑をかけないで
自分で我慢するところは我慢して処理できるということをいうらしい。

学問的には
高度な防衛機制 defense mechanismと
高度な現実検討 reality testing である。

個人的な印象では、要するに、
長期で全体的で最高度の、利己的利益は、
利他的行動につながるのだと知っているとこだと思う。
人のためにやっていれば、あるはい人に嫌われないようにしていれば、
最終的には自分が一番得をするのだと知っている事。

最高の利己主義と最高の利他主義が一致することを知っていること。

利己と利他は矛盾しないと知っていて、自然に行動できるなら、
成熟した人格である。

最近では人格の成熟未成熟以前に単に知能がたりないという人もいる。
それはそのレベルで人格を考えなければならないので別扱いである。

*****
そんな事をしたら結局、自分の損だろうと思う事をしてしまう。
嫌われたらのちのち損をするでしょう。
それが未熟ということだ。
自覚がある人もない人もいる。

自覚のない人は仕方がないとして、
自覚にある人は、自覚がある以上、
訂正できそうな気もするが、
なかなか訂正できないのである。
これはこれで強烈な病気で、
訂正できないところで一体何が起こっているのか、
解明すべき点がある。

知能が高い人は当然、分かるのだ。
文章を呼んでもらって、感想を書いてもらえば、
普通程度の判断ができることは確認できる。
自分の行動について、あとで振り返って、反省もできる。
世間がどんな風に判断しそうかについて、語ることもできて、内容も正確である。
しかしなおかつ、そのような、他人に嫌われ、自分に不利な行動をするのである。
不思議としかいいようがない。

*****
そんなわけで、「未熟な人格」は、いろいろなものを含んでいるので、
間単に一言でいうわけには行かないような事情がある。

しかしそれでも言えることは、
最近は未熟な人格の人がどんどん増えているということだ。
成熟のチャンスを逃しているのだとしか考えられない。



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自律神経を巻き込むうつ病

うつ病の二大「目立つ症状」として
最近は
1.憂うつ……うつ病という名前がついているくらいですから、憂うつですね。
2.興味喪失・心から楽しめない……これはうつという言葉と直結しないかもしれませんが、強調されている点です。
そのほかにいろいろとありまして、たとえば次のような具合です。

l_yd_utu.jpg

睡眠、食欲のチェックが入っています。
この他に、肩こりが続く、頭重感、頭痛、心臓のドキドキ、便秘、月経の不調、性欲低下など、
いろいろな身体の症状が出ます。
憂うつであることの結果としてもでるでしょうが、
それ以上に、病気それ自体が、自律神経系をまきこんでいる印象なのです。

人生はいろいろとあって憂うつなものですし、
「心から楽しむ」なんて、最後はいつのことだったか、
思い出せないくらいの人も多いのではないでしょうか。
心から笑ったり、心から楽しむなんて、
子供ではないのですから、そんなにあるはずがありません。

それよりも、皆さん自律神経のことで参っています。
すぐに疲れるし、だるいし、
そうなると集中もできないし、
できるはずの仕事ができないままで、
先送りになります。

ここは微妙ですね。
精神症状が先か、身体症状が先か、同時か、
たぶん、ご本人の感覚としては、先に自律神経症状なのだと思います。

精神の病のはずなのに、
身体症状から始まっているのはどうしてなのでしょうか。

たとえば食欲がないというのも微妙なところもあって、
食べすぎてしまうタイプの人はいますし、
食べられないと言っても、夕食に出されたものは全部食べている、
自分から「あれ」が食べたいという気持はわかない、
デパートを歩いていて、好物なのに食べたいとも思わない、
などいろいろあります。
どこまでを症状として拾うかは、難しいところです。
機械的にはいきません。

睡眠にしても、一応眠れているというのと、
「充電」ができているのとは違いがあります。
年齢によって体質によってそれぞれ睡眠は違いますので、
標準の物差しを当ててはかってそれで終わりでもありません。
どんな感じか、伺うわけです。
土日にまとめて眠るという人は結構多いようです。

疲れているからそうなるのか、
そうなるから疲れるのか、
両方なのか、
たぶん両方ですが、
いろいろとあります。

*****
脳の回路で考えると、
精神症状が出て、自律神経を巻き込むシステムの障害があれば、
説明できると思いますが、
それにしては症状の範囲が広く、
憂うつ、心から楽しめない、興味喪失などの精神症状と、
自律神経失調症状、例えば、睡眠障害では、
なにか話の次元が違っているような気がするわけです。
それを一発で説明できるモデルが想定できるかというと、
何かちょっと考え方の変更が必要なような気がするのです。
セロトニンモデルでは少し足りない気がします。



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不安の階層表を作る→克服訓練をする 不安系克服法

これは原田先生から繰り返し教えられていることを
自分なりにアレンジしたもの。
パニック障害、全般性不安障害(GAD)、社会不安障害(SAD)、強迫性障害(OCD)について。

1.
まず病気の仕組みを理解していただいて、
強迫行動を繰り返していれば、またはパニックを回避していれば、
不安が固定して、悪くなるだけだから、
克服しようと決意していただく。
克服する合理的方法があることを納得していただく。

2.
次に、不安の階層表を書いていただく。

不安系の病理の場合、
パニック障害でも、
対人恐怖や社会不安障害でも、
強迫性障害でも、
まず、自分の不安な場面がどのあたりにあるのか、
書き出してみる。
そしてそれを苦手な順に並べてみる。

そしてカウントダウンするみたいに、
下のものから一つ一つ克服して行く。

3.
まず一番下の目標を標的にして、
薬を使って、
誰かに付き添ってもらって、
克服する。

できたら、一人でやってみる。

薬を飲んだままで、一人でできたら
それで卒業にして、
次の目標を、
薬を飲んで、誰かに付き添ってもらって、実行する。

次に薬を飲んで、一人で実行する。

できるまで繰り返す。
克服するまで繰り返す。

そのうち、薬を飲まないでできることが増えてくる。
薬を飲まないでも自由に行動できれば完治だけれど、
それはそのうち達成するというつもりで充分だ。
薬を飲んで、全部できれば、それで一応完成。
日常生活には支障がなくなる。

*****
電車恐怖で言えば、
不安は実は、
「電車が怖い」のではなくて、
「電車が怖かった」ことが根にあるのであって、
「電車は怖くない」と学習すればいいだけなのだと思う。

「電車が怖かった」のは確かだが、
それを「電車は怖い」と錯覚している。
それは錯覚であり、学習で訂正できる。

「電車は怖くない」を繰り返してもらう。
繰り返せば漢字が書けるようになった。
繰り返せば自転車に乗れるようになった。
だから繰り返そう。

最初は漢字が書けなかった。
最初は自転車に乗れなかった。
学習してできるようになった。

今回は、「電車が怖かった」と学習してしまった。
それを打ち消すことができるまで、反復して学習することだ。

だから、最初は、薬を飲んで、誰かに付き添ってもらって、
電車は怖くないという学習をはじめてもらう。
次に、薬を飲んで一人で、電車は怖くないと学習してもらう。

たいてい、不安の階層表は、
各駅、急行、地下鉄と並んでいるので、その順にトライしてもらう。

*****
とっても大雑把にいうと、
1.自意識の世界モデルは壊れていない。だから不安症だといえる。いくら考えを訂正しても、だめ。
2.自動機械の世界モデルが壊れている。だからこそを行動療法的に直す。頭で納得しても、体で納得しない限り、だめ。行動するためには不安を低くしないといけないので、薬を飲んで、誰かに付き添ってもらう。自転車には補助輪、水泳には補助人、不安には薬と補助人である。

「電車に乗ったら冷や汗が出てドキドキした」という自動機械の経験があり、それを自意識は、不安恐怖と考えて、恐怖症が成立する。
治療は、解釈を変えることではなくて、「電車に乗ってもドキドキしない」と何度も学習することである。

*****
私は公文式をとても高く評価している。
公文式では、算数の問題で、「できたら次のレベル」と急がない。
「できたらそのまま続けて成功体験を積み重ねる」。
そこが偉い。
時間をかけて、自分ができる最高の所を何度も繰り返す。
すると自動機械が学習して行く。
そして次のレベルへの準備が整う。
そうすれば自然に次のレベルに行ける。
学習には時間が必要である。
脳の回路を一部訂正するのだから、時間が必要である。

「間違った学習」は一発で成立する。
それを訂正するのは時間をかけて反復する必要がある。
しかし時間をかけて反復すれば必ずできるようになる。

それだけのことだ。
それだけのことなのだが、あれこれ考えて、袋小路にはまりこむ。
だから、考えていても仕方がない、考える部分では間違っていないのだ。
自動機械を訂正しないといけないのだから、
行動しないといけないのである。

それをしないで、あれこれ考えていても、治らない。

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こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳

最近よく使う本として
こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳
創元社 (2003/03) 創元社 大野裕
がある。
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1.ストレスに気づこう
2.問題をはっきりさせよう
3.バランスのよい考え方をしよう→別の考え方はできないか提案してみる
4.問題を解決しよう
5.人間関係を改善しよう
6.考え方の癖(スキーマ)に挑戦しよう

というような項目が並んでいる。

*****
わたしとしてはこれでも複雑過ぎるくらいで、

1.問題点をはっきりさせる
2.別の考え方ができないか検討する
3.実行する

これでいいと思う。

*****
私流に言えば、
1.別の考え方をして、
2.まず頭の中でトライ・アンド・エラー
3.そのあとで実際にトライ・アンド・エラー

前半は、自意識の世界モデルを変更する作業、
後半は、自動機械の世界モデルを変更する作業である。

これってすっきりしていると思うが、どうだろう。

*****
相手が自分を嫌っているのではないかもしれない、
相手が仕事を嫌がっているわけではないかもしれない、
別の理由があるかも知れない、
蛇口はしまっているかもしれない、
トイレは不潔ではないかもしれない、
そんなに悪いことばかりではないかもしれない、
次に出会う人は自分にぴったりの人かもしれない、
いろいろに考えてみて、
トライ・アンド・エラーでいいと思うのだが。
どう?


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戦争で失われた重要な遺伝子資源

それにしても
悲しみとともに思うが、
かつての戦争で、
どれだけの優良な遺伝子が失われたことだろう。

ーーーーー
その遺伝子が失われた時点からの戦後復興であった。
病気とその病前性格を考えるときも
無視できない要素であると思う。

ある種の性格要素が社会の中から
姿を消した可能性はある。



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協調性とは

協調性とは
いい方を変えれば、
「誰も何も言わないが、はっきりと出ている指令を読み取って、従うこと」
なのだろう。

暗黙の指令を出す人がいて、
それに従う人がいるという事態

暗黙の命令形

暗黙の秩序

秩序を愛する人たちが
協調性を愛するのはもっともだ

対他配慮は、
相手の暗黙の要求を感知して、
要求に先んじてサービスすることである。

協調性は集団について、
対他配慮は個人について、
暗黙の要求に従うということだ。

*****
最近は暗黙の要求を読めない人が増えている
暗黙の指令が届かない

そこで上司はキレル
部下はなぜ上司がキレているのか分からない

*****
暗黙の要求を読み取るためには心のモデルが必要である
心の理論である。他者の心心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能。
ここ10年の間イヌ、イルカ、ヤギ、カラス等の動物でも社会的認知能力 の一部である視線を追う能力が確認された。

*****
マキャベリ的知性仮説(-ちせいかせつ、"Machiavellian intelligence" hypothesis)または社会脳仮説(しゃかいのうかせつ、"Social brain" hypothesis)とは、人間の持つ高度な知的能力は、複雑な社会的環境への適応として進化した、という仮説。「マキャベリ的」という言葉は、15世紀イタリアの政治思想家ニコロ・マキャベリに由来し、マキャベリの著書『君主論』に出てくるような意味での、社会的・権謀術数的な駆け引きの能力が、個体の適応度に大きな影響を与えたのではないか、とする。

「マキャベリ的」という言葉は仮説の大まかなイメージを伝えるのには非常に適しているが、反面マキャベリズムという言葉の使われ方からも分かるように、「マキャベリ的」という言葉は「自己の利益のみを関心事として、目標の実現のために手段を選ばず行動する」といった強いニュアンスを持つ。しかし血縁淘汰の研究などからも知られるように、生物個体は必ずしも個体単位で利己的なわけではない。そのため「社会的」という言葉の方が意味的にはより中立的で正確である。

*****



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性格 たまねぎ MAD+対他配慮 MAD+対人距離

こんな事情で、メモを記すと、以下のようだ。
1.各種新型うつ病については、各人が各人のフィールドで経験した事をまとめたもので、対象患者の特性でもあろうし、そのような興味を持って対象をとらえたという意味では治療者の特性を反映しているともいえる。大学病院に来る者、公務員病院に来る者、大企業病院に来る者、下町のクリニックに来る者、それぞれの特徴があるはずだろう。
2.その点を考慮して、MAD+対他配慮説でどの程度説明できるか考えると、まずまず充分である。
3.基礎的な性格を説明したいが、その場合、MADのかたまりと、対他配慮という塊は、異質すぎて、手に負えない。
4.性格というものを考えてみると、単純に明るいとか暗いいうものでもない。場合に応じて変化するのだし、その変化の仕方のほうがむしろ適応には大切だ。
5.そこで、性格をたまねぎのような階層構造と考える。コアになる生まれつきの性格があり、その外側に性格防衛として、外套を身にまとう。環境が変化すれば、さらに一枚、外套を身にまとう。環境が変化すればするほど、厚着にるなるはずだ。そして外側からはっきりと見えるのは、一番外側の外套だろう。それが対他配慮である。
5-2 対他配慮とは攻撃的な防衛である。
6.たまねぎ構造の一番外側は対他配慮として、中には何があるのか、いろいろな時期のいろいろな環境の対他配慮がある。そしてそれらの細胞を形成するのは、MADであるということになる。
7.一番外側の対他配慮は、同調性といった複雑な働きよりも、対人距離といった要素的なものを考えたほうがいい。対人距離が近いのがマニーの人たちで、遠いのがシゾチームの人たちと昔から言われていて、そうだと思う。バーティの中心部でわいわい話題に興じているのは、循環気質の人たち、ジントーンの人たちであり、壁から30センチしか離れないのがシゾチームである。
8.そうするとイメージとしては、層構造をした球体を考える。各層は過去のそれぞれの時期の対他配慮戦略である。一番外側に見えているのは、現在の対他配慮戦略である。その球体を外部から刺激したときに起こる反応は、球体を構成している細胞の反応性質である、MADの分布による。
9.以上のように構成すれば、性格を「MAD+対他配慮」としてまとめることができる。
10.対他配慮はあまりにも高次な機能であり、個人的には「心地よい対人距離」程度の言葉を使いたい。
11.その上で、メランコリー親和型が生まれたドイツの風土で言えば、後進国プロシア帝国は富国強兵で列強に伍することが目標となった。個人が集団に一体化することが求められる状況であり、命令に対しては、疑問なく従う心性が求められた。軍国日本は当然そのようでありであり、戦後のサラリーマン戦士もそうだった。集団への忠誠と命令への服従。命令自体について、自分にとっての主体的な意味は考えないことが大切だった。ばかばかしい命令でも、命令だから遂行する。そのような人間が求められ、それを疑問に思う人間は排除される。排除されることなく、「組織内部の人間」となり、「むしろ組織を防衛する立場」に立ったときに、突然、メランコリー親和型うつ病が始まる。

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種々の新型うつ病と病前性格

種々の新型うつ病と病前性格についてはほぼ必ず問題にされる。
しかしはっきりしない。

病気の人たちと普段接していて、次第に形成されてきた知恵をまとめる人たちがいて、
病前性格論としてまとめられている。
執着気質、メランコリータイプ、循環気質、シゾチームなどが有名。
これは説得力があるのであるが、実証するとなるとなかなか大変。

しかしそれは科学的ではないし、網羅的でもなく、内部構造もよく分からないというので、
性格というものは何であり、どのような要素であるか、統計的に考えようという人たちがいる。
彼らは、刺激に対する反応の様式から、性格を取りだし、
それらについて統計処理し、
たとえば、陽気とか依存的とかの項目が独立の軸であるかどうかを検定している。
結論は出ているのだが、
あまり説得力はない。

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モンスターペアレント クレイマー 囚人のジレンマ  対他配慮・協調性

モンスターペアレントとか クレイマーとか
自分の主張を通すために 「北風」になってしまうのだが
結局いやがられて嫌われて
たらいまわしにされることが多い。
適応戦略として高等ではない。

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同調性 syntone

同調性 syntone は、環境に融合、調和する、躁うつ病の病前性格。Bleuler,E.は、
外界との接触が保たれない分裂気質に対比させる目的から、
情意の双極性変化に重点が置かれている循環気質に代えてこの語を用いた。
同調気質型 synthyme Temperamenten(Conrad,K.)は、分裂気質と循環気質の中間のものを指す。
というように、濱田秀伯先生は記述している。

*****

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現代型うつ病の構造

昔  MAD+対他配慮(利他主義・他人を信じ未来を信じる利己主義)
今  MAD+利己主義(未来を信じることができず、他人を信じることができない、利己主義)
この構造が背景にあり、病気が展開する。

*****
現代型うつ病としていくつかモデルが提出されていて、
それぞれ自分の診察した範囲での経験をよくまとめているのだと思う。

それはそれでいいのだが、
変わった部分と変わらない部分、それは何か。
それぞれの新しい提案の違いは何か。

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協調性の指標

協調性の指標は、インタビューだけでは分からない。

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執着性格の歴史的意義

執着性格を背景とするうつ病は、
後進国が先進国を追いかけるときに、軍隊や会社で見られる病理。
M成分はおおむね、多い。頑張りや。M成分は多すぎれば周囲も本人も持て余す。しかし適度であれば、社会適応を改善する。
A成分は多い、几帳面、秩序を愛す、守り対し守らせたい、A成分は必須と考えられる。
D要因は多い、MやA成分と拮抗するくらい強い。これが基底の性格である。だから最後にはうつ病になる。

以上のMADの動きのすべての背景には協調性・対他配慮性がある。
それか欠けている場合、
軍隊にも会社にも適さない。

うつ病ではなく現実に不適応になり、適応障害と診断することができるだろう。

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執着気質について 病前性格 協調性 新型うつ病

執着気質についてお勉強

執着気質は、メランコリータイプと少し違うとも言われていて、
しかしどんなのものなのか、確認しようにも、顕微鏡のように標本があるわけでもなく、
表現の仕方も違い、なかなか難しい面もある。
文献学になってしまってはつまらない。
要するにうつ病の病前性格なのだといわれても、
うつ病とは何かが確定できていないし、何種類のものを考えればいいのかも、定かではない。

ある文章の中から抽出すると、メランコリータイプは
几帳面・他者への配慮・責任感・完璧主義といった言葉で代表される、いわゆる生真面目なタイプ。この種の人はその理想秩序の枠内で物事が運ばれるうちはいいが、調子が維持できなくなると自分を責めて落ち込んでいくといわれている。
というが、どんな構造をしていて、執着気質とどう違うか、違わないか。
このいい加減な描写をどのようにして検証できるのか。
文学としてだめなだけではなく精神医学としてだめだということをどのようにして立証できるか。

*****

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幸せには終りがある 悲しみには終りがない

Live in Tokyo 2001 MORELENBAUM2 / SAKAMOTO
の中で歌の歌詞が字幕で流れている

幸せには終りがある
悲しみには終りがない

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精神療法について

精神療法についてどうイメージするか、
さまざまであろう。
各人で名人芸があるものだ。

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予測と照合と実感

smapg-time-delay-modelといっても、
内容は言い古されたことで、
ただ具体的に
時間遅延の仕組みが自意識の成立と
その内容としての能動性の意識などを生み出していると言うに過ぎない。

普段の行動で言えば、
予測-照合-訂正のプロセスがあり、
結果としての訂正した世界モデルで、さらに次の瞬間の
予測をするというループが形成される。

これは昔から言われていたことで、
ほとんどどんな哲学者も前提にしていたようなものだが、
たとえば精神医学では台先生などがはっきりと書いていて、
その明確な論旨で我々は勉強した世代だから、
くっきりと影響を受けていると思う。

*****
たとえば食べることでも風呂に入ることでも人と話すことでもいいが、
何か食事になるものが目の前にあるとして、
それを食べたらどんな味がするか、
もっと細かくどんな程度の固さで、
匂いはどんな感じで、
熱さはどのくらいなのかをいつも予測して行動している。

予測がうまく当たれば、
「体験の実感」が生まれる。
モデルで言えば、予測情報が実際の体験情報よりも早く届いている。
実際は早くなくてかまわないので、
一瞬だけ早いように操作しているのだろう。

味と匂いと触感、熱感などは、時間として考えれば、
ずれて感覚されるはずで、
それを同時と感じるように時間係が調整しているのだろう。

そのようにして、体験の実感が生まれる。
それは能動性とも通じていて、つまりは一瞬は約手、予測が正しいということだ。

予測が正しければ生存の確率が高まるので、
それは良いことだ。
したがって報酬系と結びつくだろう。

予測が正しければ、「うれしい」と感じる。
その系統の報酬が「実感」とか「能動感」になっている。

コンピュータで作るときも、
実際に感覚入力を二つにまず分割して、
それぞれで処理をして、出力を比較、結果はどちらも外部世界と一致するようにして、
さらに、予測回路からの出力が一瞬早く感覚されるように調整すれば良い。
予測が正しければそれを報酬と感じ、
世界観は正しいと確信し、ますます自信を深めていく。
それが結局は自意識で、何のからくりもないだろう。

自意識と自動機械が二本立てであるのは、かなり無駄のようだが、
学習するときには二つが働くようにすれば、並列型のコンピュータになり、
都合がいい。

自動車を運転しながら、危険物を見張りつつ、
アクセルを踏みつつ、ハンドルを微調整して、
ニュースを聞きながら、別の事を考えたりしている。
並行処理の数と同じだけの数、回路は並行して動いているはずだろう。

予測して、照合して、実感を感じるなら喜び、
感じられなければ訂正する、
これを時々刻々繰り返しているのが神経系だと思う。

*****
物理学はまさに次の瞬間を予測するための学問である。
だから世界モデルものものである。
もうひとつは宗教。そして占いの世界。

その場合に数学モデルが活躍するのはどうしてなのか
かなりの謎で、カントが分からないといったのだけれど、
コンラート・ローレンツが、進化論的に解釈すればいいのだと結論を与えた。
それが正しいとわたしも思う。

カントは同時に自意識の不思議をあげたのだけれど、
われわれはその自意識の壊れ方を詳細に観察する立場で、
やはり原理として、時間遅延モデルでいいだろうと思っている。
内的世界があるように思うのは、
不思議でもなんでもなく、刺激の束を整合的に解釈して、
視覚、聴覚、その他の感覚、記憶、論理、そのあたりが整うようにしているだけだろう。

このように設定すれば、コンピュータで、
人間の意識とほぼ同等のものが作れるだろうし、
会話したり、愛し合ったりして、何の不思議もないものになるだろう。
と、かなり楽観的に期待している。

人間の知覚も論理も、
結局、物そのものには届かないのであって、
記憶を整合的に収納し、次の瞬間の予測ができればいいだけだ。
全体像が正しいかどうかなどは結局検証不可能である。
次の瞬間の予測ができれば生存に有利だというだけなのだろう。

たとえば、現代物理学でもいいし、キリスト教的世界観でもいいし、
タロットカード的な世界観でもいいし、
結果として予測が正しければ、いいのである。
それらが結局は一致するのだという楽観的な考えが
昔からあって、それは誰の反対も招かないから好都合で、今も生き残っている。
いいことだろう。

*****
音楽の楽しさも、かなりの部分は予測―照合―訂正のプロセスだろう。
もう訂正したくない人たちは、クラシカルな世界を好むし、
訂正したい人たちはジャズの生演奏を楽しみにしている。
しかし新しい解釈や新しい発見が常にあるわけではないので、苦しい。

そんなことがなくても、音を一瞬先取りして、
その予測が正しいと快感が生じるし、
予測をはずされたときも、心地よい訂正感であれば良いことだ。
予測が外れて不快であれば、それは不快な音楽ということになり、
現代音楽はかなりの不快を含むと感じているが、
それを不快と名づけないで、
予測外の音と解釈すればいいのだろう。

予測外の音を快感と感じるためにはやはりその音を予測するだけの世界観が必要で、
現代音楽の解説はそのような世界観の枠組を与える。
逆にそのような学習をしなければ、
予測は外れるようにできているのだ。
心地よさから外れるようにできている。

*****
絵画でも同じ事情である。
現代絵画は、心地よいと感じる前に学習しないといけない。
あるいは、単純な心地よさではなく、予測が外れた不快感を、
反省に転化したり、学習と位置づけたりして、意義を感じるようにできている。

時々おいしくないものが流行してすたれたりするのも、
予測をはずし、驚かせ、学習させて、世界観を訂正させているのだ。
しかしそれは外部世界の自然ではないから長続きせずに忘れられる。

*****
自転車に乗ることは、最初は意識的な学習であるが、
そのうち小脳という自動機械が代行してくれるようになる。

代行してくれれば楽なのだが、行為の実感は薄れてゆく。
人間は行為の実感が報酬系につながっているのでいつも実感を求めたがる。
それが新奇性の追求になり、ドーパミン系との関係が言われているあたりである。

慣れはやっかいだ。
慣れるということは、世界モデルが正しいことの証明であり、
いいことに違いないのだが、報酬は薄れる。

1回目、2回目、3回目と、
1001回目、1002回目、1003回目は違う。

配偶者に興奮しないのも無理はない。
たまには旅に出たくなる。

般若心経で色即是空、空即是色という。
瀬戸内先生は
あるものはない、ないものはあると大胆に言っている。

目に見える世界、それは空なのだという話は
よく納得できる。
我々は五感と記憶と知識と論理を整合させているだけなのだろう。
その意味で空である。

空である我々の認識が実は色である、現実の世界であるという認識もその通りで、
我々はそれ以外に世界を認知することはできないのだし、
予測と照合と訂正の束があるだけだと言える。
実在については知り得ないが、知り得る範囲内ではかなり正しい。

*****
脳が予測をする場合に、難しいのが他人というものである。
つまりもう一つの脳である。
脳は他人の脳を予測するときにどうするか、考えると、
その人間の中にひとつの世界が在ると考えざるを得ない。
外在世界はひとつだけなのに、
それを認知して世界モデルを作っている人間の内部モデルは
百人百様であり得る。
そのそれぞれを予測するのは
途方もなく負担であることはよく分かる。

他人がどのようにずれているか、なんとなく察知して、
ズレに対応しないといけないので、
外部世界に対応するのに比較してかなり骨が折れる。

物理世界はよく分かるのに、
人間社会にうまく適応できない人というのも
理解できる。

実際、その人は人一倍外部世界を知っているのかもしれない。
しかし他の全員の脳がずれている場合には、
同じようにずれていないと、機能しにくい。

これはどうしようもない。
天才が自閉性傾向があるとか、アスペルガーの傾向があるとか言われるのも、
このあたりの事情である。

他人の脳の気まぐれや誤動作を予測の範囲内に入れられるようになれば、
格段に生きやすくなる。
それが世間で言われる、大人の知恵というものだ。

自分の脳も誤動作をする可能性があるし、
他人の脳については増してや、何が起こっているのか分からない。
昨夜のアルコールがおかしな風に効いているかも知れないし、
セックスのときに微細な脳血管が破裂しているかもしれない。
傷つく事を言われて、世界観を訂正しようと必死に夢を見ていたかもしれない。
老化もある。
いろいろな可能性がある他人の脳というものは、
丸ごとひとつの外部世界に匹敵するのであって、
脳にとっては負担である。

しかしそれもやり過ごす方法がある。
究極の正しさなどどこにもないのだと
まず覚悟することだ。
自分が正しいと思うから許せなくなる。
脳は感覚の束を処理して、次の一瞬を予測する神経回路に過ぎない。

だとすれば、目の前にいる相手を、高次元で予測してしまえばいいのだ。
予想外であっても、予測のレンジを拡大すればいい。
誤作動しているなら、誤作動の癖を予測すればいいだけだ。

考えてみれば、他人の脳は、一つの物理系に過ぎないのだから、予測はできるはずだ。
自分の脳と同じだけ複雑で、
世界の複雑さと同じ程度の複雑さを持つ可能性があるが、
結局は世界の一部なのだ。

この種のパラドックスがときどきいわれるが、
結局脳は世界の詳細な写しではなく、
かなり省略したラフな写しに過ぎないということで解釈できる。

自分の脳も世界のコピーとしては解像度が悪く、
ましてや他人の脳については責任がもてないし予測できない。
そんな世界に生きているのだから、
そのように対応するしかない。

予測―照合―訂正のプロセスも、その程度に粗雑なものである。



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disturbance of egoについてのtime-delay theoryをsimpleに

もっと簡単に言うと、どういうこと?
というので、簡単に。

自我障害、つまり、させられ体験(作為体験 passivity experience)、離人体験、考想化声, その他についての理屈。

脳の一部に、「能動感実感部位」というのを仮定する。
何かしようと思ったことがそこに入力される。
ほぼ同時に、何かしたことが入力される。
その時間差で、能動感とさせられ体験が生じ、
幻聴も発生する、との理論である。
離人体験は、能動的感覚の消失とも言うべきものである。

……続き……



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「一日電池」と「一生電池」と「うつ病」

一生電池20080502-2.jpg

交感神経と副交感神経は
アクセルとブレーキのようなもので、
興奮と安静をそれぞれ司っている。

人間には二つの電池があると考えれば、いろいろと納得しやすい。

ひとつは、携帯なんかと同じで、
昼に放電して夜に充電する「一日電池」。

交感神経優位のときにエネルギーを使って、
副交感神経優位のときにエネルギーを蓄えるというイメージだ。
だから夜はきちんと休息を取って、5時間以上は寝て、
しっかり充電しないといけない。

夜間の充電ができなかったときに使われるのが、
「一生電池」。
これは緊急時に放電されるもので、充電ができず、
生まれたときに満タンになっている。

徐々に使って、人生のどの段階かで使い切る。

少しずつ無理をしているうちに、「一生電池」を使ってしまう。
使い切ったときに「うつ病」が始まる。
この場合のうつ病は、失恋したとか失業したとかの反応性のものではなくて、
目覚まし時計が時間に鳴るような感じで
人生のある時期に始まるうつ病のこと。
だからこどもにこの意味での「うつ病」はないだろうということになる。

睡眠リズム障害の人は
「一日電池」の充電ができないのでうつ病になりやすい。

更年期も同じで「一生電池」を使い切った結果、うつ病になる。
「燃え尽き症候群」という言い方は「一生電池使いきり症候群」とも呼べる。

もし「一生電池」をつかいきったのなら、
そこから先は無理をしないで、
「一日電池」を上手に使って、生きることだ。
何も難しいことではなくて、ちゃんと寝ることだ。

そのことに慣れてしまえば、
「一生電池」がなくなっていても、
「うつ病」にならない体質が出来上がる。

老人がすぐ寝てしまい、
すぐ起きてしまうのは、
こまめに充電して
こまめに放電しているのだ。

遠い将来は、遺伝子工学で、「一生電池」を充電することになるかもしれない。



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強迫性障害についてのsmapgモデル的解釈

photo_3-df3f8.jpg

● ある状況で心配が頭をかすめること(侵入思考)は9割の人が体験しており、正常体験に属する(表)。侵入思考に対して、「まあ、大丈夫だろう」と日常的に対処できれば問題は生じない。 
● 強迫性障害患者は侵入思考を過大に評価して過剰な不安を覚え(強迫観念)、不安を抑えるための儀式的行動(強迫行動)を行う。
● 強迫行為で一時的に不安が和らぐが、(1)不安を覚えると強迫行為を行わないと安心できなくなる、(2)当該テーマ(例:確認)への過敏さが強まり、さまざまな場面で不安が生じて悪循環に陥る。
● 治療法には、薬物療法と精神療法(認知行動療法など)がある。

 「侵入思考」というのは、ある事態に遭遇した際に誰でも抱きうる一過性の心配を言います。たとえば、外出してから「確かに鍵を閉めた、ガスの元栓を閉めたと思うけれど、どうだったかな?」と心配になるとか、公衆トイレを使う際に「ここを使って、汚れはしないかな?」と感じたりすることは、誰でも思い当たるところがあるでしょう。普通はこの種の心配にとらわれず受け流すことができますが、強迫性障害の患者さんは「侵入思考」を「過大評価」しがちです。「過大評価」によって強い不安が生じて、それを和らげるために強迫行為をしますが、それが病態を悪くします。強迫行為をしないと安心できなくなりますし、強迫行為をすることで「過大評価」がいっそう強まってしまうからです。

  実際にこの図を臨床の場で使用してみますと、「侵入思考」と「過大評価」という二つの術語が入ることで心理教育が行いやすくなると感じています。(原田先生より引用)
 
*****
以上が最近の典型的な強迫性障害についてのモデルである。

自我障害smapg-model2008.JPG
smapg-modelでいえば次のようになる。
・強迫性障害は、自動機械部分の間違った・強い学習の結果である。自意識は世界モデルとして壊れていない。従って精神療法というよりは行動療法の領域である。
・強迫性障害は、微妙に種類があって、行為や思考の自己所属性が保たれていることは条件であるが、その行為や思考に対して明らかに違和感を抱いているものから、多少の慣れもあるのか親和性を感じているものまである。定義によれば、違和感を抱いているのであるが、実際に自分が行ったり考えたりしているものでもあり、多少の妥協はして、違和感は薄らいでいくのかもしれない。しかし最初の標識は、ばかばかしいと思っているのにやめられないということであり、違和感を感じながら、やめられないということである。これを不安がまず先にあって、それを解消するための儀式と考えれば、上の説が正しいし、実際治療はそのように進められるので、正しいのだと思う。
・自己所属感が保たれていて、かつ、行為と思考に関しての違和感があるということはこのモデルでよく理解できる。
・違和感を感じるということと、不安を感じるということは、実は両立しないのではないかと私は考える。違和感を感じること、それが訂正できないこと、制御不能の感覚の結果としての不安ならばよく分かる。
・ここで、不安が先にあるのではなく、間違った学習が世界モデル1=自動機械で起こってしまい、世界モデル2=自意識はそのことに気付いていながら、訂正できないとする。不安感は、その行為に引きずられたものと考える。
・たとえば重症の例として、高速道路を走っていて、誰かをひき殺してしまったかもしれないと思い、引き返しては確認し、また行こうとするが引き返して確認し、一日をそれで費やすという、ラパポートが書いている例で説明すると、全ての行為は世界モデル1=自動機械の行っていることで、世界モデル2=自意識はただそれを見ているだけである。普通ならば、自意識が自動機械に干渉して、自動機械を訂正できるのだけれど、この場合はそれができない。すると、自分をコントロールできないという不安が生じる。そして、自動機械はやはり不安に従って確認行為をしているのだから、自律神経系は、汗をかいたり、ドキドキしたりしている。そのことを内部でモニターしていると、自分はいま不安を感じているのだと分かる。その不安が複合して強い不安感になる。結局こうして時間に遅れてしまうということも不安感につながる。
・制御不能の感覚、自律神経系の反応、結果の不都合、これらが不安を形成する。
・不安だから強迫行為をしているのであれば、不安をコントロールすればよいのだが、抗不安薬をたくさん使っても、行為は止まらない。不安感は薄くなるが行為は止まらない。ブロマゼパムの効果は昔から言われているが、他のベンゾジアゼピンとどう違うのかよく分からない。そして一方の三環系抗うつ剤・クロミプラミンがなぜ効くのか、いまだに謎である。
・私見では、アナフラニールは、自動機械が再学習するための条件を整えるのだと思う。アナフラニールを使った状態で、自動機械=世界モデル1を訂正できるように認知行動療法を行えばいいのだし、認知行動療法がなくても、アナフラニールを使った状態であれば、自意識が干渉して、訂正が進行するかもしれない。実際そのようで、薬を使っているだけでうまく行くこともある。あるいは自意識の干渉さえも必要なく、自動機械は外界を再学習するのかもしれない。
・自動機械=世界モデル1を訂正するには行動療法、自意識=世界モデル2を訂正するには認知療法とも考えるが、モデルによればそうなるというだけで、実証的な材料はない。
・再学習を容易にする薬剤として、ほかには女性ホルモン、ステロイドホルモン、甲状腺ホルモンなどが考えられ、甲状腺刺激ホルモンや、さらにその刺激ホルモンも考えられるが報告を調査していない。第一、副作用が出るので実際の臨床には使えないと思う。視床下部、辺縁系、といったあたりである。

・侵入思考に対して「まあ大丈夫だろう」と考えるというプロセスは、翻訳すれば、自動機械の始めている強迫性行為に対して、自意識が制御をかけている状態である。その制御ができなくなっているとき、強迫性障害になる。
・以上の考え方はひとつの考え方として提示しているだけで、患者さんの治療には影響のないようにしたい。標準的な治療プロトコールを守るべきである。このモデルで考えても、治療法は同じである。



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最近のうつsmapg-MAD-theory2008

設問 
近頃よくみる躁うつ病(Bipolar Disorder:MDI Manisch depressive Irresein)について説明せよ

条件
1.simple
2.pervasive
3.elegant
4.beautiful

解答
1.近頃よくみる躁うつ病はいわゆる内因性のものではなく、反応性のものと解釈し、述べる。

2.最近の躁うつ病像は20歳代から30歳代によくみられるもので、脳の特定部位の障害とは考えにくい。特定部位の障害であれば、若い頃ほど補償回路が働きやすく、老年になれば補償回路は働きにくいだろうと考えられるからである。したがって、脳の全体の一時的な反応による病理ではないかと推定して、述べる。

3.smapg-MAD-theory2008は個々の神経細胞の刺激-反応特性に注目したものである。

4.神経細胞をくり返し刺激したとき、横に時間軸を取り、縦に反応電流の大きさを取ったとき、
大きく分けて、三種が考えられる。

5-1.Manic cell これは刺激の回数が増えるほど反応が増大するもの。てんかんにおけるキンドリングや統合失調症における履歴反応なども同じような状態と考えられる。なおも刺激を続けて行けば、細胞の代謝の限界があるので、休止するか死滅するかに至るだろう。ウミウシの神経細胞での実験が報告されている。
5-2.Anankastic cell この群は刺激の回数が増えても反応が一定であるタイプである。強迫的という言葉をあてる。
5-3.Depressive cell これは刺激の回数が増えれば反応が減衰しついには無反応になるタイプである。神経細胞の先にある筋肉は反復刺激には減衰する方向で対応するしかないので、あらかじめ神経細胞が減衰するのは合理的である。また細胞としても、細胞自体が破壊される前に休止するのは合理的であり、この細胞が全体の多数を占めると推定される。

6.以上の三類型は、なだらかに移行するスペクトラムを形成しているものと考えられる。Manic-Anankastic-Depressiveと並べて、連続して個人ごとに細胞個数のパターンを描くことができる。それが性格の基本部分を形成する。性格は生育の歴史にもより、環境にもよるが、それらの反応の根底にある部分であり、昔から気質temperamentとも呼ばれるものである。

7.その細胞個数パターンは個人の性格・気質を規定し、反復刺激を受けたときとその後の精神症状を説明する。

8.Manic-Anankastic-DepressiveとならべるとMADとなるので、MAD Theoryと呼んでいる。響きがよくないので別の名前にしたいが、15年にわたり山内元教授はこの命名がひそかに気に入っている。別段公式に発表するものでもないので、ニックネームとしている。

9.反応パターンと言っても、反応を流すスパインは複数あり、それぞれで反応が異なることも考えられる。また、空間的に偏ることもあるだろう。ホルモンなどが影響して、AがMに似ることもあるだろう。固定的ではなく考える。ステロイドホルモンによる躁うつ病、性ホルモンに関係して起こる非定型病像などが説明できる。

10.たったこれだけである。

あとは各人が理性にしたがって考えれば、仮説の検証ができると思うが、バカ丁寧に解説を加える。

症状と治療
1.細胞をくり返し刺激すると、M-cellは次第に反応を増大し、そのうちに現実は解決されることが多いだろう。頑張っていれば仕事はいつか終わるものだ。しかしその限界を超えると、M-cellは活動を停止する。その時点ではA-cellとD-cellが残るので、個人の細胞分布により、Aが多い人は強迫性になり、Dが多い人は抑うつ的になる。A-cellがダウンすることもある。そのときは多分、躁うつ混合状態を呈する。恐怖症やパニック様症状を呈するのは、二次性・反応性のものだろう。自分を守る反応として自然に理解できる。

1-2.予備的M細胞。二つの電池説。

2.回復過程は、M細胞の生物学的回復過程である。それに通常数カ月を要する。治療は細胞を休ませることである。

3.病前性格としては、Mが多い人は、循環気質である。Aが多い人は几帳面である。Dが多い人は疲れやすく弱気である。
強力性(sthenic)と弱力性(asthenic)は、Mが多いこととDが多いこととに対応している。
循環気質はMDが多くAが少ないだろう。
メランコリータイプはMが少なくADが多いだろう。
Dが少ないタイプは考えにくい。
これらの間で、連続的な病前性格を呈するだろう。
M細胞は年齢とともに減弱する傾向があるようで、従来は30才を過ぎてからMが減少し、ADタイプになり、几帳面で責任感の強いタイプになった。その人の場合、A細胞が休止するとD優位になり、メランコリータイプのうつ状態になる。
最近は若年発症なので、M細胞が残っていて、その場合には性格障害の像を呈したり、また、防衛機制としても未熟な方法を採用したりして、病像が複雑になる。

4.対策としては、M-cellとA-cellのブレイクダウンを回避し、保護することである。

5.この理論によれば、うつ状態になる前には、人によって、躁状態だったり強迫性の状態だったりする。それがマイルドであったり、周囲の全体がマニックであったりアナンカスティックであったりして、分からなかったということもある。MまたはA細胞が活動停止して、相対的にD細胞が優位になれば、うつ状態になる。

6.最近のセロトニンやノルアドレナリン増加剤は、M細胞の休止を補助しているのだろうと考えられる。M細胞が休んでいても、ほどほどのセロトニンやノルアドレナリンが出ていれば、急場はしのげるからである。

7.おおむね言えることは、頑張りすぎた後にうつ状態が待っているということであり、それはむしろ脳を守る反応である。病気の原因は、頑張りすぎて、M細胞やA細胞を休止に追い込んだことにある。イメージとしてはプロ野球のピッチャーが一試合投げたら、しばらく休んで筋肉細胞と毛細血管の修復を待つようなものである。

8.昔は筋肉労働が主だったから、M細胞がダウンするより前に筋肉がダウンしていた。最近は筋肉を使わないので、どのくらい疲労しているかが分かりにくくなった。コンピュータを相手にしていると、どんな人間よりもコンピュータは強迫的であるから、A細胞群はほぼ全滅する。そこにM細胞のダウンも加わる。IT産業の若年者にうつ病が多いのは、このようにして説明できる。これを病気というのは当たらないかもしれない。むしろ、ピッチャーが回復を待つこと、マラソンランナーが、一度走った後はしばらく回復を待つようなものだと思う。それを「筋肉病」とは言わないわけだから、最近のうつ病像も、精神病とはいえないかもしれない。むしろ損傷からの回復過程である。

9.そうはいいながら、仕事は続けなければならない。脳神経細胞を保護する薬を飲みながら、脳神経細胞への負荷量を測定しつつ暮らすのが良い。昔は筋肉が疲労の検出器官だった。いまはコンピュータが壊れるまで気がつかない。睡眠、食欲などを目安にするしかない。睡眠は比較的良い検出器だと思う。

10.あまり頭のいい提案ではないが、コンピュータに累積疲労度を表示して注意を促し、40時間以上の残業になったらログインできなくするなどの対策を考えたいものだ。睡眠時間と睡眠パターンをチェックしておくのもいいと思う。

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境界性人格障害についてsmapgモデル的解釈

境界性人格障害のモデルとしては次の原田先生の提示しているモデルがよく取り上げられる。

・中心となる基本テーマに、
① 自信がない
② 資質を生かせる活動の場が乏しい
③ 支えになる仲間が少ない
の三つがある。
名古屋の尾崎先生は訂正版としてもう一項目の追加を提案している。

・基本テーマから「落ち込み」「空しさ」などの感情が生まれ、対人関係の特徴(たとえば、傷つきやすさ)につながる。
・日常生活の「行き違い」などで「見捨てられた」などと極端に受け止めて、行動化を起こしてしまいがち。
・行動化が「周囲との軋轢」の増大、本人の「後悔」などをもたらし、不安・抑うつ症状や基本テーマが、いっそう悪化する。
・以上をふまえて「典型的なうつ病との違い」や「精神科での治療の内容や限界」を理解してもらう。
・本人の試行錯誤・自助努力で「行動化」を減らし、基本テーマを変えていくことが治療の本質であると伝える。
10027522.jpg

*****
smapg-modelでの説明
・観察として、常時精神病レベルにあり、現実検討がずれているわけではないが、一時的には現実検討が悪くなり、精神病レベルになる。こうした古典的な説明が妥当であるとすれば、とりあえず、自動機械部分が現実とずれている部分があるのであり、自意識部分はかなりの精度で現実を把握していると考えられる。自動機械のずれた行動を訂正せず合理化してしまい、その点では、自意識が原始的防衛機制を使っているから、話が二重にこじれるのだと思う。
・従って、自動機械部分の反応を訂正することと、自意識の原始的防衛機制の使用を訂正することの、両面から治療が必要である。
・上記にある、対人関係の傷つきやすさは、自動機械の反応であろう。たとえば、他人の表情を過剰に傷つく方向で解釈する。自分は嫌われていると解釈する。
・自意識はそれを訂正するのではなく、過激な行動化で反応する。そうすると上の悪循環が成立する。
・自意識がずれていて、自動機械が原始的防衛機制を使うという、逆の場合も想定されるが、その場合には、自意識の束縛が弱くなった時点で普通の行動パターンをとるのだろうということになる。ドーパミン系薬剤は多分この回路に遮断的に働いているので、このパターンの人にならば効くだろう。そうでない、最初に想定した例の場合には、逆効果だろう。
・精神分析で悪化するのは、自意識部分の退行を招くからで、最初に想定したパターンだろう。
・まず自意識がもっと高度な防衛機制が使えるように誘導すること。
・その上で、自動機械=世界モデル1を訂正すること。他人の目つきがどうであっても、いろいろな可能性があるのであって、解釈には幅があることを体得する。
・最近はbipolarとの関連で言及されることも多い。しかし、対人関係の過敏さ、傷つきやすさは、旧来のbipolarの指標には一致しない。人格障害の場合の落ち込み、空虚感は躁うつ病の場合のものとは違うような印象を持っている。気分安定剤がどのように効いているのか、よく分からない。神経細胞を保護する方向で働いていることは確かなようで、とりあえず有用だと思う。
・いずれにしても、現状のモデルの、一歩奥のからくりを説明できるように思っている。かえって分かりにくく思弁的にしているかもしれない。
・このように考えることで何か利点はあるかといわれると特にないようで、困る。いずれにしても治療は同じようなものになる。

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現実を推理する力

現実を推理するとき
物理的世界と
人間と
大きく二つに分けられる

物理世界の推理は、たとえば、
この石ころをどの程度の力で投げたら、
あの柿の実まで届くだろうかとか、そんなこと。
物理学とか生物学になるはずで、それが世界モデルの役割だ。

人間の心理と行動に関しての推理は、
客観的観察をより合わせても、足りないし、遅い。
まず自分の心の動きをモニターして、それを他人にも応用する。
こんなときわたしだったらこうだな、と思う、その推定が第一になる。

石ころの動きや植物に関する予測は、
あまりに「擬人化」していてはうまくいかないので、
ほどほどにするだろう。

人間の心理に関するレパートリーは
各個人でそれほど多くなくて、
男性なら父と兄、
女性なら祖母、母、自分など、
その程度のパターンが多い。
そういった意味でも、家族関係が基礎になる。

ときどき、素朴な人が、「父はそうじゃない」と、男性ならば父と同じはずだと
言い始めることがある。
あまりに素朴というもので、今では懐かしい。

*****
ここで病者の心の推定問題がある
治療者の心の動きをそのまま延長しして患者さんの心を推定すると
往々にして間違う

だから
いったん推測はゼロにして
刺激と反応を収集してモデルを新しく作らないといけない

経験を積むと患者さんの心についてのモデルが出来上がる



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内部をモニター 擬人法

自分の内部をモニターする力は
先天的なものではないと思う

言葉がまず大きな力になる
言葉がないと体験を共有できない
自分の心を鏡に映すこともできない
言葉の網の目を細かくすることによって
内部モニターの微細さが向上する

映画も有効である
映画の時間を生きることで脳のシュミレーション回路が試される
とても変な映画の場合には
自分の脳とのズレを確認すればそれでよい

内部モニターができれば
それを他人に適用できる
こんなときはこのくらい悲しいとか
こんなときはこれくらい悔しい、楽しい、わくほくだ、とか

そのようにして把握していれば外部世界との不一致も敏感に確認できるし訂正もできる

訂正できないといつまでも間違った世界モデルにしたがって生きることになる
それはかなり苦しい
被害的になることが多い
自分を訂正できない以上、外部世界を自分に被害を及ぼすものとして解釈する傾向になる
被害妄想が多いのは
脳がいろいろな壊れ方をしても、結局自分が生きにくいと感じたときには、
世界が自分に被害を及ぼすと解釈すれば
自分の世界モデルを訂正しなくてもすむからだろう

誇大妄想や微小妄想もあるが
それらも気分の変動に応じた二次的な産物かもしれない

他人の心を推理できると
とても有利になる

擬人法というものがあって
心のないものにも心があるかのように解釈する方法で
それが一般に広く共感を持って受け入れられているということは
やはり各人が自分の心の状態をモニターしていて
多くはそれを他人や犬や石ころに適用している

投影ともいう

あ、石ころが寂しいってないてる、つれて帰ってあげよう、など

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世界モデル形成と訂正

たとえばAさんについて、どういう人かなと思って、情報を集める。
刺激してみて反応を見る。
それを集めて、私の心の中に、Aさんのモデルが出来上がる。

そのモデルを使って、こう刺激すれば、こう返ってくるかなと、反応を予測する。
たとえば誕生日のお祝いにどうすれば喜んでくれるのか考える。

実際にいろいろとやってみて、予測と合えば世界モデルが正しいのだし、
予想外であれば、世界モデルがずれているのだ。訂正すればよい。

場合によっては、「あなたは私の世界モデルに一致していないから改めるように」と
要請することもできるが、
あなたがよほど魅力的でない限りやめた方がいい
変な人だということがばれる

世界モデルを訂正する方が早い

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幻聴

幻聴については、
ためしに、図の10.の経路を考えてみ見れば、
分かり易いが、多分そのようなものは少ないだろう。
存在はするだろう。

多くはやはり11.と12.の間で、時間差ができて、
11.が遅延した場合、極端になれば「言わされた」となり、
その手前なら、考えさせられたとなり、
その場合は、幻聴の形になるのだろう。
言葉を与えられる感覚。

わたしには幻聴が聞こえているという妄想を固く守っている人についてはどう考えたらいいのだろうか。
特に考えなくてもいいのだろうか。
図で言えば1.がないのに2.があると感じている人。

いろんな幻聴がありそうで、まず区別したいところだ。

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世界モデルの訂正が難しいのはなぜか

世界モデルの訂正が難しいのはなぜかが
実際には問題になる

分かっているけれど
どうしようもないというタイプは、
自意識と自動機械との接続が悪い人。
このタイプは行動療法的に
自動機械部分の世界モデルを訂正するしかない。

もともと訂正の必要が分からない人は
自己モニタリングの不全があるので、
外部の誰かが内部モニタリングの役目を代行してあげるのが早い解決である。

世の中では母親がその役を担っていることも多い。

治療者が患者さんの「自意識・世界モデル」の内部モニターの
役割を果たし、患者さんがそれを受け入れれば、
話は早い。

ゆくゆく自立してくれれば良い。

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風景構成法と農業維持の費用対効果 田園と日本語 原風景と古層

農業維持の費用対効果をどう考えるかが議論されている
個人的には当面かなりの赤字になってもいいから
農業に投資して欲しいと思う

ひとつは農業生産を上げて食糧自給率を上げること
ひとつは失業対策で合理的な公共事業
ひとつは国土の保全
ひとつは未来型産業の育成・最新科学を産業に転化する場としての農業

こうした側面もあるのだが、
もうひとつ、日本人の心を守るという点でも
農業の維持育成を勧めたいと思う

心理療法療法の一つに風景構成法というものがあり
日本独自のもので諸外国ではまだあまり実施されていないようだ

山、川、田んぼ、家、人、木、などを書いて、
田舎の風景を書いてもらうものだ。

日本の田園風景は、
遠景に山、
中景に田んぼ、
近景に花や家など、
うまい具合に配置されている。
都会にしか住んだことのない人にも、
この方法でやる。

多分、絵本などで親しんだ世界でしかないのだろうが、
それでいい
「家の玄関に立ったときの風景を書いてください」というのでは
治療的な意味が薄れる

なぜなら、山、川、田んぼ、家、そのような基礎的な概念がその人の内部で
関係を再統合することを助けたいからなので、
典型的で基本的なアイテムの典型的で基本的な並び方を再度身に付けることで
精神的な内面世界の再構築が進行する。

言葉の世界で概念の関係の再構築を行なうことと並行して、
絵画の世界で行なう。

なぜ山と田んぼなのだろう。
日本人の原風景だといえば
それらしいが
そうとしかいえない。

子供の頃繰り返し聞いた物語は、
やはり日本の農業生産の現場で起こる物語だ。

おじいさんは山に芝刈りに行き、
おばあさんは川に洗濯に行って、
おばあさんは白状しないものの事情があって桃太郎が生まれた。

牛がいたり馬がいたり犬が走り回っていたり
田んぼがあって花が咲いて大きな木があり
子供たちが遊び

そのような「場所」が日本人のこころの(ユング的・河合的な言葉で言えば)「古層」に眠っている。
これは多分、日本語というシステムの古層に横たわるもので、
日本語を学び話す人間である限りは、
脳を再構築するときには、このあたりから再構築しないといけないのではないかと
見当をつけている。

脳の構築に沿って再構築するのがジャクソニスムの原則であり上田先生の主張であるが、
日本語の層構造に従って、再構築するのも大切だ。

脳はハードウェアであり、
日本語は日本人のOSであり、ソフトなのだ。

日本人のOSの基底に農業風景がある。
だから農業はお金をかけてもいいから守っていただきたい。

*****
ついでに傍論を付記すると、
最近はコンピュータを比喩に使って脳のあれこれを説明することも多くなった。

たとえば自分の内部の世界モデルを自由に書き換えることができる人とできない人がいて、
それはRAM(書き換え自由)とROM(読むだけ。書込み禁止)の違いにたとえられると、むかしある先生に教えてもらった。

ハードの故障が精神病で
ソフトの故障が神経症で
どちらも壊れていないが使い方が悪いというのが三番目、
というのも教えてもらった。

ハードは壊れていないし
ソフトも壊れていないのに
うつ病になって通院する人が多いのは
使い方が悪いからだろう

良い使い方は
農業生活にあると感じている

農業は農業で大変だというとは分かる
しかしIT産業の大変さに比べれば
人間は農業のつらさなら耐えられるようにできているのではないかと思う
ITのつらさに耐えられるのはもっともっと未来の人間ではないかと思う

*****
というわけで、自殺者を減らし、精神病を減らし、適応障害を減らし、
平和に暮らすために、農業が最新生活スタイルになって欲しいと思う。
自給自足で安心できるものを食べて、
精神的にも安定して生活できるなら
最新スタイルだ。

光エネルギーを効率よく利用するのは葉緑素だし、
DNAや有用微生物の研究は農業生活を変えていくだろう。

葉緑素に代表される
自然エネルギーの利用の
延長として、耕作地の一部を発電施設にして欲しいものだ。
風力でも光電池でも波発電でもいいから、
発電して自分で使い、余った分を電力会社に売ろう。

将来はクロロフィルの利用を糸口として、もっと効率の良い
光エネルギーの活用ができるのではないかと思っている。
クロロフィルが光エネルギーを化学エネルギーに変えているわけだが、
そのプロセスに割り込んで、効率よくエネルギーを取り出せないかと思う。

*****
秋田と宮崎で自殺が多いというのは、
上のモデルに合わないのだが、どうしてだろう?

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自我障害smapg-time -delay-model ver.2008

課題 自我障害の説明モデルを作れ

条件 
1.最小限の仮定であること(simple)。オッカム。
2.広汎に説明可能であること(pervasive)。
3.elegant
4.beautiful

解答 時間遅延理論。smapg-time-delay-model ver2008.クリックで拡大。
11.と12.に時間遅延が生じるため、ある場合は能動感、ある場合はさせられ体験、幻聴、ほぼ同時に近いときが自生思考、などとなる。

自我障害smapg-model2008.JPG

説明
・特段奇異なものではなく、脳科学の常識に沿った意見だと思う。
・脳の内部に世界モデルをつくると言っているのは、たとえば小脳について、伊藤正男先生が言ったことと同じである。その実体がどこにあるのか、あるいは分散して存在しているのか、将来の課題である。伊藤先生の場合は小脳という実体が明確だった。

・進化の過程で脳は、外界の刺激に反応する回路であった。行動学でいうS-R理論。
・それについては図の下部、1.2.3.4.13というサーキットを考えれば充分である。
・世界モデル1と名づけておいたのは、自動機械(オートマトン)としての脳の部分である。
・自動機械も、内容としては階層構造になっていて、崩壊するときに呈する症状はジャクソニスムの原則に従う。

・世界モデル2についてはここで「自意識」と名づけているが、自我意識のことで、自己の内面を反省する意識である。
・自意識を発生させることで、人間は、実際に行動してみなくても、脳の内部でシュミレーションができるようになった。わざわざ血まみれになって命を落とさなくてもよくなった。他の生物ではDNAのセレクションというプロセスが、脳の中の仮説のセレクションになっているので、生存に非常に有利である。
・自意識は自意識それ自分自身を意識できるのが不思議でよく分からない。「「自分を考えている自分」を考えている自分」という具合にアクロバットもできる。何重にでもできる。鏡の中の鏡という図でよく解説されるのだが、なにかうまい解釈があるのだろう。どんな補助線を引けばいいのか、不明。

・たとえば、荻野恒一先生が本で述べていること。自意識は、何かに集中していれば、存在をはっきり感じられるが、集中がぼやけているときには、忘れるときもある。駅の改札口を考え事をしながら、定期券を出して通り過ぎ、あとで、そういえば、定期券を出したかなと思うことがある。そのとき人間は自動プログラムで動いている。
・またたとえば、スポーツ選手のインタビュー。見事なパフォーマンスをした後で、「なにも考えずに集中しました。自然に体が動きました。」という場合、自意識は背景に退き、自動機械部分で運動をし、状況判断したことになる。
・脳梗塞の後でぎこちなく歩行練習を始めるときは、自動機械と自意識が一緒になって、シンクロして世界を学習しているのだろう。その時期が過ぎれば自動機械だけで歩けるようになる。その時点で現実世界と世界モデル1.2は、歩行に充分なだけは一致している。

・伊藤先生の小脳モデルが原型である。自転車に初めて乗るとき、大脳が最大限に働く。こつを飲み込んだとき、小脳がすっかり学習している。それからあとは「無意識」のうちに自転車がうまく乗れるようになり、考え事をしていても進めるようになる。
・人間が歩くということもそのひとつである。歩き始めのときは約一歳だから自我意識はまだ充分に発達としてないが、大脳の工夫が、小脳に引き継がれるのだろう。リハビリではこの点が大切で、脳に障害があり、歩行困難になった場合、脳の再構築を考えるには、このような発達のプロセスをきちんと辿らないと、うまく行かないと考える。そのことを強調したのが、上田敏先生で、学生の夏休みの間、つきっきりで見学して教えていただいた。自動車で移動するのが好きで、助手席でよくお話を伺った。
・上田説は脳の階層的構築にしたがって、再構築せよということだと理解している。その後勉強してわたしなりにはジャクソニズムそのものと思うが、上田先生は、Eccles、伊藤の流れなのだとおっしゃっていた。

・階層説に従えば、自我意識は、進化のなかで最も遅く、人間になってようやく明確になった回路であり、自動機械回路の上に乗り、抑制的または促進的に支配し、場合によっては、その存在がなくなっても、存在には支障がない。呼吸器や循環器は自律神経系と脳幹部の働きで保持される。

・おおむね、トライアンドエラーを反復しているうちに微調整しつつ、、予言精度の高い世界モデルを形成していく。
・世界モデルの第一の「世界」は母親である。したがって、母親が人間の代表としてかなりずれている場合には、後に修正に苦労する。
頭の中で発生させた仮設を6.7.8とループさせることで、シミュレーションが成立する。

・内部自意識反応は9により自動機械に影響を与え、内部自動反応に影響し、外部反応に影響する、それが「外部世界」にどう作用し、結果はどうであるか、刺激を介して知り、世界モデル2を修正する。つまりその経路は、5.6.7.9.3.4.13.1.5のループになる。


病態について
1.ヤスパースのいう自我障害
1-1.自我の能動性の障害
時間遅延理論で説明できる。能動性については、図の11と12を比較して、11が早く到着していれば、能動感が生まれ、12が早く到着していれば、させられ体験が生じる。ほぼ同時だが12がわずかに早い場合には、自生体験として感じられる。このあたりはスペクトラム・連続体を形成する。
この点については11と12の時間の到着時間を比較した「時間遅延理論による能動性障害の説明」としてまとめている。

1-2.単一性の意識……これは多重人格について典型的である。これは、世界モデル2が複数個成立していて、場合によって、どれを優位にするか、あるいは、複数個の組み合わせのうち、どれとどれを優位にするか、選択し、自己意識しているものである。それが自動機械に影響を与えて、外見からみても、奇異な行動を取ることになる。

1-3.同一性の意識……これは時間的同一性についていうのだと思うが、コメントすべきことなし。

1.4.自他の区別……このモデル外。

2.
シュナイダーの一級症状:
1.思考化声、……自分の考えていることが声になって聞こえてしまう…図の10、かつ、11よりも12が早く到着
2.問答形式の幻聴、……自問自答が声になって聞こえるもの……図の10、かつ11よりも12が早く到着
3.行動について論評する幻聴、……自分の行為についてコメントする……図の10、かつ11よりも12が早く到着
4.身体的影響体験……どこかを触られるなど……身体感覚の違和感について、11よりも12が早く到着するので、被動感に通じる。
5.させられ感情……11よりも12が早く到着
6.させられ思考……11よりも12が早く到着
7.させられ行為……11よりも12が早く到着
8.被影響体験……11よりも12が早く到着
9.思考奪取……思考がぬき取られる……
10.思考伝播……11よりも12が早く到着すると、すでに相手に伝わってしまっているからだと感じる
11.妄想知覚……
  1. 妄想気分:周囲がなんとなく意味ありげで不気味と感じる。
  2. 妄想知覚:正常な知覚に特別な意味づけがなされる。
  3. 妄想表像:とんでもないイメージを抱く。
  4. 妄想覚性:途方もないことを察知するが実体には何も理解できていない。

    これらの系列の症状である。
    これらは、させられ体験といういわば「監獄」の中に閉じ込められていることによる拘禁反応といえるものだと思う。そのように解釈できないならば、すでに統合失調症性のレベルダウンが進行していると考えることもできる。

3.強迫性障害
自分ではばかばかしいと充分に承知していてやめたいのだが、やめられない。
この病態は、自意識と自動機械の連結が切れていることで説明できる。

行為しているのは自分に違いないが、自分はそうしたくないと思っている。
それは翻訳すれば、自動機械がやってしまうので、それを自意識は止めたいのだが、回路がつながっていない、ということになる。

4.状況意味失認
これは私見では二次的な意味しか持たない

5.初期統合失調症の特異的四主徴
5-1.自生体験……11よりも12が早く到着する
5-2.気付き亢進……フィルター障害のようなものとして説明されている……smapgの自我障害モデルでは説明できない。したがって、本質的に自我障害ではないだろうと考えられる。刺激のカットオフポイントがずれる。それは被動感の兆しに悩まされ、自信を喪失している状態ならば、考え易い。
5-3.漠とした被注察感……注察感は、結局、相手の目つきが問題なのではなくて、目つきに反応して不安が高まり、冷汗が出るという反応が起こり、その反応から逆算して、注察されていると結論しているに過ぎない。1.5.6.7.10.2.3.4.と進行しているはず。8のループにより、冷汗は注察のせいだと結論付ける。「見られている」といえば「被動感」のような感覚があるが区別すべきだろう。「自分が自分を注察していることを、漠然と、他人から見られているように思う気分」、とするならば、このモデルで説明できる。
5-4.緊迫困惑気分……11と12に関して時間遅延が起これば、緊迫して困惑もするだろう。

6.幻聴……何と言っても普遍的な症状。刺激に対してコメントするのであるが、11よりも12が早ければ、させられ体験になり、幻聴になる。

幻聴にも、実際に誰か人のささやきが聞こえる幻聴もあり、
一方では、人がわたしに向かってささやいているという妄想をいだき、聞こえている、命令されていると表現する場合がある。
実際に誰かのささやきが聞こえるタイプは、自分の内部の声を他人の声として聞いているものであって、構造としてはさせられ体験と同様である。内部の声が出るという運動において11よりも12が早ければさせられ体験になり、幻聴となる。
人がわたしにささやいているという妄想については、このモデルでは説明できない。

したがって幻聴の一部はさせられ体験と同じ構造であり、時間遅延モデルで説明できるといえる。

7.離人症……自分については、主体が不確実になり、世界については、もののものらしさが失われる。一部分は能動性の消失で説明できるだろう。しかし被動感まではいかない。ものものもらしさについては、人間の側でものについて予測し、その予測がよく当たっていれば、人間はもののものらしさとしてとらえることができる。しかし一瞬ごとの予測が外れてしまうとき、ものの実感が失われ、離人感が生じる。世界を予測するのは世界モデルである。世界モデルが現実とずれているとき、離人感が発生する。シュミレーションの失敗例である。しかしズレは微弱で、妄想的というほどではない。ところが体験している個人の困難は強く、顕著に疲労する。

もう一つのタイプとしては、自動機械と自意識が切れているとき、離人体験が発生する。自分がやっているのはたしかなのだが、能動性もないし喜びもない。それが困った反復行為になれば強迫性障害だが、迷惑にならない程度の行為の場合には離人症という悩み方になる。

8.背景思考の聴覚化……10.の経路

9.自己モニタリング……6.7.8.のループ。自己モニタリングができないと、他者の行動や感情の推定ができないなる。これはシミュレーション機能の欠損になる。自閉症スペクトラムで顕著に見られる。自己モニタリングができないと、世界モデルの訂正ができない。あるいは、自己モニタリングはできるのに、世界モデルが現実世界と大きく異なってしまっている場合がある。しかしこの場合には、訂正可能の余地がある。

10.自動筆記……世界1と世界2がかなり一致しているときには、自意識を「止める」形にしたほうが、余計な緊張がなくてうまく行くだろう。運動選手でも、芸術家でも、学問をする人でも、経験があるだろう。

11.うつ……このモデルでうつは説明しないが、回路の不全による一般的な疲弊の結果としてうつは発生する。

12.解離……この言葉で一番考え易いのは、自意識と自動機械の解離である。これは意識障害の病理とも関係している。しかしまた、複数の自意識の解離が考えられ、むしろこちらのほうがいわゆる解離性障害として問題になる。

13.統合失調症の場合、世界モデルを訂正しにくい理由……なぜなら、それは思い違いではなく、訂正しようもなく、時間遅延は生じているのであり、被動感は生じ、その延長で被害感が生じ、同じ構造で幻聴が生じる。その場合に、人間は自分の感覚を否定しようがないし、解釈しなおすことも難しい。……しかしながら、以上のような理屈を説明し、概略、機械論的に以上のプロセスが生じていて、不愉快さの一部は二次的なものであると納得できれば、対処は楽になるのではないだろうか。そう期待を込めつつ思う。
平たく言えば、自分の考えが聞こえているのだということになる。なぜか。それは、11.と12.がほぼ同時に、しかし11.が一瞬早く到着すれば、能動感が生じ、一瞬遅れれば、それは幻聴になり、させられ体験になる。
そのことを内的に合理的に説明しようとして必死になり、妄想を発展させる。しかし上のからくりを知っていれば、妄想を発展させる必要は無い。

*****
このようにして述べてくれば、
1.世界モデルはいかにして修正されるか、修正されないか。
世界モデルが粗雑過ぎるとき適応障害を呈し、
世界モデルが修正不可能であるとき、妄想性であると名づけている。

2.線で引いた各所で混乱と錯誤の可能性があり、それぞれは、自我障害の一種と見られる。
特に、11.と12.の時間遅延によってさせられ体験、自生体験、能動感などの現象が連続体として生じると考えられる。

3.世界モデルは生成されつつあるものであるが、最初の人間の脳に、先天的に与えられた「原初の世界モデル」があるだろう。人間とは、世界とはについての、原初のモデル。これこそ「コンセプト」というべきものだ。そこからどのように成長していくかを見れば、人間場合、外界とはまず第一に他人である。他人の第一は母親である。したがって、母親を通してモデルを形成することになる。

核家族化の進行する現代で、母親の機能不全が子供に世界モデルの機能不全をもたらすのは好ましくない。したがって、大家族育児または共同育児が勧められる。

世界モデル1.2と現実世界を比較検討して訂正すれば、
それが現実検討というもので大切なのだが、
多分、直接比較はできなくて、あくまで、S-Rの連鎖を辿るしかないだろうと思う。
その束として、世界モデルができるだろう。

*****
こんなタイプのモデルとしては、
Shared representation の病的拡大
Forward model の障害仮説
Self monitoring の障害仮説
などがある。

*****
このようなモデルであれこれ議論して時間がたつうちに、
リベットの実験が登場、主著は「マインド・タイム 脳と意識の時間」など。
わたしのモデルとは関係があるようで、少し違う気もする。
関連書物もいろいろあり、
たとえば、
深尾憲二朗: 自己・意図・意識- ベンジャミン・リベットの実験と理論をめぐって. 中村雄二郎,木村敏編: 講座生命7. 河合文化教育研究所、など。

*****
さて、simpleだったかといえばsimpleだと思う。動物脳の上に自意識を乗せただけだから。

pervasiveかといえば、どうだろう。させられ体験、幻聴、被害妄想、自生思考、を説明できる。全部ではない。むしろ区別が必要だ。

患者さんに理解できるだろうか。多分、できると思う。

*****
たとえば何かの刺激に対して自動的に動くときも、まったく同じことを自意識も考えて出力しているので能動感が保持される。
ボールが飛んできたからとっさによけたという場合でも、一瞬、自意識のほうが早く届いている。あるいは、リベット流にいえば、自意識の方が早いと錯覚するように回路が組まれている。

なぜなら、まず、視覚、聴覚、触覚その他、人間の感覚が脳で統合されるまでの時間はぴったり同じはずがない。「同時である」とみなす時間調整係がいるはずである。その時間調整係がうまく働かず、自意識からの情報を遅延して受け入れていたら、能動性の障害になり、それがさせられ体験、幻聴、被害妄想、自生思考までの一連のものを説明する。

無題200805024世界モデル.JPG

簡単版はこちら。
患者さんに説明するには
簡単版でいいかもしれない。

最初の図で、こうしなかったのは、
比較照合の部分が世界観の訂正には根本的に重要で、
その情報は自意識に帰ってくるべきだからである。
現実と世界モデルの比較照合と訂正については
さんざん議論があり、
やはりその点をモデルの中に組み込むのがいいと思う。
しかし暫定的に分かり易くいうなら、
上の図で充分だ。

自動機械は自動機械で世界モデルを形成し、
自意識は自意識で世界モデルを形成する。
出力したものが大きく違えば訂正を要するし、
時間的に自意識側からの情報が遅れると、
自我障害が発生する。

こんな風に簡便に説明できるだろう。

*****
薬理
D2ブロッカーが12.に効いてくれれば、自我障害はとりあえず落ち着くだろう。でもそれは11.を促進するものではないので、根本的な解決ではない。

アンフェタミンは11.を直接促進するのだろう。しかし使い続けなければ、11.が遅延するようになる。
そして発病する。

理想的な薬理としては、11.を促進し、12.をややブロックしたい。

その点では、
中脳辺縁系のドーパミン(D2)を遮断して陽性症状を改善するというのが12.の経路、
中脳皮質系のセロトニンを遮断して、中脳皮質系のドーパミン(D2)が出やすくなるというのが11.の経路であれば
話のつじつまは合う。

*****
精神療法
精神療法家としては、薬剤によって、世界モデルの改変がしやすくなることがあれば好都合である。妄想へのアプローチができる。D2ブロッカーでは世界モデルの変更はできない。もちろん、時間遅延を一時的にブロックしてくれれば落ち着くし、落ち着いていれば、言葉も浸透する。

女性ホルモンは多分、そのように効くはずではないかと推定しているが、もちろんそんな目的のためには使えない。
しかし女性ホルモンがたくさん出ているとき、
外界への適応が容易なのであり、だから若い頃のいろいろな試練にも柔軟に対応できるのだと思う。

人生の始まり、赤ん坊の頃には母親由来の女性ホルモンがたくさんあって、環境に対してかなり柔軟に開かれているのではないかと思う。

このあたりは、人生における何度もない、強い学習の成立と関係している。
言語習得に臨界期があったり、それぞれの課題について、臨界期があり、
一定期間開かれて、時期が過ぎれば閉じてしまうようだ。

閉じてしまうから安定しているはずなのに、
女性ホルモンが増えるから、環境に対して開かれて、それはいいことでもあるが不安定要因にもなるだろう。
強迫性障害やパニック障害は、起こらないはずの強い学習が起こり、始まるとも考えられる。強い学習回路は閉じられているはずであるが、ホルモンなどの影響で開いてしまうのだろう。そこに偶然刺激が加われば、学習してしまう。

男性ホルモンはどう働いているのかよく実感がつかめない。

世界観が変更し易い脳の状態を薬剤で整えて、その上で、精神療法を施行したい。

*****
11.と12.の到着時間が問題で、それぞれに薬剤を聞かせればいいことが分かる。
コントミンやセレネースは、多分、両方をブロックしてしまう。

もうひとつ、病理として、世界モデルのズレがあり、それは、モニター機能の弱さ、外部現実の貧困、訂正機能の弱さなど、いろいろに考えられる。

たとえば風景構成法で、風景を書いてもらうが、書いた後で、「へたくそだな」「こんなに思ったとおりに書けないなんて意外だ」といった感想をきく。
書く部分と鑑賞する部分はあまり密接につながっていないらしい。
つまり、出力してから、やっと視覚入力して、「まずい」と分かるような次第で、
私はこれが不思議だ。
下手だと分かっているなら、そしてピカソがうまいとわかっているなら、
鉛筆の線を1ミリずつ動かしていくだけで理想の線にたどり着けそうなものだ。
しかし現実はそうではない。
鑑賞眼があるということと、描けるということとは、別のことだ。
別のことというのは、脳の別々の部分が活動しているということで、
鑑賞部分が運動部分にダイレクトにつながってモニターできれば、
ある種の芸術家だろう。

しかし大半の芸術家は慎重にモニターしているのではなく、
我を忘れて夢中で書いて、結果がいいということだろう。
だから多分やはり鑑賞部分と運動部分は切れているのだと思う。

こうした、出力部分と入力部分が近くにあって相互に干渉し合うような脳の状態にすれば、
ある種の学習ははかどるだろう。
ステロイドホルモンなどはそのような働きをしているのかもしれないと思う。

*****
精神療法のターゲットは世界モデルの改善にある。
世界モデルの大半の成分は人間モデルであるから、
精神療法家が一人の人間モデルとして関わることはできる。
治療関係はモデルとして好都合である。
軽度の依存や尊敬の関係も治療に活用できる。
対人関係で学びそこなったことを
ゆっくり補充して訂正して行けばいい。

時間遅延の事情については、薬剤の活用だと思う。

不安性障害で強い学習が起こって回路が固定してしまった場合、
再度それを開いて脱学習するイメージである。

*****
上で述べている、幻聴、させられ体験、能動感、被動感、自生思考、強迫性障害、など、いずれも、当面の定義はあるものの、その定義の中に成因論として雑多なものを含んでいる可能性がある。むしろ、このモデルで説明できるものを検討して、幻聴やさせられ体験について、成因と現象の分類純化を進めることが大切だろう。いろいろな幻聴が可能である。


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シンメトリーについて 山内先生

PEY.
右脳左脳と言うが、右腕がつながっているのは左脳で、左腕がつながっているのが右脳だ。
世間でよく言うように、右脳が創造的で左脳が計算脳だというような仕組みだと、右手と左手がうまく動くはずがあるだろうか。

確かにそうで、だから、
優位半球に運動命令を送っている神経系が、
右脳の運動領野にも情報を提供して、
実質、
左側に司令塔があり、そこから左経由で出るものと右を経由して出るものとが分かれるのだろう。
だから、右脳の働きが左手の動きに影響を与えるとは考えにくい。右脳には左手に延びる最終中継点があるというだけではないか。

司会.
なるほど、それで、シンメトリーですが、どうかなさいましたか?

PEY.
顔を見ても左右がとてもズレている人がいる。
左手と右手の動きを見ているとかなり量が違う人がいる。

司会.
顔の表情については、末梢神経の問題かもしれませんね。
中枢の問題なら、そこですでに大きくズレていると言うことは、
うまく協調作業ができるとは思えません。

手についてはどうでしょうか。どちらかが沢山動いているのは、何が関係しているのでしょうか。
それが片側半球の活動の活発さを示すものだというのは、
なんだかは信じられない。

PEY.
四肢というものは、優位半球の支配下にある。優位半球の運動コントロール部から発生して、左右の中継地点に至り、そのあと、それぞれの手足に分布する。

だから右脳の特性が左腕に出るというのは間違いのようだ。

しかしここで、左右差の少ない人たちがいて、運動は円滑に進めることができる。
それは運動コントロール以下の部分の左右対称性がかなり上等に保たれていると見ることができる。

司会.
でもじゃあ、左脳が優位半球で、優位半球を傷害された時に、右腕が動かなくなる、左手は動くというのは、
優位半球にある、運動生成部分から出てから後の障害ということになります。
運動生成部分が優位半球にあって、そこが障害されれば、
左右両方とも動かないというのはどうなんでしょう。
そんなことがありますでしょうか。

PEY.
うーん、そうは行かないようだが。運動生成部分というのがいわゆる「部分」ではないのだろうな。

司会.
いや、部分であるはずですよね。
何か広い領域をさすものだとしても、そこから運動領野に指令を出している神経があるわけですから、
その部分が障害されれば、左右ともダウンするはずでしょう。
そうでなければ、どのようにして左右がシンクロして、
一つの目的のためにまとまった動作をすることができるでしょうか。

PEY.
その意味では、左右のシンメトリーは大切な指標になるかも知れない。
左右差なく筋肉を使っているわけだから、それだけ両方の神経の構造の
出来がいいことになるのかも知れない。

対象性が崩れていれば、
末梢の側で何か問題があるということを示しているだろう。
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酸棗仁湯と老健施設

酸棗仁湯は不眠に効くのだけれど、
外来ではなかなか効果が出ない

老健施設で仕事をしている先生は
酸棗仁湯を毎食前に一日三回飲んでもらって
良眠を確保できると言っている。

次の日眠気が残らないし、
夜中にトイレに起きて転倒することもないとのこと。

不思議なことだ。

もしそうだとすれば、
老健施設の何かの要素と酸棗仁湯の何かが
うまく合致していることになる。

それはなんだろう。

毎食前に三回飲んで、
夜にぐっすり眠るという不思議。

棗はなつめのこと。

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