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現象学

現象学
人の語る言葉の奥にある事象そのものをつかむこと
それは同時に
引き算をすれば
その人の内面が分かることでもある

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語る言葉の指しているもの

人の語る言葉が何をさしているのか
難しい

うちのワンちゃんはおなかが空くと起き上がるんですよ

という場合
ワンちゃんについての現象を語っているのか
自分の内側の世界モデルを語っているのか
どういう比率なのか
とても怪しい

おやおや今日はごきけん斜めね

なんていう場合も
事象について語っているのか
自分の内面について「今日はクラウディだわ」と語っているのか
その比率を考えなければならない

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一次妄想(原発性妄想)と二次妄想(続発性妄想)

ハイデルベルグ派の妄想の分類。一次妄想(原発性妄想)と二次妄想(続発性妄想)に分ける。
一次妄想は、グルーレが動機なき関係づけ(Beziehungssetzung ohne Anlass)言ったように、根拠なく自分に関係づける。

ヤスパースは、一次妄想を、妄想着想(Wahneinfall)、妄想知覚(Wahnwahrnehmung)、
妄想気分(Wahnstimmung)の三つに分類した。
妄想着想は、突然、妄想的なことを着想する。
妄想気分は、周りがおかしな感じ。不気味な感じ。 世界破滅体験(Weltuntergangsgefuehl)もある。

それに対して、二次妄想は、理由があって出てくる妄想、続発性妄想である。
これを妄想様観念(wahnaehnliche Idee)とも言い、ヤスパースは妄想的観念
(wahnhafte Idee)と呼んだ。

二次妄想は、アルコール依存症者の嫉妬妄想がその例。



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ドーパミン仮説とサリエンス 

ドーパミン仮説とサリエンス -- 『「身体副作用」がわかる』 吉南病院 内科医 著から引用 (2006年1月) --

ドーパミン仮説とは

 コカインやアンフェタミンなどの麻薬は、幻覚・妄想を引き起こすことが知られています。コカインやアンフェタミンの薬理作用はドーパミンの放出を促すことですから、ドーパミンの過剰と統合失調症の精神症状は間違いなく関連しています。
 Seeman らの有名な研究結果 (1976) に、「臨床的に用いられる抗精神病薬の量と、そのときのドーパミン受容体遮断作用は相関する」というものがあります。
 Kapur らはPETを用いた研究で、抗精神病薬でドーパミン受容体を65%以上遮断すると治療効果として抗精神病作用があらわれ、78%以上遮断すると、錐体外路症状が出現することを示しました。ドーパミンを適度に遮断することで抗精神作用が得られるのですから、統合失調症の病態は、「ドーパミンの過剰放出」が推測されるのです。

発病前の変化

 統合失調症は、ある日突然、発病するのではなく、幻覚・妄想にいたるまでに、緩徐なプロセスがあるこが分かってきています。
 発病前の病態に関する研究によると、発病前の時期に多くの患者さんは、「環境の何かが変化しはじめた」と感じるといいます。以前は気がつかなかったことに気づいたり、以前は意味を感じなかったことに意味を見出すようになるなど、非常に軽度の認知障害 (些細な変化) が起こると考えられます。
 この変化が脳内のどのような生化学的変化に基づくのかはわかっていませんが、この状態にドーパミンの調節障害が加わると幻覚・妄想に発展すると考えられています。発病前に軽度の認知障害があり、そこにドーパミンの調節障害が加わり、ドーパミンの異常な放出が起こると統合失調症が発病するのです。

ドーパミンは何をするのか

 ドーパミンは新しい報酬 novel reward がもたらされると放出されます。宝くじに当たれば、非常に多くのドーパミンが放出されるでしょう。もちろん良いことばかりではなく、悪いことでも放出されます。そういう意味では、新しい変化 novel alteration が放出の引き金になります。急に見知らぬ犬があなたに向かって吠えたら、やはりあなたの脳内にはドーパミンが放出されます。
 放出されたドーパミンが何をするのかというと、新しい変化を理解しようと学習を可能にし、行動を起こすことを可能にします。あの売り場で買った宝くじが当たったのだから「宝くじはあそこで買うべきだ」と考え、実際再び宝くじを買うかもしれません。あの犬は鎖につながれてはいるが突然吠えるので「この道はなるべく避けよう」と思い、別の道を通るかもしれません。
 つまりドーパミンは新しい変化で放出され、学習 (想起) を可能にし、行動を可能にするのです。

際立って高い「山」をサリエンスといいます

 日常生活の中では、新しい変化は連なった山のようにあります。それらの山 (新しい変化) の中でも、高い山の峰のことを、「サリエンス ( salience : 突起)」といいます。ドーパミンをたくさん放出させる高い山のことを「動機的サリエンス」と呼びます。

妄想とは

 統合失調症を発病する直前の人のことを考えてみましょう。
 例えば、交番の前を通った時、以前は警察官の視線は気にならなかったのに、「最近、警察官は私を執拗に見ている」と感じるようになった場合 (新しい変化) 、この人にとって警察官は動機的サリエンスになっていますので、警察に関連するものを見るとドーパミンが異常に放出されます。
 すると今度は、放出されたドーパミンによって、「なぜ警察官は私を見るのか」と執拗に考えます。些細なことが思考の関連を作るわけです。「警察は私を監視している」「警察は私の心を操作しようとしている」と思うようになるのです。
 ドーパミンの異常な放出が、奇異な認知の連関を形成し、奇異な行動を起こすことになります。
 Kapur は、「妄想とは患者が異常なドーパミン放出に課す認知的図式である」と表現しています。

治療とは

 病院に連れて来られた患者は、抗精神病薬による治療を受けます。治療が成功して適度にドーパミンが抑えられると、幻覚・妄想は軽減します。
 このとき患者さんは「警察は私を監視しているけれど、それはあまり気にならない」とか「警察官が私を注視している時間が少なくなった」と表現します。抗精神病薬によりドーパミン受容体を適切に遮断すると、すでに発症している症状のサリエンスを目立たなくさせるのです。
 妄想をなくすことが抗精神病薬の役割ではありません。サリエンスを低くし目立たなくさせることが治療となります。
 サリエンスが低くなり、妄想があまり気にならなくなれば、心理教育の出番となります。認知行動療法やSSTが重要になってきます。

ドーパミンを抑えすぎると

 大量の抗精神病薬によりすべての山を平らにしてしまうと、日常の生活で、驚き、感動することができなくなります。ドーパミンを抑えすぎると、「妄想に関連する山 (サリエンス) 」だけでなく、感動し、学習する「正常の山」もなくなります。つまり認知機能、学習機能は低下します。
 ですから理想を言えば、非定型抗精神病薬でドーパミンを適度に押さえ (ドーパミン調節不全をコントロールする) 、あとは心理教育で、新たな学習をすることが大切であるといえます。

 



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うつ病のいろいろなタイプ

うつ病といってもいろいろなタイプがある

1.電池切れ→これは分かりやすい話。→要するに適応障害だ。→ストレスに対する反応として「抑うつ」を呈しているとすれば、電池切れという言い方も少し怪しいが。

2.Vitaleなもの。→死にたくなる。死の本能(タナトス)に傾く、根本的な傾向。

動物モデルとしては、1.ができるだけで、2.はできないのではないか。
目的的思考ができないから自殺ということがありえないだけなのかもしれない。

クジラは自殺するみたいなことがあるれど。

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被注察感の未整理のメモ

他人がわたしを見ている→わたしを見ているように感じる
1.世界モデルでは、他人はわたしを見るはずだ、必然的に見る、とすることがある。
2.外部世界の観察の結果として、他人はわたしを見ていると、結論することもある。
これは区別が必要。

しかし最終的には区別し難いものになる。

1.は世界モデルが壊れている。訂正が必要である。
2.は、他人はわたしを見る必要もなく、見ているはずもないのだが、それでもやはり見ている、外部観察によれば見ている、それはわたしに興味を持っているとしか考えられない、となる。この様相は強迫の病理に近くなる。

*****
人はいないのに眼差しだけがある場合があり、
純粋な被注察感である。

わたしは、それは一次的なものではなく、二次的なものだろうと推測している。

*****
シュナイダーに二節性の議論があった。

机の上に消しゴムがあるとする。それは彼女がわたしを好きだと確信する。消しゴムがそこにあることに、過剰な意味を付与する。これは、知覚は正常、意味づけが妄想的。シュナイダーは、これを妄想知覚の二節性(Zweigliedrigkeit)といった。統合失調症の一級症状のひとつ。

知覚そのものが異常なときには、統合失調症以外の病気を考えようということだったように思う。

*****
極端に言えば、消しゴムはなくて、彼女の好意または悪意だけが確信されてもいいのだと思う。

妄想着想とか。

見えないけれど、隣の部屋の人がわたしに悪意を向けているとか。

そういうものはおおむね悪意の確信が先にあるのであって、
偶然その対象にされてしまうことがあり、困りものだ。

*****
多分シュナイダー先生が正しいので、わたしが勘違いしているのだと思う。



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暗黙の世界モデル

世界モデルはどこまで自覚できるのか
あるいはどこまで暗黙なのかという問題がある

多くは暗黙で
だからこそ間違っていても自覚できず
認知療法が必要になる

多くは自覚ができれば自然に自分で治せる

自覚ができても治せないときは
誰にも治せない可能性もある
根気強くトライするが

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電話相談の安らぎ

「悩みの電話相談」によくある相談に、うつ病の患者さんからのものがあります。

 「姑(しゅうとめ)とうまくいかず、うつ病に。この先やっていく自信がありません」

 「職場になじめず、うつ病になって退職しました。良くなりましたが、まだ不安で新しい仕事を探す気持ちになれません」

 「気分の落ち込みが激しくて、急にイライラが強くなったり、死にたくなったりして、耐えることができません」

 「うつ病になって数年たちましたが、なかなか良くなりません。抗うつ薬を飲み続けるのは不安です」

 さまざまな内容です。電話相談では個人名は言わないことになっていて自由に話せます。相談時間は短いもので数分、長いもので数十分、同じような内容の相談が多くあります。なぜ、電話相談が多いのでしょうか。うつ病の原因を取り除き、早く治してほしいのでしょうか。その気持ちはあるでしょうが、まず、うつ病の苦しみや悩みを聞いてほしい、愚痴を聞いてほしい、自分の気持ちを分かってほしいという思いからではないでしょうか。

 患者さんには、症状や生活状況をよく知る主治医や家族などがいる場合が多いでしょうが、必ずしも自分のつらい気持ちを理解してもらっているとは限らないのではないでしょうか。そのような状況で、電話相談が「ひと時のこころの安らぎ」になっているようです。 

*****
そういうものだろう。



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病者のこころ 病者に学ぶ

病者の心が分かるということは
原理的に難しい

治療者はまず第一には自分の脳の内部にある世界モデルで
了解しようと努めるが
それが不可能であるのが本来の精神病というものだ
了解できるなら精神病というようなものではない

病者理解のためのモデルを作るところからはじめなければならない話だ
外部のものとして新しく観察するしかない

了解はできないが理解はできる
治療者の脳の中に病者のモデルが出来れば
かなり了解に近くなる

病者に学ぶのはその点だ

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うつ20~30代で増加

企業の6割「心の病で社員1カ月以上休職」
2008.5.3 20:01
 
このニュースのトピックス:メンタルヘルス
 鬱病(うつびょう)や統合失調症など、メンタルヘルス(心の健康)に問題を抱え、1カ月以上休職している社員がいる企業の割合が約6割に上ることが、民間調査機関の労務行政研究所(東京)の調査で分かった。休職者は働き盛りの20~30代で増加が目立ち、同研究所は、「中高年を中心に人員が削減される中、若い世代の仕事量が増え、責任も大きくなり、ストレスが強くなっているからでは」と分析している。

 調査は1~3月に全国の上場企業など約4100社を対象に実施し、250社から回答を得た。

 調査によると、1カ月以上の休職者がいるのは62・7%。企業規模が大きいほど高率になる傾向があり、従業員1000人以上の大企業では9割を超えた。

 最近3年間でメンタルヘルス不調の社員が「増えている」と回答した企業は、55・2%だった。世代別(複数回答)では、30代が51・9%と最多で、20代が41・2%で続いた。

 一方、休職者が職場に完全復帰した割合を「9割以上」とした企業は全体の20・4%。小規模の企業ほど復帰が厳しくなっており、300人未満の企業の約3割が「全員復帰できなかった」と答えた。

 メンタルヘルス対策の実施率は、大企業では100%近かったが、300人未満では57%にとどまった。同研究所は「職場復帰には早期発見、早期治療が大切。相談窓口の設置など支援態勢の充実が求められる」と話している。

*****
企業規模で比較することは、母集団としての職員が均質ではないから、要因分析は難しい。



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みんな僕の分身なんだよ

帯津氏が語る、
いのちはつながっている、
みんな僕の分身なんだよ、
いとおしい、
その感覚はわたしなりにだが
よく分かるような気がする。

脳に限って言っても、
こんなにたくさんの人とこんなにもつながっている。



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帯津良一 ホリスティックな養生

もともとはガンの外科治療をなさっていた先生だ

西洋医学から出発して
東洋医学、
心の医学までを包摂し、
統合し、
身体・こころ・命の場の医学に至る

somtic-psychotic-spiritualという次元を
integrateする

場の医学とは
場のエネルギーを患者さんの治療者も共有することで
お互いに癒し癒される関係の場である

いろいろな医学の単なる足し算ではなく
統合

たとえばその人をぱっと見ると
この人にはあの薬とこの治療法、などと
インスピレーションが湧くという

それはよく分かる

標準的治療フローチャートとは別の感覚
ひょっとしたら未熟なだけかもしれないが
ひょっとしたら人間の脳または心または魂の高度な部分を活動させているのかもしれない

清水博『生命を捉えなおす』に影響されたとのことでそれもよく分かる

自然の治癒力を引き出す方法は命の場を感じることにある

治しと癒し
養生

体の故障ではなく
命の癒し

場のエネルギーを高めれば
参加者がお互いに癒されるという治療観

*****
東洋医学から最新の物理学まで統合しようとすれば
こんな感じになるだろう

それもよく分かる

場のエネルギーという暫定的な言葉も、
ぴったりの言葉がないから比喩的に語っているだけで、
内容としては、清水博、プリゴジン、バイオ・ホロニクス、動的秩序の形成、熱力学的非平衡系の開放系とか、そんな話が背景にある。
それを難しく言わず、治療に役立てていると思う。

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ホリスティック医学 自然治癒力

ホリスティック医学について
わたしには理論はないし言葉もないが
経験はあり日々の実践はある

それでいいのじゃないかと思っている
無理に言葉にして誤解されていても仕方がない

ひとりひとりのいのちが生きているということは
どういうとこなんだろうということについて
比喩的な話ならできそうだ

自然治癒力を引き出すというのも
いろいろなレベルでの理解ができる言葉だ
それぞれの人が自分の領域で納得しているらしい

一番分かり易いのは
免疫系の話で
ホリスティックな手法で
副作用もなく免疫力を高め
自分に自然に備わった治癒力を最高度に引き出しましょうという説明
平明で何の疑問もない

自然治癒力という言葉はそのように解釈すれば
何ら超越を含まない
しかししばしば超越を含むことがある

ホリスティックとスビリッチャルが直接に結びつかないのは
日本の風土で
アメリカでは即スビリッチャルで、ニューエイジ的になる。

祈りの意味、死とは何か、そのあたりには超越が潜んでいる
超越しなければ意味がないとも言える

あの世をあからさまに仮定するものでもないが
マイルドに、死後の「生命」をいろいろな形態で考えることはできる

情報理論的に言えば、
世界の情報の総体があり、
その中で一つのいのち、一つの脳が、無秩序状態になったとしても、
それは情報の自己生成の場が移動したというだけだということになる。

これでは味気ないので、スビリッチャルに、
死んでもなお生きる何かがある、個人の死は超えられる、悲しみだけがふさわしいのではないと
言いたくなる。

実際、生きている人間の脳は、他の脳と複雑なネットワークを形成していて、
自身が物質的に無構造に帰ったとしても、
ネットワークの中で影響力を発揮し続ける。
歳月がたっても形を変えて生き続ける。
「生きている」ということをそのように定義することも可能で、
広く言えば場の世界ということだ。

重力は場の歪みであるとかそんな話。

生命は場の結節点であるとも言える。

いのちといえば動物と共通な感覚があるし、
こころといえばやはり動物とは少し違うという感覚もある。
犬にはかなり明白に心があるけれど、
人間のこころと同じかと言えばそうでもなくて、
やはりスピリットの話になるとキリスト教的になる。

個々は、共存する全体の大きないのちの一部であり、
死後も宇宙の中に生きつづけるというイメージも根強い

わたしは個人的にはこう考える
いのちも脳も猫も犬も石ころも
存在があったということはその瞬間に電磁波を四方に放出している
人間に物が見えるのはその電磁波のせいである
その電磁波は微弱で、距離の2乗に反比例するので、つまり時間の2乗に反比例して急激に減衰するが、
消え去るはずはない。
何かに遮蔽されたとして、そこに影響して痕跡を残す。
結局、影響の総量は時間を通じて保存される。
だから、将来何かの事情で時間が反転したとしたら、
そして世界がDVDの逆回しみたいになるとしたら、
すべては再現されるはずなのだ。

そう考えると、今現在の宇宙を一挙に把握する方法があれば、
過去のすべてを再現できる道理になる。
宇宙はこれ自体が巨大な全情報の保存庫なのである。

こころも当然保存されている。

言葉が足りなくて
そして当然ある箇所は比喩になっていて
分かりにくいと思うが
そもそも人間の自然言語はこんなことをいうためのものではないので
語ることができなくて当然だと思う

大切なのは語ることではなくて
生きることで実践することだと思う

できることをやる

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つながる生命 清水博 動的秩序の形成

帯津先生はとにかく自分がエネルギーレベルの高い人で
周りの人を巻き込みながら進む

清水博は『生命を捉えなおす』のなかで「情報の動的秩序のふるまい」によって「生命」を捉えようとしていた。いまこのような見方は生命論や生命情報論や自己組織化論の主流のひとつである。
生命を構成する物質・分子は入れ替わっているわけで、そのことを受け入れる限り、重要なのは構造で、いいかえれば情報だということになる。

情報学としての側面で生命論を言えば、現代ではいろいろなネタがある。

バイオ・ホロニクス、または生命関係学はそんな関係のことで、プリゴジンの散逸構造論の話は一時話題になり、最近では廃れ、リミットサイクルが生み出すリズム振動子の研究の現状とセルモーター(細胞エンジンのモデル)の研究などの動きもあったが、展開しきれずにいる。

動的秩序は自己生成する、そこには非平衡非線形の現象があらわれている。リズム振動が形態形成をしている。そこには「場の情報」がはたらいている。そして関係子がかかわっている。清水は『生命に情報を読む』『生命知としての場の論理』『生命と場所』などでどんどん展開するがだんだん誰もついていけなくなる。

元素や分子を説明しても、生体の特質に至らない。特に脳のこと、意識の活動、特に自意識については、研究の壁がある。

いったい物質の組み合わせでしかないはずの生命体が、いつのまにか「生きているもの」になり、脳が出現して、この宇宙でかなり異質・特異な存在になっている。これをどう解釈したらよいのか。高度に組織化された物質にはなにか特有な性質が「加わる」というのはよくある発想で、広く言えば創発説(emergency)のひとつである。見込み唯物論promising materialismと私は考えている。遺伝子-ゲノム-オルガネラ-細胞-器官-個体-生物社会-生態系と並べてみて、下位構造に還元できない不思議な何かが加わっているだろうといえばそうなのだけれど、わたしには、それは人間の知恵が足りないからそう見えるのだと思える。一種の創発性説ではないかと思えるが、これは私の理解が間違っているのだろう。

磁石が強い磁力を発現するのは、構成要素が変わったからではなくて構成要素間の関係が変化したからである。原子磁石の並び方が変わったからなのである。ということは相転移では無秩序なものから秩序のある状態が形成されているということになる。そうならば、生命はまさしくこのような「秩序をつくっている系」なのではないか。このようにいわれれば、確かにそうなのだが、並び方が変わっただけだともいえるだろう。

生命系は「相転移によって秩序をつくる非線形な熱力学的非平衡系」で、生命は熱力学的非平衡系の「開放系」である。「動的秩序の形成」が本質である。

生命現象は秩序をつくるので、エントロピーの法則の逆を行っていて、なぜなのか、不思議なことだ。そのことを不思議だと思うけれど、創発性とは言わなくても将来わかるんじゃないかと漠然と思っている。我々にはまだ測定法がないだけだと思っている。私のほうが激しい見込み唯物論者かもしれない。しかし物質の科学としては、いま無理をして説明しないで、待っていればよいのだと思う。

イリヤ・プリゴジンが「散逸構造」とよんだもの、「非平衡開放系の構造」、情報が「ゆらぎ」を含む動的秩序をつかって自己組織化をおこしていくときには、生命現象のそれぞれの段階の情報が「関係子」としてはたらいているのだという仮説。関係子はアーサー・ケストラーの「ホロン」(全体子)からヒントをえた新しい概念であるが、それはたんに“全体を知る部分的要素”というのではなくて、その場その場の情報を「場の情報」として感知するものだとみなした。

こんな具合にカオス学は脳研究者に愛用された。

「動物は脳にカオスが発生しているときにのみ新しい記憶を学習しているのではないか」という説。
平衡統計力学、非平衡非線形の統計現象、自己組織化のプロセス、カオス、計算不可能性、脳の謎、脳のモデル。

行き詰ったので、
「先行的理解」(Vorverstandnis)という方法を、ディルタイ、ハイデガー、ガダマーらにならって言い始める。
一連の文章があるとすると、第1行目を完全に理解してから次に進むのではなく、とりあえずの先行的理解をしておいて次に進んでいくというようなことである。科学は各ステップで検証して、一歩ずつ進むものと決まっているが、現場はそんなものではない。先行的理解があって始めて、前進力が生まれる。そうでないと、アメリカの成果の追試だけになってしまう。

「物語性」と「もっともらしさ」の導入については、科学におけるメタファーの力を許容する方向をもつ。このあたりは河合先生などの活躍した場所だ。動的脳観というものもあり、物語的なのである。

自由度の大きな力学系があり、部分的に自由度が活性化され、それが支配的になるが、またあるときは別の部分的な自由度が活性化され、それが支配的になる。このようなことが時空間のさまざまなスケールでおこりうる。そして、支配的になる自由度の再編成は、その系(システム)の過去の全遍歴に依存する。大きく言うとそんな景色で、生命とか脳とかは、そのような大局的な動きの中で生じたものと考える。
人間を力学系のひとつと確かにみなしているので話は通じているように思うが、なかなか難しい話である。

最近は脳科学は全体論的な志向よりも部分解析的な志向を強めているように感じる。

あんまり先走って先行的理解ばかりをしても実りがないと知ったようだ。
なによりも、書いても分かってくれる人が少ないし、勝手に誤解してしまう人のほうが多くて、誤解の仕方も激しくて、絶望するらしい。



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自我

自我というものは実体が分からない。
脳のこの部分を移植したら、
自我も移植できたというなら、
それが自我の実体だろう。
そんなわけには行きそうもない。
第一、右と左に似たようなものがあって、
かなり違うといわれているが、
時々は逆の人もいて、必ずというものでもないらしい。

自我というわけの分からないものを世界モデルと置き換えて、
それは刺激→世界モデル→反応
というもので、挟み込んで、定義していくことができる。

意識的でも無意識的でもいい。
ゆくゆくはコンピュータで置き換えようと狙っている。

だって所詮は情報の束なんだから、
現代の世界感で言えば。
ニューエイジ的に言えばいろいろあるれけれど。

*****
自我をモニターして、
こんなときは悲しい、こんなときはうれしいと学習し、
それがどうも他人は違うようだと分かったら、また学習しなおしで、
いつまでたっても大脳で他人と付き合うことになる。
自動的にうまくこなせる人は
世界モデルの出来がちょうど世界にあっていて、
その感じで世界に出力するとうまく行くのでますます自信をつける

でも、世界モデルがずれている人も有用なのだ。
まず世の中にはいろいろなずれた人がいるから、ひょっとしたら、
同じズレ方をしている人に出会うかもしれない。
営業で回っていて、そんな人に出会ったら、きっと売れるだろう。
世界が突然変わるかもしれない。
そのときは適応的な世界観になるかもしれない。
だから社会全体としては、多様な世界モデルをプールしておくことにメリットがある。

*****
判断の総体が世界モデルであり
認知機能であり
世界観である

*****
問題は、ある世界モデルを採用している人は、
自分の世界モデルを相対化して考えようとするときも、
その世界観で相対化するしかないという困った事情がある。

観察者が完全に無色透明にはなり得ない。

こんなことを言っているのも、
なに色かに染まった上で言っているのだ。



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ワーク・ライフ・バランス

ワーク・ライフ・バランスの具体論として、
交感神経優位12時間、
副交感神経優位12時間と設定してみる。

朝起きて9時から仕事、定時を過ぎて7時まで仕事をしたとする。
通勤時間が片道1時間、家にはよるの8時に帰り、あさの8時に出ることになる。
これで12時間ずつに区切ることができる。
最近は6時間くらいの睡眠の人が多いから、残りが6時間。
食事、風呂、ネット、テレビ、ウォーキングなど。

こうしてみると、残業2時間ならかなりまともな生活が送れる。
9時までに夕食を済ませて、12時には布団に入れる。

でも、こうしたとして、必ず競争が起こるから、少しずつ崩れていく。
それはもうどうしようもない。

ワーク・ライフ・バランスをよくしたら
仕事もどんどんうまく行くなんて
そんな仕事があったら
見せて欲しいものだ。

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自我の壁

自我の壁というモデルでもいい

精神病は、自我の壁が溶けてしまって、
内部の空想も現実も区別できなくなっている。

空想のない人は現実と内部がすっかり一緒であるはずだが、
そんな世界モデルを抱いている人はいない。

やはり自分は特殊であり、いいやつだと思っていたりする。
そうでないと自分がいやになる。

特殊な人だけ、自分を客観的に見て、うぬぼれもなく、卑下もなく、生きられる。

神経症は自我は壁は保たれている。

壁に穴があいている感じかなというのが、
境界型人格障害とたとえられる。

最近はもうこんなモデルは流行らない。
実体として何があるのか、
それがないとフロイトの言い換えだというわけだ。
たとえ話を変えただけ。

それだけでも偉いけどね。

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世界モデルの訂正ができないとき

世界モデルからのアウトプットと、
現実世界からのアウトプットを混同して、
世界モデルのアウトプットを真のアウトプットと信じるなら、
訂正はできないはずだ。

混同している人は多い。

なかなかうまくやったとか。
こんなに感謝されているとか。
反対にみんなに嫌われているとか。

もちろん現実が見えたなら謙虚にもなるのだが、
脳内の世界モデルで説明できるように
現実なんか無視する方法もたくさんあるのである。

防衛機制と呼ぶ。
現実を受け入れない
自分の感じ方を受け入れない
現実と自分を受け入れる
という順番に大人になっていく

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総目次2008-5-2

総目次2008-5-2を作成

http://www.geocities.jp/ssn837555/mokuji20080502.html

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