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食べ吐き

「食べたり吐いたりするのは、
すごくイライラするときにはいい治療法よ」
って先生が言ってくれたので治った。

「自分がやっていたのは
自発的な治療法なんだ」
と思ったら、
だんだん食べ吐きしなくてすむようになった。

このようなことが起こるのは神田橋先生やそのような人たちの場合かとも思うのだが、
「これが有名な摂食障害というものか」
「私の人生は摂食障害と戦う人生なのか」
などと思うよりは、
食べ吐きは一種の治療なんだ、
イライラとか寂しさが原因なんだ、
と決められれば、ずいぶん違うはずだろう。

自分でやっていることだけれど罪悪感が強い。
自我異和感はないけれど。
でもどうしようもないなあっていう感じで、
強迫性障害ほどの自我異和感ではないけれど、
自分が選んで決意してやっているというものでもない。
やめたいけれどやめられないという種類のものだ。
わかっているけどやめられないもののひとつだ。
だから、食べ吐きをしていること自体は最悪のことでもないんだよと
言ってあげるといいのだろう。

イライラや不安や寂しさに対処する行動としては、
ギャンブル、アルコール、リストカット、性的逸脱、犯罪、
もっと他人に迷惑をかけて自分もだめにする行動がいくらもある中で、
過食と嘔吐なら、人に迷惑をかけず、
お金を使うとしても破産するほどではなく、
吐くときに胃酸が逆流して、歯をいためてしまったり、
胃食道移行部をいためてしまったりするけれど、
それは人にも見えないしまだ自分で処理すればいい範囲内のことだ。

だから、不安に対処する行動としては、高等な部類なのだ。
しかし考えてみれば、もっと高等な対処行動もあるのであって、
たとえばシャワーを浴びるとか、ジョギングするとか、Wiiに向かって、30分くらい格闘するとか、
いろいろ考えられる。
一番いいのは不安の元を正面から解決してしまうことで、
簡単ではないのは承知のうえだが、
しかし時期を置いて考え直してみれば、
問題も古くなってくるし、自分は成長しているので、
なんとかなるかもしれない。

なんともならなかったらまだ時は熟していないのだ。
待つことだ。

そのあいだ、ピアノを弾くとか、一ページだけ翻訳するとか、
ブログを一本だけ書くとか、
いろいろとできそうである。

*****
食べるのはたいてい発作的に食べてしまうので、
買い置きをしないこと。
ということになり、会社の帰りにコンビニでお菓子を買うとき、
そのときならばまだ、不安に飲み込まれないですむのではないかなとも思う。

また、過食の場面で薬剤を使うのではなく、
食糧を買うときに薬を使ってみたらどうかとも思う。

しかし薬を使うことが合理的な対処行動なのか、
その後困ったことになるのか、
それも、個々の場合による。



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予知能力について

通常のシミュレーションを超えて、
予知能力と呼ぶ領域の
メカニズムについて。

自動機械部分と自意識部分の出力の時間差を測定して、
能動感やさせられ体験を感じているのだが、
自意識部分からの出力がはるかに早くなってしまった場合、
予知能力に近いものになる。

感覚としては、
地上にいて自動車同士の衝突を目撃するのと、
ビルの40階くらいのところから、
ミニカーのような車が衝突する様子を眺めるのとの違いである。

かなり上空から見ていれば、
二つの自動車が衝突するのは必然的にも思える。

地表で見ているとそれは事故に見える。

そのような事情があり、
予知能力というのであるが、
それは特殊な能力ではないと思う。
数少ないという点では特殊であるが、
原理としては特殊ではない。

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性格の鎧をつけ損なったMADたち

MADからmaDまで分布する性格者たちは、
成長するにつれて、性格の鎧を着ける。
鎧をつけ損なったものは、
自身が傷つけられやすく、
また他人を傷つけやすい。
最終的にはD成分が効いて、うつ状態になる。
その経路は様々で、いろいろに提唱されている。

たとえば、未熟型はMADタイプの未成熟者。
ディスチミアはmaDの未成熟者。



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性格類型と処方 待合室のファンタジー

診断的な面接をするに当たって、
症状は大切であるが、その背景を構成する性格構造も大切である。

私の場合はこうなる。
中核にあるMAD構造の割合。
それをくるんでいるシゾチームの様態。
そして対人接触場面を決定する、対他配慮、協調性、同調性の質。
これくらいを10回程度の面接で確認しているのだと思う。

親子関係は示準化石のようなもので、歴史成分をたっぷりと含んでいる。
現在の友人関係や会社での対人関係もたいていは過去の関係の反復であるケースも多い。
かなり少ない対人関係パターンで対応している人が多い。

精神療法は現在の問題を具体的に解決していきながら、
同時に過去の問題を解決するものがいい。
そのためにも患者と治療者が共同して取り組むことが出来る治療利益をしっかり設定する。

薬剤は表面に現れた症状をターゲットにすることもあり、
背景にある性格傾向をターゲットにすることもあり、
それは治療利益をどう設定するかによる。
それは究極的には患者が選ぶものだ。
選択肢を提供するあたりまでは治療者が協力してもいい。

*****
性格構造は、つまり、その人が世界に対してどのように反応するか、その反応の集合であり、
つまりは内的世界モデルである。
正確に言えば、刺激と反応が倒立した世界が脳の中に形成されている。
どのような刺激にどのように反応するか、それを充分な数だけ集めれば、
一つの世界モデルを形成することが出来る。
たいていは矛盾なく整合的であるが、
ときに大きな矛盾を抱え、
その矛盾に命中するような刺激が入力されると、
非常に困る。
困ったときには人間は原始的な反応をする。
どのくらい原始的な反応をするかで、どのくらい困っているかを計ることができる。
大きく困っているときは、世界モデルに大きな矛盾を抱えているときだ。

世界モデルを訂正することが出来ればとてもいいのだが、
「どのように訂正するか」については、難しい問題がある。
だから治療者は訂正の仕方を教えるだけで、
訂正後の着陸地点を指定するのではない。
土台、世界モデルを訂正することは簡単には出来ない。
出来るならとっくの昔に訂正しているはずで、訂正しきれない事情というものがあるはずなのだ。
とすれば、治療者に出来ることは、時間に付き合うこと、
そして時間が熟したら、そろそろなのじゃないか?と言ってあげること、そのくらいだろう。

タイミングを待つのだから無駄も多い。
人生の全部が無駄だといわれれば返す言葉もない。

*****
処方については、少しでも体調と精神状態の「水位」をあげられれば、それでいい。
きっかけになればいい。その程度だ。害にならないのが一番大切だ。
強迫性性格の人は治療に対しても、薬剤に対しても強迫的になるし、
躁的な人はやはり誇大的なことを空想してみたりする。
うつ的な人は悲観的になりがちである。
そのあたりについてちょっと訂正しながら進む。

*****
統合失調症については実際、何が起こっているのか、分からない。
一番悪くすると、進行性の崩壊プロセスである。

でも最近思うのだが、虫歯もそんなものだろう。
虫歯に対して正常カルシウム成分が勢力を盛り返して、
虫歯菌を克服してしまうというのは聞いたことがない。
年をとるに従って、虫歯に負ける。
これはじつに進行的で崩壊的なプロセスである。
だから、統合失調症のプロセスが進むとして、老年期まで延ばしていればそれでいいのだと思う。
根治することは必要ない。出来れば一番であるが、できないのだから、仕方がない。
歯磨きでもして延ばすことにする。

*****
実社会の中で大変なのだから、一息つける場所にしたいが、
わたしは竜宮場は嫌いなのだ。
それなら八丁目に行って欲しいと思う。
竜宮場とは違う意味で一息つける場所。
待つけれど、電車にのって到着を待っているのとも違う時間。
そんな体験にしたいのだ。

映画が始まる前、みんな何かを考えている。そんな時間。

面接の前にはみんな必死で自問自答していると思う。
その時間が大切なのだ。
風呂でも考えるだろうし、布団の中でも考えるだろう。
しかし待合室でも考えるだろう。

待合室でファンタジーは膨らむ。そして自問自答する。
どこまで言っていいか自分に確認する。
そのようなループ。

そのループのかたちが性格なのだが、
それが治療者には見え易くて、患者には見えにくい。
そういうことだ。

反対に、治療者は自分のことが見えにくくなる。それが患者にはよく見える。
だからときどき患者はがっかりする。
こんな人に診察してもらっているのか、と。
でも、治療者が見えるならまだましな方で、
権威の向こうにかすんでいたり、
短時間の接触で何も印象が形成されなかったり、
そんなことも多いだろうと思う。

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性格のたまねぎ構造―2

たとえば、もともとの性格が
MADで、循環気質で、にぎやかで、人好きがして、いいやつだったとして、
やはり多少おせっかいだし、俗世間的なところがあるので、
超俗的な人に憧れたりするものだ。
そこで性格は一つの戦略として、
純朴なMAD(チクロチーム)の外側に、ひとつ鎧をつくる。
それは周りの人のことなんか私にはあまり関係なくて、
真実重要なのはこの宇宙と神と私の三者なのだとか、
そんな超越的な事を考えているふりをしてみたりするのである。
シゾチームという。
それでしばらく生きていると、やはり具合が悪くて、
生来のおせっかいで、人間好きは隠せないので、
シゾチームの衣を脱ぎ捨てるのではなく、
シゾチームが地なんだというふりで、その上にさらにチクロチームの鎧をまとうのである。
そうするとかなり社会性を帯びて、かっこよくなる。
普段はいいやつで、
酒を飲むとちょっとシゾチームなところが見えてしまったりして、
ニヒルになったりもする。
そうこうしているうちに、なんとなく年もとり、いいやつとばかり思われていてもつまらなくて、
もう一枚シゾチームの衣をまとい、神秘性を装うようになる。
するとますます渋い男になる。
チョイワル親父なんかよりも遥かにもてる。
ここまでの道具立てを作っておいて、
ある特殊な関係のときだけ、上手に退行して見せる。
それがまた魅力となる。
女性にすれば独り占めしているという快感がある。
そんなわけで多重的な構造をとるのだ。
これは多分都会の知的な階層のことだろう。
田舎の純朴な人たちはそのまま純朴でいいと思う。
たとえば銚子の港町で、複雑な層構造をした人格がいたとしても、
あまりおもしろがられないだろう。

純朴というのは、わたしのおばあちゃんのような人で、
とてつもなく分かりやすい。
心の動きが全部表情に現れる。
これあげようかといえば、
口ではいい、いらないと言いながら、手はもうすでにこちらに動いているのである。
こころと顔の表面が1ミリくらいしかない。
それが純朴というものである。

おじいちゃんは愚か者だったと私は思う。



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ピック病

発信箱:サザンビーチ=磯崎由美(生活報道センター)

 目の前に浮かぶ烏帽子(えぼし)岩。遠くには江の島。神奈川県の茅ケ崎海水浴場は海辺の恋を歌うサザンオールスターズにちなみ「サザンビーチちがさき」と名付けられている。

 9年前ネーミングにかかわったのが、当時茅ケ崎市商工観光課の職員だった中村成信(しげのぶ)さん(58)。年々利用者が減るビーチに活気を取り戻す地域活性化の一環だった。

 その中村さんが06年2月、市に懲戒免職処分を受けた。スーパーでバレンタインデー用のチョコを万引きして逮捕されたのが理由だ。でも中村さんには犯行の記憶がない。専門医の診察を受け、ピック病と診断された。

 ピック病は前頭葉や側頭葉が萎縮(いしゅく)する認知症で、アルツハイマー病に比べ発症年齢が低い。万引きなど軽犯罪を起こすのも症状の一つだが、社会の理解はまだ乏しい。

 万引き事件は起訴猶予となったが、市は事件後わずか16日で処分を決めた。退職金はゼロ。妻は夫の介護で働きに出ることもできない。

 中村さんは市の公平委員会に懲戒免職処分の撤回を申し立てた。市側が「病気ではなく処分は正当」と反論し審査が続く中、同僚や労組が中心となり「支える会」を結成。名誉回復と病気への理解を広げる活動が始まった。

 若年認知症は働き盛りを突然襲う。仕事に誇りを持って何十年と働いてきて、理不尽な退職に追い込まれたのは中村さんだけではない。

 サザンビーチには活気が戻り、今年のゴールデンウイークも恋人たちやサーファーでにぎわう。中村さんはあの時市長から受けた表彰状を今も大切にしている。

毎日新聞 2008年4月30日 0時04分



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患者の利益と医者の利益

患者が治ることが医者の利益になれば一番いいが
患者はどうなっても有名になれば利益になるという場合もある
患者が治らないことが医者の利益になることもある

二回も胃カメラをしてもらったのははたしてどういうことか
ある医者からの薬はよく効くのに
ある医者からの薬はさっぱり効かないのはどうしてか

有名な医者からの薬だから効くこともある
人間はそういうものだ
有名でない医者は有名でなかったことを後悔するが
有名でない分、ゆっくり患者さんを診察できるのでいいと慰める
有名な医者からの薬と
そうでない医者からの薬を
比較できるのも有名でない暇な医者の楽しみである

国からは75歳以上にはそれなりの対応でいいではないかと
暗黙のメッセージを送られているような気もする

現実に利益が相反しているのは
医療費の負担者と患者である
医者の数が問題というのも一面だが
医者の数を増やすのはまず医療費負担増を決定してからのちの政策だろう
医療費は増やしたくない
医者は増やしたい
患者は受診抑制させたい
そういってもうまくはいかない

医者を増やしても、
現状のままでは、産婦人科と小児科と麻酔科は増えないだろう。
嫌われている理由があるのだ。

医者が少ないのは確かに少ないのだけれど
産婦人科医が立ち去るのはまた別の理由があるのだ

助産婦さんでもいいのではないかという話も出るが
よく考えたほうがいい



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