人格の成熟
成熟した人格とは、
要するに他人にあまり迷惑をかけないで
自分で我慢するところは我慢して処理できるということをいうらしい。
学問的には
高度な防衛機制 defense mechanismと
高度な現実検討 reality testing である。
個人的な印象では、要するに、
長期で全体的で最高度の、利己的利益は、
利他的行動につながるのだと知っているとこだと思う。
人のためにやっていれば、あるはい人に嫌われないようにしていれば、
最終的には自分が一番得をするのだと知っている事。
最高の利己主義と最高の利他主義が一致することを知っていること。
利己と利他は矛盾しないと知っていて、自然に行動できるなら、
成熟した人格である。
最近では人格の成熟未成熟以前に単に知能がたりないという人もいる。
それはそのレベルで人格を考えなければならないので別扱いである。
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そんな事をしたら結局、自分の損だろうと思う事をしてしまう。
嫌われたらのちのち損をするでしょう。
それが未熟ということだ。
自覚がある人もない人もいる。
自覚のない人は仕方がないとして、
自覚にある人は、自覚がある以上、
訂正できそうな気もするが、
なかなか訂正できないのである。
これはこれで強烈な病気で、
訂正できないところで一体何が起こっているのか、
解明すべき点がある。
知能が高い人は当然、分かるのだ。
文章を呼んでもらって、感想を書いてもらえば、
普通程度の判断ができることは確認できる。
自分の行動について、あとで振り返って、反省もできる。
世間がどんな風に判断しそうかについて、語ることもできて、内容も正確である。
しかしなおかつ、そのような、他人に嫌われ、自分に不利な行動をするのである。
不思議としかいいようがない。
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そんなわけで、「未熟な人格」は、いろいろなものを含んでいるので、
間単に一言でいうわけには行かないような事情がある。
しかしそれでも言えることは、
最近は未熟な人格の人がどんどん増えているということだ。
成熟のチャンスを逃しているのだとしか考えられない。