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逃避型抑うつとディスチミア親和型うつ病

広瀬先生が逃避型抑うつとディスチミア親和型うつ病の違いについて詳述

文中で
逃避型抑うつという名称は知られても,その本質についてはまだ正しく理解されているとはいえない。
としているのは印象深い。

自己愛性格との関係が言及されている。

*****
臨床精神医学37(9):1179-1182,2008

逃避型抑うつとディスチミア親和型うつ病
広瀬徹也
Keywords:逃避型抑うつ(Depression of avoidant type),ディスチミア親和型うつ病(Depression of dysthymic type),新型うつ病(New types of depression),若年勤労者(young adult workers),欠勤症(Absenteeism)

はじめに
近年うつ病の増加とともにうつ病概念の拡散が話題となり,専門家の間でも「偽うつ」,「うつ病もどき」などと語られることを見聞するようになっている。DSMやICDのうつ病エピソードの基準に依拠するだけでは容易に大うつ病との診断がつくだけでなく,少なくとも特定不能のカテゴリーには該当することも,うつ病のoverdiagnosisに関係することは多くの方の指摘どおり事実であろう。しかし,詐病でないかぎり,患者が症状を訴え,日頃できていた仕事や家事ができなくなっている事実があれば,その事態をどう診断し,治療すべきかは医療者に課せられた義務でもある。診断は単なるレッテルでなく,治療方針に連動する見立ての意味であることはいうまでもない。そういう点からは典型的でない,多くは軽症慢性うつ病の臨床単位についての知見の増大と,臨床家のそれへの認識の深まりが要請されているといえよう。

この分野の先駆的研究は笠原・木村の「うつ状態に関する臨床的分類」(1975)5)であり,その後の笠原の退却神経症6)であることは周知の事実である。それに触発されて筆者が「逃避型抑うつ」3)を提唱したのが1977年であるからすでに30年も経過している。まだその名称が引用され,そのような例が今日の厳しい経済環境でもみられることは事実であるので,その類型の存在意義は失われていないと思われる。

最近の類型で注目されるのは樽見らのディスチミア親和型うつ病(2005)7)8)であろう。すでにうつ病概念の拡散が問題になっていた時期も追い風になって,あっという間にその名が知られ,用いられるようになった経過は,「逃避型抑うつ」が知られるようになるのに約10年近くかかったことを思うと,雲泥の差があることに驚きの念を禁じ得ない。現代ではディスチミア親和型うつ病の頻度が桁違いに多く,樽見の記載,命名が適切であったことがインパクトになったのであろう。「逃避型抑うつや未熟型うつ病とめ鑑別は今後の課題である」7)と述べたまま亡くなった樽見に代わってその辺の考察を加えながら,逃避型抑うつの明確化に努めたい。

1.逃避型抑うつの本質的特徴
逃避型抑うつという名称は知られても,その本質についてはまだ正しく理解されているとはいえない。そこで本稿では診断のポイントを挙げることで本質を明示したい。

①連休後や月曜日に欠勤しがち。

②職場(会社)恐怖の症状が出やすく,会社に近づくと不安が強くなり,引き返すことがある。極端な場合は遁走がみられる。

③抑うつ気分や希死念慮は目立たず,おっくう,だるさなどの抑制,倦怠感,易疲労性が前景に出て,寝込みから欠勤に至る。ただし,身体化症状や心気症状はみられない。

④一般の過労気味な勤労者が週末は寝だめをしたり,家でごろごろしがちなのと対照的に,週末は朝早く起きたり,外出やドライブに行くなど活発に過ごす。長い休職にある者が臆面もなく海外旅行に行くのもその延長線上の現象ととらえられる。

⑤評価に過敏であり,認めてくれる上司のもとでは軽躁を思わせるほど張り切り,良い成果を上げることもあるが,逆の場合は極端に落胆し,欠勤となりやすい。反省,自責はないが,さりとて会社や上司を攻撃するほどの精力性は示さない。

⑥他人を押しのけるほどの自己顕示性はないが,自己愛的でプライドは高く,それが傷つけられることには耐えがたいため,それを守るのに汲々としがちである。

⑦典型的には30歳前後の高学歴の男性が圧倒的に多く,女性にもてる傾向があり,既婚者や,恋人がいる例がほとんどである(ただし,遷延後の離婚はありうる)。

⑧転職に走ることなく,休職期間満了まで留まる傾向がある。

⑨病識に乏しく,自ら受診することは稀で,上司,妻,親などの強い勧めで受診,入院に至る。

⑩抗うつ薬の効果は初期にはある程度みられるが,次第に目立だなくなる。Sulpiride,SSRIなどが推奨される。

以上の特徴がみられれば逃避型抑うつといってよく,一般のうつ病との相違はほぼ自明であろう。ブルーカラーや女性のケースでは典型例に比してこれらの特徴が薄まり,過食やギャンブル依存などが目立つことがある。彼らは自己愛性格の特徴と弱力性のヒステリー性格の特徴を併せ持ち,それと気分障害特に非定型うつ病の体質と相まって抑うつや不安,恐怖,軽躁を示しやすくなるものと思われる。DSM-IV 1)にも登場した非定型うつ病の拒絶への過敏性は共通した特徴であり,ヒステリー性格もそこで指摘されていたことではあるが,非定型うつ病では自己愛性格についての明確な言及はない。当初,寝込みのような選択的抑制を示したあと,復職時に不安,恐怖,ヒステリー症状を示す点はDavidsonら2)の非定型うつ病の亜型であるV型とA型を,一人のケースで時期を異にして示すとみることもできる。その他の臨床的特徴については非定型うつ病では記載のないものばかりで,わが国独特の特性とみることができそうである。

2.ディスチミア親和型うつ病との相違について
ディスチミア親和型うつ病とは既述したように,樽見が2005年に発表したもので昨今臨床場面に現れ,問題になった自称うつといわれるものを包含する最新のうつ病周辺群の類型である。この名称の由来について彼は価値判断を避けるため,無機的なものとしてこれを選んだとしており,気分変調症(Dysthymia)との関連を否定している7)。気分変調症はDSMでもICDでも,2年以上の持続という経過因子が1つの主要な基準になるが,ディスチミア親和型うつ病では経過の規定はない。関連する気質として退却傾向(笠原)と無気力・スチューデントアパシー(Walters)が挙げられているように,気分変調症で鑑別上問題になる抑うつ性格とは異なっている。ただし,「どこまでが‘生き方”でどこからが“症状経過”か不分明」という特徴は気分変調症の抑うつ神経症的側面と一致していよう。いずれにしても,スチューデントアパシーから発展した笠原の退却神経症に近いことが予想されるが,そこでの無気力は本業でのものであり,副業や趣味の世界では対照的に精力的であるとの指摘を忘れてはならない。ディスチミア親和型うつ病では字義どおりの退却傾向と無気力が特徴であるようであり,その辺の異同の明確化が必要と思われる。

逃避型抑うつでは本業からの逃避傾向が顕著となるが,趣味や家庭生活では活動性を保持できる特徴から選択的抑制と名付けられており,笠原の退却神経症の選択的退却と最も類似した点といえる。熱中性の時期の存在(逃避型抑うつ)や凝り性(退却神経症)の異同にも微妙な点がある。ただし,それ以外は表1 4)からも明らかなようにほとんど対照的といってもよいほど類似点はみられない。ディスチミア親和型うつ病の最大の特徴でもあり,逃避型抑うつや退却神経症と異なる点は前者が‘自称うつ病‘に置き換えられるほどうつ病の診断に協力的なことであろう。逃避型抑うつでは,職場の上司の命令や家族の後押しでやっと医師のもとに現れるのとは全く対照的である。もっとも,彼らもひとたび入院すると模範患者となる特徴を忘れてはならない。

一方,ディスチミア親和型うつ病はその後も「“うつ症状”の存在確認に終始しがちで,“うつの文脈”からの離脱が困難で慢性化する特徴がある」とされる(表2)。結果的には気分変調症同様,2年以上の経過をとる慢性軽症うつ病という形になりうるが,初期段階の彼らについて樽見は次のように述べて相違を強調している。「一般に気分変調症と診断しうるような‘くすんだ感じ‘も彼らにはまだ見られない。彼らはvividとは言えないまでも,慢性化した抑うつによって心的弾力性そのものを長期的に侵食されたかのような現れは,まだないのである。そして臨床場面に現れた彼らは,気分変調性障害の診断基準にも典型像にも合致しないまま,大うつ病エピソードの基準を満たすことになる」と。

ディスチミア親和型うつ病と逃避型抑うつとの類似点を強いて挙げると,両者とも抗うつ薬の効果がある程度,部分的にみられること,休養と服薬のみではしばしば慢性化すること,置かれた場,環境の変化で急速に改善することがある点であろう。最後の特徴は非定型うつ病や適応障害の特性に共通する部分である。また逃避型抑うつの自己愛性格的要素に対してディスチミア親和型うつ病では「自己自身(役割抜き)への愛着」との記載に近似性が認められる。「規範に対しで’ストレスである’と抵抗する」との樽見の記載は逃避型抑うつでもある程度妥当するが,一方で上司に一体感を求め,それが得られると軽躁を思わせる仕事への没頭を示す双極Ⅱ型的特徴は,ディスチミア親和型うつ病の特徴に挙げられている「もともと仕事熱心ではない」とは本質的に異なるものといえよう。

おわりに
逃避型抑うつの本質のレビューと,最近話題になっているディスチミア親和型うつ病と対比しながら考察を行った.両者は頻回ないし長期欠勤になりやすい若手勤労者という点で,昨今のわが国の産業精神保健分野で共通の問題となっているが,既述のように両者の本質はむしろ対照的な面が多いことを強調しておきたい.

文献
1)American Psychiatric Association:Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,fourthedition(DSM-IV),Washington DC,1994
2)Davidson JR,Miller RD,Turnbull CD et al:Atypical Depression.Arch gen Psychiat 39:527-534,1982
3)広瀬徹也:「逃避型抑うつ」について.宮本忠雄編:蹄うつ病の精神病理2.弘文堂,東京,1977
4)広瀬徹也:「逃避型抑うつ」再考.広瀬徹也,内海健編:うつ病論の現在.星和書店,東京,2005
5)笠原嘉,木村敏:うつ状態の臨床的分類に関する研究.精神経誌77:715-735,1975
6)笠原嘉:退却神経症.講談社,東京,1988
7)樽味伸,神庭重信:うつ病の社会文化的試論一特に「ディスチミア親和型うつ病」について.社会精神医誌13:129-136,2005
8)樽味伸:現代社会が生む“ディスチミア親和型’臨床精神医学34:687-694,2005

1逃避型抑うつと退却神経症の相違点

逃避型抑うつ

退却神経症
①選択的抑制選択的退却
②軽躁状態ありうるなし
③抗うつ薬の効果ありなし
④日内変動ありなし
⑤ヒステリー症状ありなし?
⑥優位な状況でのリーダーシップなし
⑦女性との結びつき強い希薄
⑧熱中の時期あり凝り性
⑧弱力性ヒステリー性格,自己愛的強迫的,分裂気質的
20歳代後半~30歳代20歳前後
 

2

  
ディスチミア親和型うつ病および逃避型抑うつの対比 
 ディスチミア親和型うつ病(樽味ら 2005逃避型抑うつ(広瀬 1977
年齢層青年層30歳前後
関連する病態 student apathy(Walters)退却傾向(笠原)と無気力非定型うつ病 
病前性格自己自身(役割ぬき)への愛着弱力性のヒステリー性格
 規範に対して「ストレス」であると抵抗する自己愛的傾向
 秩序への否定的感情と漠然とした万能感 
 もともと仕事熱心ではない 
症候学的特徴不全感と倦怠選択的抑制
 回避と他罰的感情(他者への非難)出社に際し不安,恐怖症状
 衝動的な自傷,一方で“軽やかな”自殺企図 
治療関係と経過初期から「うつ病」の診断に協力的初期は病識が乏しい
 その後も「うつ症状」の存在確認に終始しがちとなり「うつの文脈」からの離脱が困難,慢性化入院後は模範患者になる
薬物への反応多くは部分的効果にとどまる(病み終えない)初期は比較的良好
認知と行動特性どこまでが「生き方」でどこからが「症状経過」か不分明「(単なる)私」から「うつの私」で固着し,新たな文脈が形成されにくい連休後に欠勤しやすい
女性との強い結びつき
拒絶への過敏
予後と環境変化休養と服薬のみではしばしば慢性化する理解ある上司の下では好調となる可能性,
全体的には不良
 置かれた場・環境の変化で急速に改善することがある 
 



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長期投薬も統合失調症と躁うつ病では意味が違う

統合失調症と躁うつ病に対してそれぞれの薬剤を長期投与した場合の効果はかなり違うと考えられる

1.
統合失調症の場合にはドーパミンレセプターに蓋をする薬であるから、
それが長期にわたるとドーパミンレセプターにはアップレギュレーションが起こる。
これはつまりレセプターの数が増えて敏感になるということで、
薬剤の長期漫然投与は過敏性を増し、再発危険性を増すのである。

特に外泊をしたりして薬剤が一時的に抜けたときなどは、増えたレセプターが存在し、
しかも蓋もなくなるのであるから最高に過敏な状態になってしまう。

そして再発し、主治医は薬剤を増量し、そのままで固定して、さらに一段とアップレギュレーションが進行し、
結果として過敏性は増大する。
こうした悪循環の中で時間が経過する。
統合失調症の場合、長期大量投与するほど、再発の危険を高める。

2.
うつ病の場合。これはセロトニン系薬剤やバルプロ酸などの気分安定薬を使う。
SSRIを入れている間にシナプス間隙のセロトニンは増加し、そのことでセロトニン・レセプターは
ダウンレギュレーションを受ける。
結果としてセロトニン・レセプターは減少し、過敏性を抑制できる。
すると長期使用の結果としては過敏性の抑制ということで、これは統合失調症の場合とは逆の結果になる。
うつ病の場合には長期投与するほど再発を予防できる。

3.
違いはドーパミンレセプターに蓋をするメカニズムと、セロトニンを増やすメカニズムの、メカニズムの違いにある。

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MAD理論推敲の経過

MAD理論の中心部分についてはずっと昔に思いついていて、
そのつもりで読むと、森山論文などは類似の部分をだいぶ含むようだと感じていた。
精力性、強迫性、弱力性と規定して、それらの混合の仕方でいろいろな病前性格を
記述できることは分かった。
この他の性格要素としていろいろ挙げられるが、同調性、対他配慮などが問題として残った。

状況因とかの話になるとうまく結びつかなかった。
その後のSSRIなどのセロトニン説についても結びつきが難しかった。

笠原先生の病前性格の解説は何度も読んでいたけれどもやはりいろいろなことがいわれているのだという印象しかなく、
各病前性格について少しずつ現代的な修正があったりなど、ますます難しくなっている。
そのあたりは
笠原嘉:うつ病の病前性格について.笠原嘉編「躁うつ病の精神病理1」弘文堂,東京,1976 ; 1―29,
でもすでに言及されていて、
いったい何がどういう関係にあるのかとてもわかりにくかった。

しかしながら実際の患者さんについて考察してみると、
それぞれの類型によく当てはまる例も経験するもので、
やはり病前性格類型は有効なものだとも感じていた。

ある日、原田誠一先生の小さな規模の講演会があって、
うつ病の認知療法の話を聞いていると、
原田先生がまとめるには、
笠原先生の説では、うつ病の病前性格の一部は、まとめていえば、
熱中性、几帳面、持続する陰性気分、対他配慮の四点だという。

なんとこの順番で私の考えているMAD+対他配慮となっているわけで、
前者三つと対他配慮は明らかに別物だとひらめいた。
前者は生物学的な要素で、他者配慮は社会的な要素なのだ。

そのようにして整理してみると、各病前性格の位置づけがはっきりするし、
それからどのようなうつ病が発生するのか理解できた。

そしてその上に、現在進行中の、自己愛の肥大化と未熟性のままとどまる傾向を加味すれば、
現代に見られるうつ病の諸類型も分類整理できることが分かった。他者配慮の変質も説明できた。

*****
それでは現在いわれているセロトニン説はどうなるのだろうか。
おそらくセロトニン系のレセプターについてダウンレギュレーションが進行するため
神経細胞の過敏性が抑えられる。
そのことでMA細胞の反応亢進と休止が回避されることになるのだろう。
それはつまり、予防効果があるというに近い様相である。

憂うつ、いらいら、不安が収まるのに一ヶ月、さらに三ヶ月目くらいで興味が戻り、意欲が回復するという説明は、M細胞の回復の進行程度を表していると考えられる。

SSRIの効果はレセプターの過敏性が訂正されることで説明されるだろう。
興味が回復するとは、
ジャクソニスムでいうと興味を抑圧していた成分が弱くなるという解釈になる。
それで本来の興味が発現することになる。
この時間的プロフィールをMAD理論は説明できるかということになる。

これは細胞修復は深部から浅部に向かって時間的に進行するわけで、
そこが関係しているだろう。

破壊が起こるときは多くは浅部から始まって深部に破壊が及ぶ。

従って症状の進行に順序があり、回復は逆の順序になる。
これは大脳皮質の破壊と修復に関する脳内出血後のリハビリテーションの原則となる。

つまり、うつ病では壊れる順序があり、回復する順序がある。
回復する順序に従ってリハビリすべきであるという原則になる。
これがジャクソニスムである。



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近親相姦のタブーが重要であるわけ

フロイトが初期に言ったことは世間を驚かせた。
無意識とか
性的欲望の抑圧とか
近親相姦のタブー、エディプス・コンプレックス、
口唇期、肛門期、性器期など。

後半期のフロイトはとっても難しくなり、弟子たちはさらに思弁的になっていくのだが、
初期のフロイトは生物学的な開業医だから
分かりにくいことはない。

ダムのモデルとか、抑圧のモデルとか、水力学のイメージで、とてもくっきりしている。
現代の脳科学はその実質を明らかにしつつある。

その中で近親相姦のタブーであるが、
まず、最近の研究で、人類の始まりは一人の女性、ルーシーだったのではないかといわれていて、
そのあたりは具体的にどの人というのは難しいとしても、
多分、複数の人が同時に人類の特徴を備えたはずはなくて、始まりの人がいただろう。
どこから始まりとはいえないとしても、
このあたりから徐々にとはいえるわけだ。

そう考えると、しばらくの間は、その種の優位性を継続するため、拡散させないために、
近親相姦が必要だったのではないかと考えられる。

人類の始まりまで遡らないまでも、
自分から起算して、2の累乗を考えると、祖先の大部分は親戚同士でなければならないことになる。

いずれにしても、独自の形質を保存するため、また、財産を散逸させないため、
近親相姦はありうることだったはずだ。
それが、近親婚は奇形や流産の割合が高いといわれ始めて、
考えを変えたのだろう。

人類の初期の段階では、サルとセックスをするよりも、近親相姦のほうが利益があった。
人類の後期に至ると、近親相姦を禁止したほうが利益があった。

文化人類学で「交換」の様態を観察すると、大切な贈り物の中に女性は必ず入る。

戦争で男は捕虜になり女は遺伝子資源になる。

その頃になるともう、なるべく遠い遺伝子を求める傾向が顕著になる。

しかし人類の最初に、遠い遺伝子を求めることは有利なことではなかった。

だから、脳の記憶の中で、そのころの記憶は、あいまいで、出来れば忘れたいのだが、
ときどき蘇るのだろう。

*****
またたとえば、言語であるが、
現在ある種々の言語は、始まりの時点では一つのもので、
それが各地に分かれて、独自の方向に行ったのだろうと思われる。
すべての言語は方言であるということになる。

*****
これをクロスさせて考えると、
言葉を話すということは人間であるということで、
セックスしていいということだ。
そして違う言語を話すということは、
遺伝子的に遠いということで、
これは種の進化にとってはとてもよいことだ。
だから、違う言葉を話す人というのは、
セックスの対象として好ましいのである。

しかし一方で、その後の家庭生活とか、財産問題とか、親戚づきあいとか、
いろいろ考えると、同じ言葉を話す仲間の方が安心できる。

これは拡大された近親相姦なのである。

近親相姦のタブーが有効である範囲がどのようにして決まるのかといえば、
異種交配による新しい形質の獲得と、近親相姦による劣性遺伝子の発現と、
そのバランスと、家族や財産、つまり社会の側の問題と、その兼ね合いということになる。
ある時点で近親相姦の利益は近親相姦の不利益に負ける。

以上から推論すると、ある時点で、日本人同士の結婚は、不利益の方が大きくなるだろうと思う。
日本語を話す人同士の結婚は近親相姦の拡大だからだ。



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うつ病・病前性格・自己愛の文献

この分野でまず参考になるのは笠原先生の単行本。時間を節約するためにも。

笠原嘉 精神科医のノート.みすず書房,1976
笠原 嘉 青年期―精神病理学から (1977年) (中公新書) (新書 - 1977/3)
笠原 嘉 不安の病理 (岩波新書 黄版 157)  (新書 - 1981/5)
笠原 嘉 退却神経症―無気力・無関心・無快楽の克服 (講談社現代新書)  (新書 - 1988/5)
笠原嘉 外来精神医学から.みすず書房.(1991)
笠原嘉 『軽症うつ病― 「ゆううつ」の精神病理』講談社現代新書、一九九六年
笠原 嘉 精神病 (岩波新書)  (新書 - 1998/10)
笠原 嘉 アパシー・シンドローム  岩波現代文庫  税込価格: \1,155 (本体 : \1,100)
笠原 嘉 精神病と神経症  2巻セット  みすず

論文としてはたくさんあるがうつと病前性格に関するもので挙げると
笠原嘉・金子寿子:外来分裂病(仮称)について.笠原嘉:精神病と神経症第1巻.みすず書房,pp295-311,1984
笠原嘉:うつ病の病前性格について.笠原嘉編「躁うつ病の精神病理1」弘文堂,東京,1976 ; 1―29,
笠原嘉:うつ病看護のために一社会参加の訓練を「いつ」「どう」始めるかー.精神科看護
笠原嘉:現代の神経症-とくに神経症性apathy(仮称)について.臨床精神医学2(2)153-162,1973
笠原嘉,木村敏:うつ状態の臨床的分類に関する研究.精神経誌77:715-735,1975
笠原嘉:アパシー・シンドローム:高学歴社会の青年心理.岩波書店,東京,1984
笠原嘉:二十歳台のうつ状態.躁うつ病の精神病理第5巻.弘文堂,pp225-248,1987
笠原嘉:診察室での軽症うつ病の臨床研究.広瀬徹也,内海健(編):うつ病論の現在一精緻な臨床をめざして.星和書店,pp199-212,2005
木村敏,笠原嘉:うつ状態の臨床的分類に関する研究.精神神経学雑誌77:715-735,1975
笠原嘉:うつ状態の臨床的分類試案(笠原・木村案)再論.精神経誌,81:786-790,1979.
笠原嘉 軽症うつ病について 月刊 臨床精神薬理 第6巻2号 2003年2月
笠原嘉:各科を訪れる可能性のあるデプレッション.心身医24:6-12,1984

最近発言が盛んなのは坂元先生
坂元薫:気分障害と人格.「気分障害の臨床」(神庭重信,坂元薫,樋口輝彦)星和書店,東京.1999 ;147―163,
坂元薫:臨床精神病理学的観点からみた Comorbidity概念の意義と問題点.精神科治療学,12:751-759,1997.
坂元薫:気分障害における病前性格の生物学的意義.精神科2002 ; 1 : 433―443.

執着気質の元の論文
下田光造:躁うつ病の病前性格について.精神経誌,43:45-101,1941.
下田光造:躁うつ病の病前性格について.精神経誌,45:101-103,1941.
下田光造:精神衛生講話.同文書院,pp.85-87,東京,1957

逃避型抑うつについての元の論文
広瀬徹也:「逃避型抑うつ」について.宮本忠雄編:躁うつ病の精神病理2.弘文堂,東京,1977
広瀬徹也:精神疾患におけるcomobidity概念の成立.精神経誌99:942-949,1997
広瀬徹也『抑うつ症候群』金剛出版、一九八六年
広瀬徹也:「逃避型抑うつ」再考.広瀬徹也,内海健編:うつ病論の現在.星和書店,東京,2005
広瀬徹也: 臨床精神医学講座第4 巻気分障害(広瀬徹也, 樋口輝彦責任編) . 中山書店, 1998,pp .3 - 19 .
広瀬哲也 Soft Bipolar Spectrum臨床精神医学, 30(6) : 667-669, 2001.

未熟型うつ病
阿部隆明:「妄想型うつ病」の精神病理学的検討一うつ病妄想の成立条件‐病前性格との関連-。精神経誌,92:435-467,1990.
阿部隆明:時代による精神疾患の病像変化気分障害.精神医学47:125-131,2005
阿部隆明,大塚公一郎,永野満,ほか:「未熟型うつ病」の臨床精神病理学的検討一構造力動諭(W.Janzarik)からみたうつ病の病前性格と臨床像.臨床精神病理16:239-248,1995
阿部隆明 Soft bipolar disorder(軽微双極性障害)概念について 臨床精神医学, 35(10) : 1407-1411, 2006.

自己愛について
牛島定信:現代社会と自己愛型人格障害.精神科治療学10:1231-1237,1995
牛島定信:臨床現場からみた職場の人格障害産業ストレス研究(Job Stress Res.),11,199-204(2004)[特別講演]
小野和哉 悪性自己愛 臨床精神医学第30 巻第2 号 
小野 和哉 高齢者の自己愛性人格障害
小此木 啓吾 自己愛人間 ちくま学芸文庫 1992
小此木 啓吾「ケータイ・ネット人間」の精神分析 朝日文庫  2005

ディスチミア親和型の元の論文
樽味伸,神庭重信:うつ病の社会文化的試論一特に「ディスチミア親和型うつ病」について.社会精神医誌13:129-136,2005
樽味伸:現代社会が生む“ディスチミア親和型’臨床精神医学34:687-694,2005

メランコリー親和型の元の論文
Tellnbach,H.:Melancholie.4.erweiterteAun.Springer,Berlin,1983(木村敏訳:メランコリー.改訂増補版,みすず書房,東京,1985).

病前性格など
神庭重信,平野雅己,大野裕:病前性格は気分障害の発症規定因子か.精神医学2000 ; 42 : 481―489.
神庭重信,平野雅巳,大野裕:病前性格は気分障害の発症規定因子か:性格の行動遺伝学的研究.精神医学42:481-489,2000
神庭重信、坂元薫、樋口輝彦『気分障害の臨床-エピデンスと経験』星和書店、一九九九年

うつとパーソナリティー
津田均(2005)うつとパーソナリティー.精神神経学雑誌,107(12);1268-1285.
秋山剛,津田均,松本聡子ほか:循環気質とメランコリー気質:気分障害の性格特徴に関する 実証研究.精神神経学雑誌105:533-543,

非定型うつ病
加藤敏 DSM-Vに向けたJW Stewartらによる非定型うつ病の診断試案の評価と吟味

beard型うつ病
加藤敏「現代の仕事、社会の問題はどのように精神障害に影響を与えているか」精神科治療学 2007; 22:121-31
加藤敏 Tellenbach 型うつ病からBeard 型うつ病へ 2007 Bulletin of D&A

現代型うつ病
松浪克文・山下喜弘(1991a)社会変動とうつ病.社会精神医学,14;193-200.
松浪克文 うつ病の今日的病型と病態解明の意義 Bulletin of Depression and Anxiety Disorders Volume 5, Number 1, 2007
うつ病者の生活リズムと競争社会 松浪克文 こころの健康, 10(1) : 54-61, 1995.

治療について
原田 誠一 精神療法の工夫と楽しみ 金剛出版 2008
神田橋條治(1986)うつ病の回復過程の指標.精神科治療学,3;355-360.
神田橋條治(2005)双極性障害の診断と治療一臨床医の質問に答える一.臨床精神医学,34(4);471-486.
黒木俊秀(2005)薬物療法における精神療法的態度の基本一処方の礼儀作法-.臨床精神医学,34(12);1663-1669,
佐藤哲哉・成田智拓・平野茂樹,他(1998)気分変調症の精神療法.臨床精神医学,27(6);653-663.

総論的な関心
中安信夫:精神科臨床診断の思想一臨床診断基準に求められるものは何か.臨床精神医学講座 24,精神医学研究方法(松下正明総編集),pp.69- 81,中山書店,東京,1999.

その他
心療内科からみたテクノストレス症候群 村林信行, 筒井末春Pharma Medica, 12(6) : 61-64, 1994.
宮本忠雄:躁うつ病における混合状態の意義----一臨床精神病理学的検討.臨床精神医学,21〔9〕:1433-1439,1992.
森山公夫:躁とうつの内的連関について.精神経誌,67:1163-1186,1965.
森山公夫:躁うつ病者における性格と発病状況の両極的把握について.精神医学,10:352-356,1968.
吉松和哉:Comorbidityとは何か.精神科治療学,12:739-749,1997.

雑誌特集
『臨床精神医学(特集・気分変調症の臨床)』二七巻六号、一九九八年
『臨床精神医学(特集:軽症うつ病の臨床)』二二巻三号、一九九三年
「臨床精神医学」「特集 うつ病周辺群のアナトミー」2008年9月号

DSM関係
4)American Psychiatric Association:DSM,IV sourse book. APA,Washington,D.C.,1996.
5)American Psychiatric Association:Diagnostic and Staitical Manual of Mental Disorders,4th ed. text revision(DSM-TR,TR).APA,Washington, D.C.2000.(高橋三郎,大野裕,染矢俊幸訳: DSM-IV-TR精神疾患の診断・統計マニュアル。医学書院,東京,2002.)

双極スペクトラム論で有名なAkiskal
Akiskal HS, Hirschfeld RMA, Yervanian BI : The relationship of personality to affective disorders. Arc Gen Psychiatry 1983 ; 40 : 801―810
Akiskal,H.S.,Bitar,A.H.,Puzantian,V.R.et al.:The nosological status of neurotic depression:a prospective 3-4 year follow-up examination in light of the primaly secondary and the unipolar-bipolar dichotomies.Arch.Gen.Psychiatry,35:756-766,1978.
Akiskal,H.S.:Dysthymic disorder:psychopathology of proposed chronic depressive subtypes.Am.J.Psychiatry,140:11-20,1983.
AkiskalHS,BitarAH,PuzantianvRetal:The nosological status of neurotic depression:a prospective three-to four-year follow-up examination in light of the primary-secondary and unipolar-bipolar dichotomies.Arch Gen Psychiatr 735:756-766,1978
Akiskal H:Mood Disorders:introduction and overview.Kaplan&Sadock’s Comprehensive Textbook of Psychiatry,7th edition.Lippincott Williams&Wilkins,Philadelphia,pp1284 --1298,2000
Akiskal,H.S.& Cassano,G.B.(eds.) Dysthymia and the Spectrum of Chronic Depressions,The Guillford Press,1977.

性格論で有名なCloninger
Cloninger CR, Svranik DM, Przybeck TR : A psychobiological model of temperament and character. Arch Gen Psychiatry 1993 ; 50 : 975―990.
Cloninger CR : A systematic method for clinical descriptionand classification of personality variants : A proposal. Arch Gen Psychiatry 1987 ; 44 : 573―589
Cloninger CR, Przybeck TR, Svrakic DM : The tridimensional Personality Questionnaire : U.S. normative data. Psychological Report 1991 ; 69 : 1047―1057.
Cloninger,C.R.,Svrakic,D.M.and Przybeck,T. R.:A psychological mode of temperament and character.Arch.Ge11.Psyc11jatry,50:975-990, 1993.

メランコリー親和型について疑問を呈しているのは古川先生
Funrukawa T,Nakanishi M,Hamanaka T:Typus melancholicus is not the premorbid personality trait of unipolar(endogenous)depression.Psychiatry Clin Neurosci 51:197-202,1997
古川壽亮(1998)気分変調症.(松下正明・浅井昌弘・牛島定信,他編)臨床精神医学講座4気分障害.pp.257-272,中山書店.

ドイツ精神医学的
SchneiderK:KlinischePsychopathologie.平井静也,鹿子木敏範訳:臨床精神病理学改訂増補第6版,文光堂,東京,1962

こちらは精神分析的
Kernberg,O.;Clinical dimensions of masochism.ln:Masochism;Current Psychoanalytic Perspectives ed.by Glick,R.A.,Meyers,D.I., Hillsdale,N.J.),pp.61-80,Analylicpress, Hillsdale,1988.
Gunderson,J.G.,Phillips,K.A.:A cullent view of  the interface between borderline persollality disorder and depression.Am.J.Psychiatry,148:967-975,1991.

 



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インターネットとこころの悩み 新橋心療内科編集室

インターネットとこころの悩み
               
 現代日本に生きる我々にとって、インターネットや携帯は心理的環境の重要な一部であり、こころの悩みの原因のひとつとなっている。実証的な記述ではないのが残念ではあるが、以下に要点を記したい。

Ⅰ ネット社会の特質

 ネットや携帯が社会不安を拡大していると議論され、ネットと携帯は現代的「悪のゆりかご」の印象がある。特質を次のように抽出できる。

A 匿名性

 匿名だから卑劣なことを書くのだと思われているが、実は匿名性はすでに見かけ上のものである。自分のことを書かれた個人にとっては、誰が書いたのかを知ることは心理的ショックの直後でもあり億劫であるが、気持ちを立て直して「プロバイダ責任制限法」により削除を請求し、情報開示を求めればよい。ネット上に請求の書式があり費用はかからない。

 発信側について言えば、現実のその人からは考えられないくらいの過激な言葉を書いていて驚かされる場合もある。以前は自動車を運転するときに突然普段の人格からは考えられないような攻撃性を見せる人がいて話題になったこともあるが、ネット上でも、現実人格とネット人格に段差があるのではないかと思わせられる例もある。受信側について言えば、韓国での事件のように自分について書かれた言葉に絶望して、命を絶つ場合もある。ネット被害から自分を守る方法を学び、周囲は心理的支えになりたいものだと思う。

B 孤独

 鳴らない携帯は孤独を突きつける。そばに話せる人がいないから携帯に閉じこもり、書いてはいけないことを書いてしまうものだ。一般にメールやネットでは表現が極端で断定的になる傾向があり、ときに過剰に他罰的となり他人を傷つける。また逆に他人からの言葉が配慮のないものに思えて深く傷つくことがある。内容が少しきついかもしれないと思うメールを発信する場合には一晩くらい待ってみた方がよい。家族や友人とのリアルな交流の中で相談するのがよい。

C ひきこもり

 不登校の生徒がたいてい時間を割いているものは、ゲーム、ネット、携帯である。これには次の二つのタイプがあり対処が異なる。
1.もともと対人関係の不全があり、学校に行きにくくなり、ネット社会に慰めを見いだした場合。このときは親が携帯とコンピュータを取り上げるとますます追い込んでしまうといわれる。
2.もともと対人不全はなく、ゲームにはまり込んで不登校になった場合。これはゲームとコンピュータを親が管理することで解決することがある。

D 陰湿ないじめ・性的暴力的情報・犯罪への入り口・仲間

 たとえば違法薬物の入手方法が分かるし使用マニュアルも手に入る。援助交際への入り口にもなる。ネットは犯罪へのハードルを低くしている。いじめの温床にもなっている。現実の生活では知り合うことのできないような、珍しいタイプの人と知り合うことができる。

E 子どもの養育に関する悪影響とゲーム依存・ネット依存

 小児科医の指摘によれば、まずテレビやビデオに育児をさせていることが問題である。これでは感情応答性がうまく育たない。小学生頃からはゲームに熱中することになり、これには親も手を焼いている。典型的には夜更かし・朝寝坊、朝食抜き、遅刻、忘れもの、保健室登校、不登校になる。そして本格的に一日中ロールプレイイング・オンラインゲームに向かう。このタイプのゲームは終わりもなく続き、チャットの要素も入っているので完全な孤独でもない。時々は主催者側のイベントが入り退屈しない。他の参加者と共同の行動をとることがあり、そこにはオンラインゲームなりの人間関係ができる。これは現実の人間関係よりも薄く一面的なもので人間関係の練習にはならないと言われるが、一方で現実の人間関係で行き詰まった人にはすこしほっとできる場所であるとも言われる。

 ネット中毒やゲーム中毒さらにはゲーム脳といわれることもある。ゲームに熱中しているときの脳の働きを調べると、脳のきわめて一部分しか使っていないようである。映像処理部分だけが活発になっていて、前頭葉の人間らしい思考は停止していることが分かる。ゲームに時間をとられるので、共感性や社会性を発達させる機会が失われる。

 小さな子どもの場合に、ゲームをしている間、親がそばで一緒に画面を見て、親自身が感情応答をして見せること、また子どもが画面に反応したらそれに対して親が感情反応するというようにすれば多少はゲームの害を改善し、共感性を養うことができるかもしれない。

F リアルとバーチャルの区別

 事件の関係者についてリアル(本物)とバーチャル(仮想)の区別がはっきりしていないとする議論がある。ゲームの世界に慣れてしまい、現実を歪めて把握しているのではないかとする。そのことを正確に診断するのは精神病理学の領域になるがマスコミではしばしばいわれることである。

 しかし発達途中の子どもの場合には現実と仮想の適切な混同は健康な現象であり、アンパンマンになりきって遊んでいる。大人になっても、両者の区別を適切な場面で適切にできていればそれで良いわけで、場面によってはほどよく人格退行して、区別を曖昧にして安らぐことも大切なことである。犯罪に関係して取り調べを受けるときは拘禁反応を起こして両者の区別ができなくなる場合がある。

G 極端さ

 農村非匿名集団から都市匿名集団に移り、さらにネット社会になって人々の欲望も表現も一段と激しくなった。度胸を試すようなことになりやすく、一部は犯罪や自殺と関係する。

H 垂直的ヒエラルキーとネット的水平

 人間の集団構成の原理は原始的には垂直的ヒエラルキー型である。一方、ネット社会は原則的に水平的平等の原理である。このずれから生じる違和感はヒステリックな言葉や非常識な行動、さらには思考の極端さや単純さにつながる。ヒエラルキー的な軍隊において中枢部が核攻撃を受けて破壊された場合の組織と情報の保護のために開発されたネットの歴史を見れば、ネット社会とヒエラルキー社会との原理の違いが必要だったことが分かる。しかし原理が違うので不都合も生じる。検索会社の提供する検索システムはヒエラルキー的で資金力のある者の優位を保障しており、水平的ではないのが興味深い。一般人の良い意見にはたどり着けないのが現状である。

I 同質性

 たとえば将棋では、情報を手に入れやすくなっているので誰でも勉強できる。しかしみんな同じことを勉強してきたので強さも作戦も弱点も同じ。情報ハイウェイを降りた場所からが難しいといわれる。同質性集団特有の集団心理にとらわれやすい。

Ⅱ ネット社会と自己愛

 ネット社会では性格の中に自己愛成分を多く含んだ人が増える印象があるとの報告が数多くある。まず自己愛の特徴から見ていこう。

A 自己愛性格の特徴とネット社会が性格の自己愛成分を増やす理由

 すぐに感情を荒げてとげとげしい言葉を投げつけ、自分の衝動や欲求や不安を抑制することができず、相手が傷ついても構わず平気で強引にわがままを押し通す。相手を傷つけることが快感でもあるようす。教育と訓練が欠如した未熟で幼稚な性格。このような自己愛性格の特徴は「傲慢、賞賛欲求、共感不全」かつ「臆病」とまとめられる。「少年は大人ではなく大きな少年になった」「僕は僕のすべて」「自分王国の自分様」などと言われる。社会的には無力であるが、そのことを自分の欠点と認識しない。「お互い様」が消えてしまい、「相手の立場に立ってみる」ことが少なくなった。自己愛的な他人に接するとき、自分も自己愛的にならないと傷つけられるだけだから、社会には自己愛成分が増えていく。電車の客席のマナーなどを想像すれば分かりやすいが、自己愛的な態度は周囲の人をも自己愛的にしてしまう。傲慢さの背景に臆病が透けて見えることも指摘されていて、自分の利益を守るためには臆病な人ほど過度に攻撃的にならざるを得ないのだろう。

 ネット・携帯社会だけではなく、少子化、第三次産業へのシフト、大量消費社会、情報化社会などが複合して現代人の心理変化の原因になっていると思われるが、ネット社会に関していえば、現実社会に比較して「簡単・確実・迅速・非共感的」であることが特徴である。現実社会は不確定で、他人の事情に左右され、複雑で遅く、自分の予測した反応が返ってこないし、我慢が必要である。ネット社会のほうが居心地がいいと感じる人がいても無理はない。

  ネット社会に慣れた人は「待たない、確実を求める、我慢ができない、何かあれば他罰的、自己中心的で共感しない」という態度になる。これが自己愛性格を培養する。これは大量消費社会の消費者の態度でもある。対人関係の原型が匿名の客と店員になっていて、他人には傲慢で共感不全であると映ることになってしまう。母と子、店員と客、コンピュータとユーザーの関係で生きていることが、自己愛性格を培養していると考えられる。都市化して匿名性が高まったが、個人情報保護が原則のネット社会ではさらに一歩進んで匿名社会であり、匿名の一時的人間関係が増えれば自己中心的な言動が増えることになる。現実社会では入れ替わりが激しい匿名的なワンルームマンションの管理で自己中心性が問題になっていることも参考になる。

B 幼児的自己愛が保存される理由

  自己愛の中の空想的全能感は幼年期に少子化核家族化の中で養われ、母親という培養器の中で肥大する。そのあと学校集団で自分を相対化して見つめることで、自分の位置を確認し、客観的な自分と主観的な自分を一致させる。傲慢ではなく、社会的に容認される程度のプライドになり、ひそかな自尊心になる。酒の席などで意外な自尊心を打ち明けられて驚くこともある。

 しかし最近では母親という培養器からネットという培養器に直接移植されてしまい、自己愛が幼児的なまま修正を受けずに保存されてしまうようである。ネット社会は母親に代わって自己愛を培養し続ける。学校や会社ではほどほどに周囲に合わせて溶け込んでいるのだが、たとえば心が傷つけられる場面などで自我機能が退行すると、肥大した自己愛が前景に立ち現れる。現在は学校が自己愛保存的な場所となっていて、一方会社はグローバル化もあり保護的な場所ではなく利益を要求される場所となっており、学校と会社の間には段差がある印象である。学校を出て就職すると段差に気付き、不適応が現れる場合もある。

C 自己愛性人格障害

  自己愛の問題が極端になると自己愛性人格障害となる。アメリカの研究・統計用診断基準であるDSM- Ⅳ- TR での自己愛性人格障害の項目が代表的であるが、最近ではこれを細分化する試みもあり、代表的なものは次の自己愛性人格障害のサブタイプである。

1.無自覚型 oblivious narcissism
他者の反応に無頓着。高慢で攻撃的。注目の中心であろうとする。送信者であるが受信者ではない。DSM- Ⅳ- TRの自己愛性人格障害の診断基準はこのグループとほぼ一致する。

2.過剰警戒型 hypervigilant narcissism
他者の反応にひどく敏感。抑制、恥ずかしがり、目立つのを避ける、注目の中心になることを避ける。他者の話に軽蔑や批判の証拠を注意深く探す。容易に傷つけられる感情を持つ。恥と屈辱の感情を起こしやすい。

  これらを寒さと痛さの間で妥協点を見つけるハリネズミの比喩でいうと、1.針が長いので他人を傷つけて騒いで回る。他人の痛みが分からない。従っていつも寒い。2.他人を刺すことはないが他人の針を過剰に痛がる。従っていつも寒い。こうしてみるとネット社会は1.のタイプにぴったりだということが分かる。2.のタイプはつらいので彼らはネットに長居はしないが、何を言われているのか気になるので継続的に警戒して、結局傷つく。無自覚型が一人いればそのまわりに過剰警戒型が何人かいて、困ったなと思い息を潜めている。さらにその外側に、ネットなんかただのネットじゃないかという人たちがいる。

D 幼児的自己愛成分が成熟しない理由

  幼児的自己愛成分が成長して次の段階に進まないのにも理由がある。幼児的自己愛成分は本来、発達の途中で社会的に肯定されるアイデンティティへと進展して解消される。そのときに社会の側が用意している主要な価値観がアイデンティティのガイドラインになる。現代日本ではかつての主要な価値観の場所に自分らしい自分やオンリーワンの自分になるという「自己実現」がある。自分のアイデンティティは本当の自分になることといわれて、その先に進めない。価値観の多様化の中では主要な価値観の消失も当然だともいえるが、アイデンティティ獲得が難しいことも確かである。

Ⅲ ネット社会のうつ病と病前性格

 以下ではこれまで提案されているうつ病の類型と病前性格についてまとめ、現代では各種病前性格の未熟・自己愛型が増え、それを基盤としたうつ病が増えていることを述べる。
 うつ病の病前性格について、笠原嘉先生は「熱中性、几帳面、陰性感情の持続、対他配慮」とまとめている。わたしはこれを「熱中性、几帳面、陰性感情の持続」と「対他配慮」の二つに分けて考察の糸口としたい。前者は生物学的な指標であり、後者は社会的習慣の問題である。

A 対他配慮の現代的変質

  昔は利他的対他配慮であったものが、いまは自己防衛的利己的他者配慮と見える。他者との関係の仕方そのものに変化が生じていると思われる。利他的対他配慮は報われない可能性を含み、特に相手が自己愛的である場合に大きく傷ついてしまう危険がある。現代ではそのような利他的対他配慮ではなく、自分が傷つかないように、他者との距離をとっておくという防衛的な意味での他者配慮に変化している。簡単に言えば他者中心から自己中心に変化しているのだが、発達から言えば、自己中心のままで成長が停止して他者中心に至らないといえる。これを未熟・自己愛型の増加と表現できる。

  ハリネズミの比喩で言えば、昔は針に刺されて痛くてもいいから、他人を温めたかったし温まりたかった。現在は寒くてもいいので、自分が傷つきたくないし、相手を傷つけたくない。昔は温かい方が大事、現在は針の痛みを避ける方が大事という印象である。豊かな物質社会と少子化の結果といわれる。

 対他配慮は社会的成分であるから、社会のあり方と教育の結果であり可変的である。対他配慮が報われなくてエネルギーを使い果たし、結果としてうつになることは過去に多かった。それは社会の支配的な価値観として、対他配慮が主な徳目であり、エネルギーを注入すべき対象であったからである。部下を思いやる責任感の強い上司で30代以降に発症するのがメランコリー親和型うつ病であった。しかし最近は対他配慮の故に疲れ切るということは多くはない。むしろ、他人からの配慮がないから自分はうつになったと怒りと恐怖を伴いつつ20代が語っていて、向きが逆になっている。

B 熱中性、几帳面さ、陰性気分の持続は生物学的指標である

  一つの神経細胞に対する慢性持続的ストレスを想定して反復刺激を考えてみよう。キンドリング(てんかん)や履歴現象(統合失調症)のように、次第に反応が速く大きくなるタイプの細胞がある。これは躁状態と関係しているのでM細胞(Manic:躁的)とする。熱中性、高揚性、精力性と関連している。

 次に、反復刺激に対して常に一定の反応を返す場合がある。これは強迫性傾向と関係があり、A細胞(Anancastic :強迫症的)と名付ける。几帳面の成分である。

  反復刺激に対して急速に反応が減弱するタイプの細胞があり、うつに関係するので、D細胞(Depressive :うつ的)と名付ける。陰性気分の持続と弱力性に関係している。人間の脳の神経細胞は大半がこのタイプであると考えられる。

C うつの発生メカニズム

 持続反復性ストレスに対してM細胞が次第に大きな反応を返している時期が躁状態であり、M細胞がダウンして機能停止するとD細胞の特性が反映されてうつ状態になる。しばらく時間が経てばM細胞は活動を開始して躁状態になる。これを反復するのが躁うつ病の特徴である。うつ病だけが存在することはなく、微細であってもその直前にはM細胞活動亢進期としての躁病期があると考える。A細胞の強迫性は躁うつ病の各時期で前景に出たり背景に退いたりしつつ見え隠れする。M細胞機能停止しても、A細胞成分が大きければうつ病よりは強迫成分が前景に現れることになる。

D 病前性格の説明

 M、A、Dの三種の細胞特性がどのくらいの量、脳のどの部分に分布しているかが病前性格の一部を説明する。三種は相互に移行型があり連続している。

1.M細胞成分が多い脳は熱中性が強く双極性・循環性の性質を帯びる。BP(Bipolar mood disorder:双極性気分障害)ⅠやⅡがこのタイプになる。BPⅠは躁状態+うつ状態、BPⅡは軽躁状態+うつ状態である。病前性格が循環気質で躁うつ病になったという場合、このタイプである。未熟型うつ病は未熟かつ自己愛的循環気質の若年発症タイプで人格障害と区別しにくい。また逃避型抑うつはこの類型に近い。

 社会全体が軽躁状態であるとき、BPⅡの軽躁状態は隠蔽されてしまう。明治時代から高度経済成長期に至るまで、BPⅡの場合に診断はむしろ単極性うつ病とされた。戦争に向かう熱狂や会社組織への献身は軽躁状態だったのだろう。適応のよい状態とは実は軽躁状態であることもよくある。

2.M細胞成分よりもA細胞成分が多いものは几帳面で強迫性成分が強くなる。メランコリー親和型うつ病の病前性格としてのメランコリータイプはこの類型である。反復刺激によりA細胞が反応している間は強迫性傾向を呈し、その後疲れきって、機能停止する。そのときにはM細胞も疲労して休止していることが多いので、うつ状態になる。M細胞が早く回復すると躁うつ混合状態になる場合もある。退却神経症はこの類型に近い。

 非定型うつ病の遅発・非慢性タイプはメランコリー型に近く、若年発症・慢性型は病前性格の描写がまだ不十分である。職場がメランコリー親和化して自己愛型未熟型性格に発生するとされるのがBeard 型うつ病である。

3.M細胞成分とA細胞成分が相対的に少ないものは弱力性格になり、熱中性も几帳面も強くない。現代的弱力性格の人たちは、表面的には自分について自信をなくしているのだが、その内面には誇大的自我を持ち続けていることも多く、ときにそれが露出することが観察される。つまり、一方的な弱気ではなく自己愛成分を強く保持していることが多い。これは弱力性と未熟な自己愛の結合となる。これがうつ病となるときは弱力性格型うつ病の未熟・自己愛型と呼べばいいと思うが、DSMのⅠ軸の症状としてはディスチミア(長期に続く軽度の抑うつ傾向)に近くなり、現代的各種うつ病のなかではディスチミア親和型うつ病に近くなる。

4.M細胞成分とA細胞成分が多いものは執着気質で熱中性も几帳面も強い。両者の機能停止と回復の時間的プロフィールによって、躁、うつ、躁うつ混合状態、さらにそれと強迫性傾向の混合が見られる。20歳くらいで発病すると人格障害と見分けにくい。

E 現代的病前性格は共通に未熟・自己愛型のままで発達が止まったタイプになっている

 以上の1-4のどのタイプにも中間移行型がある。そしていずれの場合も(a)昔風の対他配慮は失われていて、自己防衛的利己的対他配慮が働き、言い方を替えれば自己中心から他者中心に移行しないままでとどまっている。(b)個人の中でも自己愛成分が保存され、社会全体としても自己愛成分が保存されている。(c)全体に完成型とならず未熟型にとどまり、発症すると人格の問題と紛らわしい事態になる。

 性格は未熟・自己愛型から次第に成熟・対他配慮型に移行すると考えられ、大人になる頃にはM、A細胞が過剰刺激に対して活動停止するようになっているので、従来は成熟・対他配慮型性格となった大人に成熟・対他配慮型うつ病が発生していた。子どものうつ病については議論があるが、子どもは睡眠が多くストレス課題が少ないことから、また神経細胞の回復が早いことからM細胞の活動停止は起こりにくい。従って常に活動的でうつ病にはなりにくく、ある程度成熟した年代になってはじめて過剰のストレスにさらされ神経細胞の回復が遅くなりうつ病に至る。睡眠障害がうつ病と密接な関係があるのは細胞修復と関係しているからである。

 しかし現代では生活年齢が20歳くらいになるとM、A細胞の活動停止がみられるようになり、一方で性格面は未熟・自己愛型のままでとどまる。ここで現代的なうつ病像が成立し、症状は未熟・自己愛的な性格傾向に彩られる。うつ病が全般的に若年化、軽症化、神経症化、適応障害化、難治化していることも理解できる。

F 自己愛とうつ病

  以前から自己愛とうつ病については密接な関わりが指摘されてきたが、現代的な自己愛では現代的なうつが見られる。「傲慢、賞賛欲求、共感不全」の自己愛型の人が世間を生きていたら、傲慢なので人に嫌われ、期待した賞賛が得られず自分は幻滅する。結果として人間不信になる。対人関係で傷つくのでうつにもなりやすく、その場合は従来のタイプとは異なるうつ病になるといわれていて、新しいうつ病のタイプがいくつか提案されている。

  その中の一つのタイプにディスチミア親和型うつ病がある。ディスチミア親和型と名付けられているものの、ディスチミアが病前性格や病気の基盤であるとは言われていないので注意を要する。これは若者に多く、うつそのものは軽症であるが治りにくい。他罰的で逃避的、仕事よりもプライベートが大事。集団との一体化は希薄で、学校時代には不適応はなかったが、会社には不適応という例が多い。やる気が出ないと言い、自分を生かせる職場を希望する。役割に固執せず、むしろ自己実現を価値の中心においている。ディスチミア親和型うつ病の病前性格として、未熟・自己愛型弱力性格を考えれば上記の諸特徴を説明できる。また学校時代に不適応がないのは、現代の学校が自己愛保護的な場所になっているからである。

G 併存症と治療

 併存症(comorbidity)としての不安性障害が最近問題になり、統合失調症については以前から言われている。躁うつ病については脳の非局在性の病変であり、不安性障害と統合失調症は局在性の病変と考えることができる。M、A細胞の活動亢進と停止が特定の部位で起これば不安性障害や統合失調症との併存になる。不安性障害に関係する局在部位を含んでM細胞の活動亢進と休止が関与すれば一種の過敏性が形成されて躁状態の代わりにパニック病像が形成され、その後にはうつ状態が見られる。パニック障害自体が相性に現れて、消える。A細胞が関与すれば全般性不安障害(GAD:Generalized Anxiety Disorder)に近くなる。統合失調症の場合には局在病変への関わりを考えれば再発に関する履歴現象が特徴であり、これにM、A細胞系が関与している。さらに統合失調症自体が慢性的持続的ストレスとなるため非局在性のM細胞休止に至るので、ポスト・サイコーティック・デプレッションと呼ばれる精神病極期後のうつ状態となる。

 面接ではDSMのⅠ軸、Ⅱ軸に注意するとともに、以上述べたように、性格の中の熱中性、強迫性、弱力性、対他配慮、自己愛成分、全般的未熟性の6項目について留意すれば診断の助けになる。最近では40代で急に仕事ができなくなったなど認知能力低下や性格変化が起こり、職場や家庭で困難がある例があり、Ⅰ軸としてはうつの範囲であったとしても、早期に起こる脳器質的変化の可能性を鑑別すべきである。そのとき認知機能と性格の観察が役立つ。

 治療はM細胞とA細胞が回復するまで時間をかけて待つこと、自殺を防ぐこと、再発を防ぐためにメカニズムを教育することである。抗うつ剤のSSRIは長期のダウンレギュレーションによりセロトニンレセプターを減少させることでM、A細胞の一部の活動亢進を抑制する効果がある。またSSRIは不安性障害に関係する局在部位でM、A細胞の活動亢進を抑制することにより不安を抑制できる。

Ⅳ ネットリテラシー教育(ネットにおける読み書きのマナー)

 薬物療法、精神療法は省略するが、これらと並んで大切なのがネットリテラシー教育である。これはインターネットや携帯の独特の仕組みと読み書きのマナーを心得ることで、学校でも家庭でも教育を心がけたい。

 発信側として大切なのは、声も表情もなくても誤解が生じないか慎重になることである。言い過ぎは後悔のもとである。誤解する方が悪い場合もあるが、誤解されないように充分注意する責任もある。

 受信者としては情報の極端さとまじめ度を見分けたい。世の中全体の見取図が自分の内側にあれば、情報の極端さを評価できる。それは真偽とも好悪とも関係のないもので、世界の全体の中ではどのくらい極端かという点である。あわせてどのくらいまじめなのか余裕があるのかを見分ける。オウム事件で学んだように、極端でかつまじめだったら、注意して扱う方がよい。情報が断片的であることはネットの短所である。知識や判断の総合的な見取図を形成するためには読書と友人が大切である。



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最近図書館でコピーで集めた論文一覧

心の臨床と科学
土居健郎1), 村上陽一郎2), 熊倉伸宏3), 内海健4)
1)聖路加国際病院, 2)国際基督教大学人文学科, 3)東邦大学医学部公衆衛生学教室, 4)帝京大学医学部精神医学教室
こころの健康, 10(2) : 3-25, 1995.

FLUVOXAMINEにより10年間の自閉生活を脱した社会恐怖の1症例
繁田真弓, 佐々木直哉, 功刀浩, 内海健, 広瀬徹也
帝京大学医学部精神神経科学教室
分子精神医学, 2(1) : 92-94, 2002.

ポストモダンとBipolar Spectrum
内海健
帝京大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 31(6) : 639-647, 2002.

内破する自己-統合失調症のメタサイコロジー
内海健
帝京大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 36(1) : 11-23, 2007.

うつ状態にみられる躁的因子-内因性の再評価
大前晋1), 内海健2)
1)虎の門病院分院精神科, 2)帝京大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 34(5) : 605-613, 2005.

Byproductとしての精神療法
内海健
帝京大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 34(12) : 1699-1707, 2005.

統合失調症の抑うつに対するパロキセチンの効果
内海健
帝京大学精神神経科学教室
Pharma Medica, 22(7) : 181-184, 2004.

うつ病概念の変遷
中川誠秀, 広瀬徹也
神経研究所附属晴和病院精神科
医学のあゆみ, 219(13) : 893-897, 2006.

クレペリンと躁うつ病概念
古茶大樹
独立行政法人国立病院機構東京医療センター精神科
臨床精神医学, 34(5) : 543-549, 2005.

うつ状態の臨床的分類の流れ-伝統的分類と国際分類-
古野毅彦1), 濱田秀伯2)
1)独立行政法人国立病院機構東京医療センター精神科, 2)慶応義塾大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 34(5) : 573-580, 2005.

Bipolar Spectrum
槇野葉月*, 内海健**
*首都大学東京都市教養学部人文・社会系社会学コース, **帝京大学医学部精神神経科学教室
臨床精神医学, 34(8) : 1080-1081, 2005.

出勤拒否‐出勤ストレスとその対応
渡辺登
日本大学医学部精神神経科学教室
綜合臨牀, 53(3) : 458-460, 2004.

職業ストレスの調整と認知療法を試みたうつ病の1例
大場眞理子, 丹羽真一
福島県立医科大学神経精神医学講座
日本心療内科学会誌, 8(2) : 103-107, 2004.

OCDの臨床
成田善弘
桜クリニック
分子精神医学, 3(4) : 366-371, 2003.

マタニティブルーとその対策
郷久鉞二,佐野敬夫,和田生穂,高野真穂,坂内洋子,南部春生
朋佑会札幌産科婦人科
産婦人科治療, 82(1) : 51-55, 2001.

Soft Bipolar Spectrum
広瀬徹也
帝京大学医学部精神科学教室
臨床精神医学, 30(6) : 667-669, 2001.

うつ病者の生活リズムと競争社会
松浪克文
東京大学附属病院分院神経科
こころの健康, 10(1) : 54-61, 1995.

Soft bipolar disorder(軽微双極性障害)概念について
阿部隆明
自治医科大学精神医学教室
臨床精神医学, 35(10) : 1407-1411, 2006.

出勤拒否‐出勤ストレスとその対応
渡辺登
日本大学医学部精神神経科学教室
綜合臨牀, 53(3) : 458-460, 2004.

職業ストレスの調整と認知療法を試みたうつ病の1例
大場眞理子, 丹羽真一
福島県立医科大学神経精神医学講座
日本心療内科学会誌, 8(2) : 103-107, 2004.

変動する社会におけるキャリア・カウンセリング
木村周
拓殖大学
産業ストレス研究, 8(4) : 209-214, 2001.

望ましい職場のメンタルヘルス像
野村忍
東京大学医学部心療内科
モダンフィジシャン, 19(1) : 45-48, 1999.

心理分野より:職場ですすめるメンタルヘルス対策
森崎美奈子
株式会社東芝勤労部安全保健センター
産業ストレス研究, 3 : 28, 1995.

労働時間と精神的負担との関連についての体系的文献レビュー
藤野善久1, 堀江正知2, 寶珠山務3, 筒井隆夫2, 田中弥生4
1産業医科大学公衆衛生学教室, 2産業医科大学産業生態科学研究所産業保健管理学教室, 3産業医科大学産業生態科学研究所環境疫学教室,
4福岡県粕屋保健福祉環境事務所・粕屋保健所
産業衛生学雑誌, 48(4) : 87-97, 2006.

労働時間や職業ストレスと子どもの身体的・精神的・社会的問題
服部真, 横矢喜代恵
石川勤医協城北病院健康支援センター金沢
産業衛生学雑誌, 46 : 427, 2004.

職場でのストレスマネジメントはうつ病予防に有効か?無作為化対照試験
三野善央1), 馬場園明2), 、津田敏秀3), 安田誠史1)
大阪府立大学社会福祉学部精神保健学1), 九州大学健康科学センター2), 岡山大学大学院医歯学総合研究科3), 高知大学医学部公衆衛生学4)
産業衛生学雑誌, 46 : 413, 2004.

医療・教育・福祉関係者は疲れている-ケアを供与する側のメンタルヘルス-
小山敦子*, 保田佳苗, 仁木稔, 山藤緑, 平野智子, 陣内里佳子, 岩上芳, 長野京子
*近畿大学医学部堺病院心療内科
心身医学, 43(10) : 679-688, 2003.


精神障害の漢方治療
後山尚久
大阪医科大学産婦人科学教室
産婦人科治療, 83(6) : 709-717, 2001.

ストレスと漢方
後山尚久
大阪医科大学産婦人科学教室
産婦人科治療, 82(5) : 593-598, 2001.

過敏性腸症候群治療薬と患者への説明
森雅美
掛川市立総合病院薬剤部長
薬局, 50(1) : 613-619, 1999.

心療内科領域における漢方療法の意義
岡孝和
九州大学医学部心療内科
Progress in Medicine, 19(4) : 869-873, 1999.

PTSDの治療
神田橋條治
伊敷病院
臨床精神医学, 36(4) : 417-433, 2007.

第1回福岡精神医学研究会講演記録
神田橋條治
伊敷病院
臨床精神医学, 34(4) : 471-486, 2005.

摂食障害の入院治療
永田利彦, 切池信夫
大阪市立大学大学院医学研究科神経精神医学
心身医学, 45(5) : 341-349, 2005.

EAP活動における電話相談・メール相談 (3)
島悟1, 佐藤恵美2, 廣田靖子2
1東京経済大学経営学部, 2産業精神保健研究所
産業衛生学雑誌, 46 : 320, 2004.

現実とバーチャルの区別が付かない
墨岡孝
成城墨岡クリニック
ナーシング・トゥディ, 18(1) : 38-43, 2003.

コンピュータ関連職の精神保健上の問題点
門倉真人,中山和彦,清水英佑*,牛島定信
東京慈恵会医科大学精神医学講座,*東京慈恵会医科大学環境保健医学教室
産業ストレス研究, 6(3) : 147-152, 1999.

男子コンピュータ技術者の精神的健康度に関連する要因
江副智子,大野裕*,森本兼曩
大阪大学大学院医学系研究科社会医学専攻社会環境医学講座,*慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
産業ストレス研究, 6(4) : 197-201, 1999.

恐慌性障害の自律神経機能
井上雄一
鳥取大学医学部神経精神医学教室
脳と精神の医学, 8(4) : 419-427, 1997.

ストレスとJobSatisfaction
前田和子
武蔵丘短期大学健康管理研究室
産業ストレス研究, 3(1) : 5-11, 1995.

知っておきたい精神疾患と症候群
墨岡孝
成城墨岡クリニック
治療, 76(3) : 963-967, 1994.

『心の社会』(ミンスキー)をめぐって
安西祐一郎,豊嶋良一*
慶應義塾大学理工学部電気工学科,*埼玉医科大学精神医学教室
脳と精神の医学, 3(3) : 353-361, 1992.

情報化社会の光と陰を自律神経から解く
板東武彦
新潟大学
臨床脳波, 50(6) : 354-359, 2008.

モバイル端末操作時の心身の状態について
市原 信
東京家政学院大学家政学部
バイオフィードバック研究, 34(1) : 86, 2007.

チャイルドライフ(14)テレビ・ゲームと意識障害
田澤雄作
独立行政法人国立病院機構仙台医療センター小児科
Medical Practice, 23(3) : 521, 2006.

幼児のテレビ・ビデオ視聴時間, ゲーム時間と生活実態との関連
栗谷とし子1), 吉田由美2)
1)島根県立大学短期大学部保育学科, 2)島根大学医学部看護学科
小児保健研究, 67(1) : 72-80, 2008.

津田均:万能的な核を持つ境界例患者の精神病理
精神医学 39(5).1997

臨床現場からみた職場の人格障害
牛島定信
東京慈恵会医科大学精神医学講座
産業ストレス研究, 11(4) : 199-204, 2004.

自己愛傾向の一般青年群と臨床群の比較の試み
小塩真司*, 井上剛**
*中部大学人文学部, **松阪中央総合病院
性格心理学研究, 11(1) : 56-57, 2002.

悪性自己愛
小野和哉
東京慈恵会医科大学精神医学講座
臨床精神医学, 30(2) : 208-209, 2001.

白己愛性人格構造が基盤にある症例について-境界性人格水準と神経症性人格水準にある2症例を通して-
川上正憲, 宮田久嗣, 杉村共英, 中村文子, 小野和哉, 牛島定信
東京慈恵会医科大学精神医学講座
臨床精神医学, 30(5) : 533-537, 2001.

自己愛傾向が自己像の不安定性, 自尊感情のレベルおよび変動性に及ぼす影響
小塩真司1)
名古屋大学大学院教育発達科学研究科
性格心理学研究, 10(1) : 35-44, 2001.

現代の大学生における自己愛の病理
生地新
山形大学医学部附属病院精神科神経科
心身医学, 40(3) : 191-197, 2000.

高齢者の自己愛性人格障害
小野和哉
東京慈恵会医科大学精神医学講座
老年精神医学雑誌, 16(5) : 560-566, 2005.

アスペルガー症侯群をめぐるネット事情
翡翠
アスペルガー症候群患者
臨床精神医学, 34(9) : 1197-1198, 2005.

周産期の精神保健活動の新しい試み-インターネットを用いた啓蒙活動および支援-
岡野禎治1), 中山良平2), 豊田長康3)
1)三重大学保健管理センター, 2)三重大学医学部附属病院医療情報部, 3)三重大学
臨床精神医学, 33(8) : 1027-1033, 2004.

Optimal Treatment Project(OTP)を用いた包括的地域精神科ケア~みなとネット21の地域生活支援の実際~
高橋佳代, 稲井友理子, 村上雅昭, 山下千代, 松本弘子, 松本中, 前田基成, 茅野分, 三浦勇太, 水野雅文
特定非営利活動法人みなとネット21
日本病院・地域精神医学会誌, 47(2) : 229-231, 2004.

うつ病の治療 3. 認知(行動)療法, 対人関係療法
切池信夫*
*大阪市立大学大学院医学研究科神経精神医学
PROGRESS IN MEDICINE, 27(9) : 2005-2008, 2007.

『指タップ運動の新しい解析技術の開発-その応用,問題点,将来性-』
横江勝
大阪大学大学院大学神経内科講座
脳21, 10(1) : 115, 2007.

テクノストレス眼症
石川哲
北里研究所病院臨床環境医学センター
綜合臨牀, 55(5) : 1541-1543, 2006.

秘書に求められるコミュニケーション能力の育成-TAの「3つの的を射るやりとり」を応用した指導の試み-
中村芙美子
プール学院大学短期大学部
交流分析研究, 21(2) : 138-148, 1996.

コンピュータ使用業務従事者の心理的ストレス
雫石礼子,中屋重直*
岩手県立盛岡短大,*岩手医大衛生公衛
産業衛生学雑誌, 37(6) : 428, 1995.

心療内科からみたテクノストレス症候群
村林信行, 筒井末春
東邦大学心身医学
Pharma Medica, 12(6) : 61-64, 1994.

「子どもとメディア」の問題に対する提言
武居正郎
社団法人日本小児科医会「子どもとメディア」対策委員会
日本小児科医会会報, (27) : 7-10, 2004.

情報伝達の発達による矯正治療への影響-電子メールについて-
鳥巣秀男
矯正臨床, 20 : 84-85, 1998.

電子映像と子どもの脳~脳科学の立場から~
森昭雄
日本大学文理学部
チャイルドヘルス, 9(9) : 641-644, 2006.

現場で感じる子どものからだの変化小学校現場から~保健室からの発信
石田かつ子
千葉市立稲浜小学校
チャイルドヘルス, 9(11) : 811, 2006.

母娘間の共生関係と基本的構え
花岡啓子*1,*2, 角 美弥子*1, 花岡芳雄*1, 松野俊夫*2, 村上正人*2, 桂 戴作*3
*1吉祥寺通り花岡クリニックPSRストレス医学研究所, *2日本大学板橋病院心療内科, *3LCCストレス医学研究所
交流分析研究, 30(1) : 43-50, 2005.

子どもとテレビ~テレビ視聴のあり方と育児に関連したメディア研究のこれから~
榊原洋一*1, 坂元 章*2, 菅谷明子*3, 谷村雅子*4, 土谷みち子*5
*1本誌編集委員・東京大学医学部小児科, *2お茶の水女子大学文教育学部, *3経済産業研究所,
*4国立成育医療センター研究所成育社会医学研究部部長, *5日立教育振興財団日立家庭教育研究所
チャイルドヘルス, 7(5) : 336-352, 2004.

 

 

 



共通テーマ:健康

現代社会が生む“ディスチミア親和型” 樽味伸

平明かつ実用的で、笠原先生の筆致に近いものを感じる。

*****

臨床精神医学34(5):687-694,2005
「うつ状態」の精神医学
現代の「うつ状態」
現代社会が生む“ディスチミア親和型”樽味伸

1.はじめに

*

本邦におけるうつ病の病前性格の特徴については,下田が言及した執着気質,それに近いところでTellenbachのメランコリー親和型との関連がこれまで指摘されてきた。

*

几帳面,仕事熱心,過剰に規範的で秩序を愛し,他者配慮的であるとされるこの気質・性格は,もともと日本人全般の自己規定に近いようであるし,また確かに本邦のうつ病者の一側面を言い当てていたようにも思われる。几帳面で配慮的であるがゆえに疲弊・消耗してうつ状態に陥る彼らは,一般的には抑制症状とともに強い自責感や罪業感を表明し,ある種の悲哀感を診断者に惹起させることが多い。ここで彼らの示す傾向を「メランコリー親和型」と大まかに括っておく。

*

注1)Tellenbachの「メランコリー親和型」概念は,周知のごとく「内因性」概念を再生させ,今で言う遺伝子環境相関の視点まで含む壮大な論を成しており,単なるうつ病の病前性格論にとどまらない深度と射程をもつ。しかし本稿でその概念を十全に機能させることはもとより不可能である。本稿で「メランコリー親和型」と言及する場合は,基本的には本文冒頭のようなごく表層的把握を中心とした指示内容とする。

*

一方,昨今の裾野の広がった精神科一般臨床においては,上記の特徴に合致しない「抑うつ」の人々が多く現れ始めたように思われる。すなわち,執着気質やメランコリー親和型の連関を,われわれに連想させにくいような一群である。確かに彼らは「うつ状態」を示し,またそのような状態であることを自ら表明する。しかし彼らはもともとそれほど規範的ではなく,むしろ規範に閉じこめられることを嫌い「仕事熱心」という時期が見られないまま,常態的に「やる気のなさ」を訴えて「うつ状態」を呈する。この特徴は,冒頭の「メランコリー親和型」の人々に比し,より若年層に見られるような印象がある。多くの場合,彼らは自責や悲哀よりも,輪郭のはっきりしない不全感と心的倦怠を呈し,罪業感は薄く,ときに他罰的である。しばしば診断者の裡には,受療者に対する悲哀感よりも「とっかかりの無さ」の感覚が先に立つようである。

*

本稿では,彼らのそのような様態を「ディスチミア親和型」と呼ぶこととし,その臨床面での特徴を記述しようとする。そのうえで概念の意義を検討し,そのような症候に影響を与えうる社会文化的要因について若干触れることになる。

*

2.症例呈示および概括

*

ことさら新たな概念を提唱することの意義については後述することにして,まずは本稿で対象とする人々についての具体的な像を,自験例をもとに症例呈示の形式で記述したい。ちなみに各例とも,回避性人格障害,分裂病質人格障害および自己愛性人格障害の診断基準)は満たしていない。またプライバシー保護の観点から,細部を変更している。

*

[症例1] 24歳男性,地方公務員(初診時)
主訴:やる気が出ない,不眠。
生活史:家族歴,既往歴に特記すべきことはない。長男であり,2歳上の姉が1人いる。父親は会社員,母親は専業主婦。中学,高校と特に問題となるようなことはなかったが,嫌いな教師の科目はわざと勉強しないことがあったという。大学ではサークル活動とアルバイトを「人並みに」こなしていた。就職活動にはそれほど熱心ではなく,公務員を目指した。大学を卒業後,1年間は専門学校に通い「たまたま受けたら合格した」地方都市の役所に勤務している。

現病歴:採用後から配属された現在の職場では,仕事は特に嫌ではないが,あまり興味も持てないという。ただ「うるさい上司がいて顔を見るのが嫌だった」ので,時々欠勤していたとのこと。ただし憂うつで出勤できなかったわけではなく,欠勤中はパチンコに行ったり映画を見に行ったり自由に過ごしていた。就職して1年が経ち,職場の同僚女性と恋愛結婚した。すぐに第1子が生まれた。仕事には相変わらずあまり身が入らず,かといって家にも居づらく,1人でパチンコや映画館に行っていた。育児は大変だったが,退職した妻や両家の母親が上手に切り盛りしてくれた。その年末に,勤務態度を上司に叱責された。これまでにも数回注意されていたが,今回は非常に厳しい口調だったという。そのあと「体調不良なので」と職場を早退した。本人によれば,その日から夜眠れなくなったという。その後はきちんと出勤したが,職場ではやる気にならず意欲が湧かず,仕事内容もどうでもよくなりイライラしていた。忘年会や新年会などの職場の集まりにも出る気がしなくなった。パチンコをするときに少し元気は出るが,家に帰ると「おもしろくなくて」再び暗く沈んでしまう。そのため約1ヵ月後,上記の主訴で近医精神科クリニックを受診。DSM-IVにおける大うつ病エピソードの基準を満たし,うつ病と診断された。その場で本人は診断書を希望した。

*

[症例2]23歳男性,大学4年生(初診時)
主訴:何もしたくない,胃部不快感と下痢。
生活史:次男であり2歳上の兄が1人いる。父親は会社員,母親は専業主婦。本人は中学,高校とも成績はよい方だった。しかし大学受験に失敗し,1年間浪人。このときは気分の落ち込みなどは自覚されなかった。あまり勉強はしなかったというが,翌年に現在の大学に合格した。もともと第1志望の大学だった。本人・家族とも精神医学的疾患を指摘されたことはない。

現病歴:大学進学時から,親元を離れてアパートで1人暮らしを始めた。「勧誘がしつこくて嫌だった」ので当初からサークル活動などはせず,家庭教師のアルバイトを時々する程度だった。勉強は「留年しない程度に」単位を取得し,進級していた。大学には,同じ高校から進学してきた友人や予備校時代の仲間が数人おり,彼らとのつきあいが中心だった。大学4年に進級し,卒業論文を書く準備を始めた。資料を集めたりしていたが,特に無理のかかるペースではなかったにもかかわらず,6月頃から徐々に「やる気がなくなった」という。だんだん何を書けばよいのかわからなくなり,指導教官に相談に行ったが「あまり相手にしてもらえなかった」ので,そのときから研究室には「もう行きたくなくなった」という。7月頃には胃部不快感,吐き気や下痢が続くようになった。8月中旬に実家に帰ったが,ちょうどその頃,兄も突然仕事を辞めて帰省してきて「居心地が悪かった」ので,すぐにアパートに戻りテレビゲームばかりしていた。8月下旬には就職の内定をもらったが「別にどうでもよかった」という。このころから寝付きも悪くなった。卒業論文は手をつける気にならず,所属講座のゼミナールや研究会も欠席し,自室で過ごしていることが多くなった。9月下旬に,心配した教官が,ゼミの学生を迎えに行かせ,その学生が本人を大学保健室に連れてきた。保健師は精神科医の面接を受けるように勧め,翌週,保健室の精神科医診察日に来談した。「僕はちょうどこれに当てはまります」と,彼は内科医院でもらってきた「うつ病」のパンフレットを出した。淡い希死念慮とともに,確かに症候学的にはDSM-IVにおける大うつ病エピソードの基準を満たしていた。

*

[症例3]29歳女性,無職(初診時)
主訴:不眠,やる気が出ない,体がだるい
生活史:長女であり,3歳下の弟がいる。弟は高校卒業後,内装業に携わっている。父親は公務員,母親は更年期障害で1度だけ精神科受診歴がある。本人は,中学時代から周囲になじめない感じが強く「醒めていた」という。成績は中程度だった。高校進学後も少数の友人とのつきあいがあるぐらいで,騒いでいる同級生を見るといらいらしていたという。地元の短大に入学し,映画サークルで脚本を書いたりしていた。卒業後は,1年に数カ月ほどアルバイトをする程度で,正式に職に就いたことはない。現在も自宅で4人暮らしである。半年前に婦人科で月経前緊張症候群といわれた。これまで精神科受診歴はない。

現病歴:書店で半年ほどアルバイトをしていたが,忘年会の席で「カチンとくることを言われて」辞めてしまい,この1年ほどは何もしていない。ときに母親から「ちゃんと働きなさい」と言われるのがつらい。数年前から,盆や正月に親戚からも「ちゃんと働くか結婚するかしなさい」と言われるので嫌だった。母親から勧められて求人情報誌を見ても「やってみたい仕事がない」。そうこうするうちに「もうすぐ30歳になるのでなんとかしなければ」と思い始めた。それとともに入眠困難と早朝覚醒が出現し,体がひどくだるくなった。なにかしてもすぐに疲れやすく,やる気が出ない。「なんだかすべてがどうでもよくなって」こんな毎日なら生きていても仕方がないのではないかと思い始めた。カッターで数回,手首を切ってみたが「どうということもなかった」という。体のだるさが続くため,婦人科ついで内科を受診したが,検査上は問題なかった。内科の医師から「うつ病疑い」にて精神科受診を勧められ,自宅近くの精神科・クリニックを紹介受診した。なお,本人はすでにインターネットの一問一答形式の精神疾患診断サイトで「うつ病の疑い80%以上。休養を要する」という「診断結果」を手にしていた。症候学的には,DSMIVにおける大うつ病エピソードの基準を満たしていた。

*

上記の3例をはじめ,彼らには受診時の訴えや現症などに共通点が多い。受診時には「やる気が出ない」という抑うつ感とともに,「どうでもいい」といった心的倦怠感を多くが表明する。他覚的にも確かに消耗した表情であり,活気があるとは言えない。ただし発語のリズムや思路に,抑制症状はそれほど見られず比較的よく話し,口調も平板ながらしっかりしている。内省的に考えるのは面倒なようであるが,その「内省が面倒であること」は抑制症状とは異質な印象が強く,そもそも「内省」という心的動作に「不慣れであること」のように見受けられる。自身が話したい話題や出来事については,比較的細かく親切に話してくれるところも,通常の抑制症状には見られない点である。メランコリー親和型において観察されるような自責感や罪業感は基本的に薄く,またあったとしでも「どうせ」私が悪いというような,自責よりも「自虐」の感覚が伝わってくる。つまり自傷と似た根を持つような印象である。睡眠や食欲の乱れは認められるが,もともとが安定しない昼夜のリズムや食生活であることも多い。

*

本稿では,このような臨床像を持つ「うつ病」に対して「ディスチミア親和型(うつ病)」と大まかに括る。すなわち①メランコリー親和型には近似しにくい経歴を示し,②輪郭のはっきりしない不全感と心的倦怠を中心に呈し,③抑制症状や罪業感に薄く,回避行動が主体でときに他罰的であり,④しかし大うつ病診断基準を満たしている,(⑤気分変調性障害と診断するには,罹病期間が短すぎる),という像である。ちなみにディスチミア(dysthymia)の語は,字義とおり「不機嫌」「活力に乏しい」という表層的ニュアンスでのみ使用している。疾患としての気分変調性障害(dysthymic disorder)との関係については後述する。なお,粗雑ながらメランコリー親和型との差異を表に示しておく。

*

3.何のための新たな概念か

*

本稿で新たな概念を呈示するのは,主に臨床的要請からである。その要請は2点に分けられる。それは①臨床場面での治療者のため,②生活場面での受療者のため,である。

*

現在,操作的診断基準に準拠することを要請されるわれわれは,好むと好まざるとにかかわらず前項の症例に対しては「うつ病(大うつ病エピソード)」と診断することになる。呈されている症候は確かに抑うつ症状である。彼らの訴えをそのまま診断基準に当てはめるならば,基準を満たしている以上,彼らは「うつ病」である。しかしここにつきまとうのが「はたして彼らを「うつ病」とするべきなのだろうか」という診断者の戸惑いであろう。例えば彼らを,メランコリー親和型を中心とするような従来のうつ病と同一範躊に入れることに,診断者によっては,何らかの抵抗を覚えるかもしれない。そのような治療者の裡でおこる抵抗は,ともすれば臨床場面で彼らに対する“皮肉な視線”として析出してしまう場合がある。そのような“視線”は,本来なら疾患分類に関する学問的論争に向けられるべきものであって,少なくとも臨床場面において受療者に向けられる筋合いのものではない。したがって,その抵抗は治療者のためにはならない。もしも診断枠で[うつ病]とせねばならないならば,あえて「うつ病」の枠内に,メランコリーとは別の領域を耕しておく必要がある。これが①である。

*

注2)診断者の好みを排することで診断の標準化と客観化が達成される。それがDSMシステムの理念である。
注3)診断者の覚えるこの抵抗の1つは,ごく表層的な表現をするならば,「せめで“神経症性”の文字を病名のどこかに挿入したい」というものである。「神経症」関連病名がDSMシステムから排されて,すでに四半世紀が経つ。

*

表 ディスチミア親和型うつ病とメランコリー親和型うつ病の対比
 ディスチミア親和型メランコリー親和型
年齢層青年層中高年層
関連する気質スチューデント・アパシー
退却傾向と無気力
執着気質
メランコリー性格
病前性格自己自身(役割ぬき)への愛着>
規範に対して「ストレス」であると抵抗する
秩序への否定的感情と漠然とした万能感
もともと仕事熱心ではない
社会的役割・規範への愛着
規範に対して好意的で同一化
秩序を愛し,配慮的で几帳面
基本的に仕事熱心
症候学的特徴不全感と倦怠
回避と他罰的感情(他者への非難)
衝動的な自傷,一方で“軽やかな”自殺企図
焦燥と抑制
疲弊と罪業感(申し訳なさの表明)
完遂しかねない“熟慮した”自殺企図
薬物への反応多くは部分的効果にとどまる(病み終えない)
多くは良好(病み終える)
認知と行動特性どこまでが「生き方」でどこからが「症状経過」か不分明疾病による行動変化が明らか
予後と環境変化休養と服薬のみではしばしば慢性化する
置かれた場・環境の変化で急速に改善することがある
休養と服薬で全般に軽快しやすい
場・環境の変化は両価的である(時に自責的となる)
(文献18より,一部修正のうえ抜粋)

*

②は①と表裏一体の要請である。症例呈示で示したように,多くの場合彼らは,さまざまな媒体を利用して自身の症状を調べ,受診前からすでに,自らが抑うつ圏内にあると知っている。われわれ医療者がさまざまな媒体に流してきた疾患情報の多くは,わかりやすく操作的に定義されているから,基本的に彼らは「うつ病」に合致する。そのようにして診断情報に接しか彼らが次に目にするのは,やはりさまざまな媒体に流布されている,メランコリー親和型をもとにした従来のうつ病に関する治療戦略情報である。つまり「それは怠けているのではなく症状であり,元気を出せ負けるなと励ましてはならず,十分に休養をとらねばならない,適切な薬剤で改善する〈こころの風邪〉である」という文脈である。この情報が彼らを過度にミスリードするならば,もともと敏感な彼らの自己愛性格を,必要以上に磨きかねないし,それは長い目で見れば彼らのためにならないのではないかと思われる
注4)もしも比較的妥当な診断である気分変調性障害(dysthymicdisorder)の診断を用いるなら,診断のために2年を要することもある。しかも2年経った後に彼らに「あなたはもともと気分変調性障害を発病していた」と告げたところで,うつ病との違いを臨床場面で明確に説明することは,極めて困難である。よって受療者のためにも,「うつ病」の領域に,従来のメランコリー以外の領域を耕しておく必要がある。またその名称は臨床上の要請として,便宜上「メランコリー」に対置できるように,なるべく価値判断の絡まない,できれば無機質な用語であることが望ましい。

*

以上が,新たな概念を呈示する臨床的意義である。

*

4.彼らに関するこれまでの概念と背景

*

これまでも“典型的でない”うつ病あるいは抑うつ状態に関して,いくつかの概念が提唱されてきた。呈示症例にみられる傾向を射程に持つものとしては,例えば笠原の退却神経症の提唱があり,また広瀬の逃避型抑うつ,阿部の未熟型うつ病の概念などが主なものとして挙げられる。本来ならば「ディスチミア親和型」を,従来の概念それぞれと差異化して記述すべきであるが紙幅の問題もあり,大まかに「ディスチミア親和型」の特徴を挙げるにとどめる。すなわち①これまでの病型で言及されていた「男性に多い」「高学歴」「過保護な環境」といった特徴は崩れており,性別・学歴・環境ともかなり汎化している。②特に広瀬が指摘する抑制症状よりは,回避行動が基本である。③躁状態や混合状態は目立たず,少なくとも病的状態としては把握しにくい。④笠原や広瀬の1980年代の記述と異なり,希死念慮がしばしば見られ自傷行為も少なくない。

*

もともと上述の概念は,もちろん互いにさまざまに差異化されて記述されながらも,その名称前半部「退却」「逃避」「未熟」という用語に端的に示されるように,ほぼ共通してある種の弱力性の問題を鍵としてきた。基本的に「ディスチミア親和型」もその弱力性に沿った現れをしている。それは,葛藤を抱えておく能力に関する弱力性であり,葛藤を形成しうるだけの社会的役割意識に関する弱力性であり,ストレス対処能力やその耐性に関する弱力性である。ただし,その弱力性をさらに強調しても,それほど臨床的に有用であるとは思われないのでここで筆を留める。

*「葛藤を抱えておく能力に関する弱力性であり,葛藤を形成しうるだけの社会的役割意識に関する弱力性であり,ストレス対処能力やその耐性に関する弱力性」なるほど。

ぜひとも触れておかねばならないのは「前もって発症していた気分変調性障害に,大うつ病を併発した」という,いわゆるdouble depressionの概念と「ディスチミア親和型」の関係である。呈示症例をはじめとして,厳密には,彼らはまだ気分変調性障害ではない。まだ診断基準は満たさないし,一般に気分変骨陛障害と診断しうるような「くすんだ感じ」も彼らにはまだ見られない。彼らはvividとは言えないまでも,慢性化しか抑うつによって心的弾力性そのものを長期的に侵食されたかのような現れは,まだないのである。そして臨床場面に現れた彼らは,気分変調性障害の診断基準にも典型像にも合致しないまま,大うつ病エピソードの基準を満たすことになる。
注4)磨き過ぎてしまった自己愛を中和するのは,誰にとっても大変苦しいものである。抑うつ親和性をもつ彼らにとっては,なおさら苦行であろう。
注5)文脈からわかるように,本稿は〈すでに「うつ病」の診断基準を満たした彼らへの対処〉を主題としでおり,その枠としてDSMシステムを利用しているわけである。彼らが「うつ病」であるか否かについては,神経衰弱にまで遡る精神医学史的な検討も含めて,膨大な議論を要すると思われる。それは単に気分変調性障害と言い換えることで解消されるものではない。
注6)あえて付記するとすれば,例示した諸概念名称後半部はそれぞれ「神経症」「抑うつ」「うつ病」とされるように,それぞれの原型が一定しないことも指摘されうる。この,原型の捉え方の変動をどのように考えるかという点は,抑うつの異種混淆性とそれをめぐる治療論の歴史的変遷について,興味深い領域を開いていた。そしてそれが外的にDSMによって,表面上均質化され固定されたこともさまざまな意味をもつ。

*

彼らの様態に関連しうる社会文化的背景については,症状としての罪業感の希薄化を中心に,別の所で述べた。要点をまとめるならば,社会的秩序や役割意識の希薄化か進行した環境要因が,彼らの症候に関係しているのではないかというものである。つまり秩序や役割への愛着と同一化が極度に薄く,逆にそういった枠組みへの編入が「ストレスである」と回避されるような,「個の尊重」を主題として育った世代が,社会的出立に際して呈する「うつ」の症候学的特徴ではないか,としている。ただし現時点ではそれはあくまで試論であり,ひとつの解釈に過ぎない。

*

5.対応に関しての素描

*

この概念自体がまだ若く不定型であるために,彼らへの治療的対処も予後の予測も,確定させて呈示しうるものはまだない。以下は印象をもとにした暫定的素描の域を出ない。

*

呈示症例のような「ディスチミア親和型」に関して,休養と服薬を一義的に指導することが,常に治療的であるとは言いにくい。慢性的な休息は,場合によっては彼らの心的倦怠を助長するのみに終わることもある。そして「いくら休養して薬を飲んでもやる気が出ない」と表明する受療者に対して,治療者の“次の一手”が処方変更しかない場合,途端に治療者は追い込まれ始めることになる。市橋が記述している「非定型的な抑うつ症状を呈する青年」群は,本稿の対象者にある程度近似しうると思われるが,そこでも言及されているように,彼らに対する抗うつ薬の効果は,しばしば限定的なものである。

*

一般にうつ病の治療においては,言明される苦悩に対して「うつ病」の診断を明示し,「その苦悩が症状であること」を告げて外在化させて見通しを告げ,それから休養を指示し抗うつ薬を処方するという,直線的な方策が中心である。しかし「ディスチミア親和型」においては,状況は錯綜する。彼らに「うつ病である」と外在化させるだけでは,彼ら自身はほとんど満たされない。満たされないまま,彼らは「うつ病」の枠内で,あたかも自身の(症状と言うよりは生き方の)空虚さを埋めようとするかのように,「もっと強いのはないですか」とさまざまな抗うつ薬を望み始めることになる。そこから,多種多様な抗うつ薬や抗不安薬の使用と併用が開始され,それはしばしば薬理学的彷徨の様相を呈することさえある。
したがって重要となるのは,その彷徨の途中に差し挟まれることになる,精神療法的補完作業であろう。目的は,彷徨そのものとそれによる彼らの心的弾力性の風化を,せめて遅らせるためである。ただし,具体的にどのようなスタンスが有効かという指針も,確定し得ない。一応,彼らが臨床場面に現れたときに,筆者が意識する暫定的な心得のようなものを以下に挙げることで,ご容赦いただきたい。残念ながら目新しいものはなく,精神療法と呼びうるほどのものでもなく,ありきたりの対処である。

*

まずは当然ながら①チューニングとラポールの確立である。ただし人生全部を委任されないように気を配る必要がある。そして②心的弾力性の継続的評価であり,待合室の姿や足取り,表情や目の動きに現れる。それから③“主役は抗うつ薬ではなく,あくまで受療者自身である”ことの,ふとした時の確認である。そのうえで④本人が自身の選択で行動したり工夫してみたことをこまめに取り上げて,それがよかったこと(少なくとも悪くはなかったこと)を映し返す作業を続ける。端的には,誉めることで弾力性を刺激する。⑤抗うつ薬については「対症的なものに過ぎないけれど“下地”としてはあってもよい」くらいで考えるし,本人にもそう説明している。薬剤名も診断名も,なるべくその名前にまつわるハクを中和することに重点を置く。そのハクで彼らの人生が規定されかねないからである。プラセボ効果の活用とどう折合いをつけるかは,今後の課題である。

*

注7)その彷徨を批判することは容易い。しかし,多剤併用を避けるべしという理念は理念として,現実の臨床場面では,やむにやまれぬ処方調整の粘りが重要な臨床行為であることも,また事実ではある。慢性的抑うつ状態に対する特効的対応がほとんど存在しない以上,薬理学的彷徨は,究極的には避けられないのかもしれない。
注8)悪気はないのだろうが,「うつ病」の枠内に人生上のあらゆる“うまくいかないこと”を詰め込んで治療者に引き渡し,抗うつ薬による解決を求められることさえある。どこまでが「生き方」でどこからが「症状」なのかが不分明なのは,彼らにとっても同じなのだろう。治療者の仕分け作業とフットワークが問われるわけだが,残念ながら極意のようなものはない。ただ,良好な関係が維持される中では,いったん治療者が背負わされたものを,いずれ受療者が引き取ってくれることもある。
注9)相手によっては,この確認をしつこいぐらいにした方が,おかしみを伴うので有効な場合がある。ただし「うつ病」の枠を求めていない受療者には不適切である。

*

これらは,精神医学的診断として診療録に「Jugent Crise」や「ldentity crisis」と書くことができた時代には,もっと洗練された形で各治療者が普通に行っていたことかもしれない。

*

6.おわりに

*

精神科一般臨床において,執着気質やメランコリー親和型の連関を連想させにくい「うつ病」者,すなわち「ディスチミア親和型」について述べた。その臨床場面での特徴,概念の意義と社会文化的要因について略述し,その対処に関する筆者の暫定的見解に触れた。

*

この「ディスチミア親和型」概念は,すでに述べたように臨床面の要請からであるが,以下に挙げるような学術的問いに開かれる可能性をもつ。すなわち①社会文化的次元における変動が,大うつ病の症候を変容させているのだろうか。それとも②彼らは将来的な気分変調症への素因と脆弱性をもった群なのだろうか。あるいは医療人類学的に,③精神科的医療のスティグマが希薄化し,抗うつ薬が席巻する文化圏において「私はうつ病である」という言明が,苦悩の慣用表現の地位をついに獲得したのだろうか,という問いである。

*

規定も甘く未熟な概念を仮設することは,おそらく軽率の誹りを免れ得ないだろう。しかし慢性化しかねない抑うつへの臨床的な足場となるならば,そこに幾ばくかの意義はあるかもしれない。もちろん“母屋”である「うつ病」疾患概念の“改装”が過不足なく終了すれば,この「ディスチミア親和型」概念が不要になるのも,仮設の足場の本懐である。

*

注)誉めるためには“権威”類似の物事が邪魔になるから,下っ端医者の形式で刺激する。それぐらいの方が,若い彼らも楽であろうし,自己愛の不健康な肥大を避けるという効果もありそうである。

*

文献
1)阿部隆明,大塚公一郎,永野満ほか:「未熟型うつ病」の臨床精神病理学的検討一構造力動論(W.Janzarik)からみたうつ病の病前性格と臨床像.臨床精神病理16:239-248,1995
2)APA:DiagnosticandStatisticalManualofMentalDisordersthirdeditjon,1980
3)APA:DiagnosticandStatisticalManualofMenta】Disordersf1)urthedition,1994
4)江口重幸:精神科の敷居は低くなったか一精神科受診と「治療文化」の変容.こころの科学115:16-24,2004
5)HealyD:TheAnti-depressantEra.HarvarduniversityPress,Cambridge,1997(林建郎,田島治訳:抗うつ薬の時代-うつ病治療薬の光と影.星和書店,東京,2004)
6)広瀬徹也:「逃避型抑うつ」について.宮本忠雄編:躁うつ病の精神病理2,弘文堂,東京,pp61-86,1977
7)市橋秀夫:内的価値の崩壊と結果主義はどのように精神発達に影響しているか.精神科治療学15:1229-1236,2000
8)神庭重信,平野雅巳,大野裕:病前性格は気分障害の発症規定因子か:性格の行動遺伝学的研究.精神医学42:481-489,2000
9)笠原嘉:うつ病の病前性格について.笠原嘉編:蹄うつ病の精神病理1.弘文堂,東京,ppl-29,1976
10)笠原嘉:退却神経症という新しいカテゴリーの提唱.中井久夫,山中康裕編:思春期の精神病理と治療.岩崎学術出版,東京,pp287-319,1978
11)笠原嘉:退却神経症一無気力・無関心・無快楽の克服.講談社現代新書,東京,1988
12)Klein DN,Taylor EB,Hardjng K et al:Double depression and episodic major depression:Demographic,clinical,familial,personality and socioenvironmental characteristics and short-term outcome.Am J Psychiatry 145:1226-1231,1988
13)Nicher M:ldioms of distress:Altematives in the expression of psychosocial distress.A case study from South lndia.Culture,Medicine and Psychiatry 5-24,1981
14)下田光造:踊うつ病の病前性格について.精神誌45:101-102,1941
15)樽味伸「生きる意味」と身体性,行為,文脈-ある「ひきこもり」症例から.治療の聾9:3-13,2003
16)樽味伸:「対人恐怖症」概念の変容と文化拘束性に関する一考察一社会恐怖(社会不安障害)との比較において.こころと文化3:44-56,2004
17)樽味伸:診療行為と治療文化-その多層性ついて.こころと文化4:154,2004
18)樽味伸,神庭重信:うつ病の社会文化的試論-とくに「ディスチミア親和型うつ病」についてー.日本社会精神医学会雑誌13:129-136,2005
19)Tellenbach H:Melancholie.Springer,Berline,1976(木村敏訳:メランコリー(増補改訂版).みすず書房,東京,1985)

最近の事に関しては、http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-11-1に記事がまとめてある。


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ディスチミア親和型をmaD的に解説する

ディスチミア親和型は
元のタイプがmaDであり、
性格形成の途中で性格の鎧を獲得しきれず、
未分化な母子関係の中にとどまっているものなのだろう。

特徴を列挙すると

青年層……母子関係から社会関係にまで成熟して社会に出ればいいのだけれど、成熟しないうちに社会に出て、母子関係パターンで対人関係を処理しようとするので、驚かれる
studentapathy(Walters)……maDだから
退却傾向(笠原)と無気力……maDだから
自己自身(役割ぬき)への愛着……母子関係パターンのなごり
規範に対して「ストレス」であると抵抗する……母子関係パターンのなごり。規範は社会であり、父である。
秩序への否定的感情と漠然とした万能感……母子関係パターンのなごり。母子関係の中では幼児的万能感を感じている。
もともと仕事熱心ではない……maDだから
不全感と倦怠……maDだから
回避と他罰的感情(他者への非難)……回避はmaD。他罰は母子関係の延長。しばしば母子が共同して、他罰的になる。
衝動的な自傷,一方で“軽やかな”自殺企図……母子関係パターンのなごり。未熟な防衛機制で他人にアピールする。
初期から「うつ病」の診断に協力的……母子関係パターンのなごり
その後も「うつ症状」の存在確認に終始しがちとなり「うつの文脈」からの離脱が困難,慢性化……母子関係パターンのなごり
薬剤は多くは部分的効果にとどまる(病み終えない)……母子関係パターンのなごり。成熟できない。
どこまでが「生き方」でどこからが「症状経過」か不分明……母子関係パターンのなごり
「(単なる)私」から「うつの私」で固着し,新たな文脈が形成されにくい……母子関係パターンのなごり
休養と服薬のみではしばしば慢性化する……maDだから
置かれた場・環境の変化で急速に改善することがある……母子関係パターンのなごり

元のタイプがmaDである場合も、
社会的成熟はあるのであって、
自分は社会の中心選手ではなく、
むしろ観客であり、
笑わせる側ではなく笑う側であり、
金を儲ける側ではなく払う側である。
固有名詞はなく、その他大勢である。
それでも教育費を払い、家のローンを払う。
そこまで行って、母子関係パターンから卒業できる。
だいたい35~40歳だ。
少子晩婚化はこのタイプの存続に大きく寄与している。
少子化でなおさら母子分離が遅れ、
父親不在で社会化が遅れ、
晩婚化で母子関係を引きずる期間が長くなる。
せめて早婚であれば、その時点が母子関係卒業の機会になるのだろう。
しかしそれもない。
晩婚は次の世代の少子化を促進する。
悪循環である。

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ネット上の噂

正当な理由もなくただ有名人だからといって
根も葉もない噂を流される事態

有名税といって有名な人たちは関わり合いになることを避けている

みんなの知っている有名人の欠点を暴けば
自分の自己愛が満たされると感じる幼稚がメカニズムであるが
幼稚なだけに多くの人に共有されやすい

このあたりもネットリテラシー教育が必要な点だろう。

他人を批判してその批判がとても幼稚な場合
その人の現実検討力の低さとか
論理力のなさとか
自分についての把握の悪さとか
いろいろな要素が見えてくるものだ

匿名でなければ言えないことを
匿名でいってしまうその心理はどうだろう

韓国で女優についてきついことを書いてしまった人は
女優の死に際して、反省していると述べ、
ネット上では別人格になってしまうという意味のことを述べている。

*****
ネット人格というものがあるようで、
昔は車人格がいわれた。
車に乗るって運転していると別人格になることが観察されていたからである。

ネット社会で振る舞うときにも別人格になってしまう。
匿名性も要素であるし
どんな人でも一様もっともらしい活字表現で表現されるからだろうと思う。

しかしネット人格もその人の人格の一部であり、サブセットである。
それを上部のカイロでコントロールしなくてはいけないことは当然だろう。
サブルーチンに乗っ取られているようでは心許ない。

ネットの中では表現がエスカレートする傾向があり、
それは多分他人よりも目立ちたいと思うからだろう。

*****
こういう時代に、温厚篤実で、重厚沈思のタイプという人はむしろ目立たなくて発信できないタイプの人になってしまう。
しかしそのままで少し我慢しているというと思う。
世の中はきっとその人の品格に反応して、大切なポジションを与えることだろうと思う。

目立たないがきちんとしている人を
世の中の側で探して大切な仕事をしてもらうようにしたいものだ。

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リテラシーを磨くこと

不正確で偏った情報の流通経路として
ネット社会がある
新聞紙上にも間違った健康情報は多いし
テレビでも極端な情報が時々流れて多くの人が迷惑する
どれも規制対象というよりは、自己責任の範囲のものが多い

結局のところ、ネットリテラシーやメディアリテラシーを身につけて、
こんな事を書いているが、
実際はどうなのだろうかと想像力を巡らせて、いろいろな可能性を探る習慣が必要である。
一つ一つが推理ものなのである。
書いてあるから真実だというものでは全くない。
テレビで言ったから本当だとも言えない。
NHKだからすこしは正しいのだろうといえばそうでもなくてためしてガッテンなどは
きちんと原理を理解してからくりを知った上で見ることが必要だ。

やはりリテラシーを高めるしかない。
京都府知事が学校から携帯を閉め出す方針を語っているそうだ。
リテラシーを高めておかないと結局は被害が出ると思う。

しかしそれも難しいもので、
リテラシーを身につけたらつけたで、
その上を行く騙しのテクニックが開発されて、
いつまでも、真実と嘘の隙間をついてくることになる。

オレオレ詐欺とか振り込め詐欺は主にお年寄りなので、
学校の生徒のように何かを禁止することで解決するわけではなくて、
やはりリテラシーの向上であろう。

相手が誰だか疑いを持つことは、基本的なことであるが、
そんなことさえすっかり忘れてしまうほど動転させるわけだ。
しかし即お金が動くわけではなくて、
送金するにはまだいろいろとハードルがあるはずなのだから、
見分けることができるように、リテラシーを高める工夫を続けていかなければならないと思う。

年末で、一時金が動く季節だと思う。
みんなで注意しよう。

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冷え性

冷え性の話をいろいろな人に伺うと
手足が冷える人
お腹が冷える人
逆にむしろほてる人
といろいろにタイプがある
冷えをすこし対策するだけでずいぶんと楽になることは分かっている

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信頼できる文献ついて まずは笠原先生を参考にしたらいかがでしょうか

何かを調べたいとき、まずキーワードを考えて、検索して、
検索サイトの上位に並んでいている記事の一つに行ってみると思います。

専門家ならば、もちろん、そのサイトがどのような性格のものであるか、
記事が書かれた時期はいつか、正確さはどのくらいか、流派としてはどのあたりか、
独自の意見を述べているのはどのくらいか、分かると思いますが、
専門外の人にはそうはいかないと思います。

大切なのは、まず小さな地図だと思います。
地下鉄地図のような簡単版がいいと思います。
信頼できる小さな地図に従って、
目の前にあるそれぞれの意見や情報を、
自分にとって有用かどうか判断して行くことになります。

精神医学関係の勉強するに当たって、
非常に基本的で平易な教科書を一冊用意すればいいと思います。
いろいろな意見があると思いますが、一冊あげるとすれば、
笠原先生が執筆している必修精神医学は出色のできばえで、頭に入りやすいと思います。

この本に書いてあることを基本知識・ものさしとして、
それぞれの論文や文章に当たればいいと思います。
これは特殊な意見ではないかとか、
このような言い方は著者独特のものだろうなどと見当がついてきます。
検索で上位に位置することが信頼性があるとも言えないのが現実です。

そのようにして、自分なりの小さくて確実な地図帳ができて初めて、
物事の真偽が判定できるようになります。

本屋さんで精神医学や心理学の関係の棚に行くと、
学者、ジャーナリスト、病気体験者、病者の親などいろいろな立場の人が
細かく書いて発表しているのを見て驚くでしょう。
こんなにも多いのです。

本屋さんで見てきてくらくらになって帰ったとして、
ネットの世界に入るとまたしてもその情報の膨大さに驚きます。

体験談は限りなくありますし、
分類や理論の紹介についても、
非常に専門的な装いで、信憑性を高めています。
誠実な人柄よりも、ネットの操作が上手で、きれいな画面を作れる人の方が説得力があることもあります。
間違いがそのままコピーされていたり、
古いままで放置されていたり、様々な難点があることがあります。
あきらかに古い教科書の引用ですませている場合もあります。

チャットや掲示板も花盛りで、それに対しての
専門家の態度は二つあります。
一つはそれを信じるのも自由で、その損を自分で引き受けるのも自己責任であるというもの。
もう一つは、ネットリテラシーを教育して、目の前にある情報がどのような背景を持ち、
どのような意図を持っているか、やや積極的に理解してもらおうというものです。

しかしながら、正確に価値を測定するには、内容がきちんと理解できていなければできないことで、
それはなかなか難しいことです。
偏っているとか、無価値であるという判断を下すことがそもそも充分な知識がないとできないはずなのです。

さて、その場合、とりあえず笠原先生の本に帰りましょう。
笠原先生の本に書いてあることは、一応学会レベルで承認事項になっていることです。
笠原先生が書いていないことは、各人が勝手に、信じるところを開陳しているだけと思っていいと思います。
だからといって嘘ではないと思いますが、重みを一段落として読みます。

また、きれいな体裁で、いかにも分かりやすそうなものがありますが、
そのそも精神病という対象自体が非常に複雑で、現在のところ、そのような単純化はできていませんから、
それもまた、試みの一つではあるが、それ以上ではないと知る必要があります。

アメリカではもうみんながこうしているなどと書かれている記事もありますが、
アメリカという国は広いので、記者が書いているのはせいぜいニューヨークなどの部分です。
あるいはアイダホとか。
そこで一時的に何がはやっていても、精神医学の本流には関係がありません。
無視はしませんが、ただそれだけのことと評価します。

そのように考えてみますと、笠原先生が執筆に活躍した時代から、現在に至るまで、
どのような根本的な進歩があったものかと考えると、
ほんのわずかであったといえるのかもしれません。

今後、現在蓄積されている所見が
一気に整合的に統一的に分かりやすく説明される日が来るかもしれません。
しかしそれまでは地道に、笠原先生の本を頼りにして、
確実な線を外さないでたちむかう、それが大切かと思います。

以下をアマゾンやBK1で調べたらいいと思います。全部新書で高くありません。

精神病 (岩波新書) 笠原 嘉 (新書 - 1998/10)
軽症うつ病―「ゆううつ」の精神病理 (講談社現代新書) 笠原 嘉 (新書 - 1996/2)
不安の病理 (岩波新書 黄版 157) 笠原 嘉 (新書 - 1981/5)
青年期―精神病理学から (1977年) (中公新書) 笠原 嘉 (新書 - 1977/3)
退却神経症―無気力・無関心・無快楽の克服 (講談社現代新書) 笠原 嘉 (新書 - 1988/5)
アパシー・シンドローム  岩波現代文庫  税込価格: ¥1,155 (本体 : ¥1,100)

教科書で勉強したいならこれがいいと思います。
必修 精神医学 (単行本) 南江堂; 改訂第2版版 (1991/05)  医学部学生向けの教科書。

専門的な論文集ですが
精神病と神経症  2巻セット 税込価格: ¥13,650 (本体 : ¥13,000)
古本屋さんで1万円以下なら私なら買います。

朝刊シンドローム―サラリーマンのうつ病操縦法 笠原 嘉 (- - 1985/1) 新品なし
これも古本屋さんで見かけたら私なら買います。

そのほかに専門家向けや翻訳もありますが、分かりやすいものとも言えません。

新書版の分かりやすさが一番貴重だと思います。



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