SSブログ

無口な人は何であろうと後回し

おとなしくてあまりしゃべらない人
後回しにされても順番を待っている人
気づいてくれるまでいい子で待つ人
自分が気配りするものだから他人のその程度は気配りをするのかと思って待っている人
回避性人格障害
引きこもり

要するに自分から要求しなければ後回しにされるという場合、
それでも誰か気づいて手を貸してくれるのが
対他配慮的世界である

本人が何も言わないのなら
放置しておけという文化もあるのだから
差は大きい

そもそも
このタイプの人たちは
大声で言わない
自分がここにいることさえ言わない
どうして他人が気にかけてくれるはずがあるだろうか

そんな人は徹底的に後回しにする
文化が押し寄せて来ている

東北のカーニバル

「精神科薬物療法を語ろう」精神科医からみた官能的評価

この本の中に書いてある神田橋先生の話はおもしろく
そのほかの先生の発言も参考になった。

ただ、奄美、石垣、鹿児島の精神病理の特殊性に触れて、いるのだが、
その中で東北はお相撲さんが出ていて執着気質なのかなんて言われている一節がある。

縄文人の住処であった東北では
対他配慮的な躁うつ病なんていうものは先進的な弥生的文化であって、
荒々しく余剰を抱えすぎている躁うつ病がその文化の中核である。
火焔式土器。

たとえば、棟方志功である。太宰治である。寺山修司。みんな過剰である。
東北人は我慢強いなんて、どこに当てはまるんだろう。
文化人会議をやって、議長に選ばれるような面子ではない。

東北のねぶた祭りは、
男だけが裸になって
ホモみたいにはしゃいでいる祭りではないのだ。
ねぶたは男女が思いっきりゆるい浴衣を着て、
しかもほぼ覆面である。
何をしたいのかはよく分かる。

踊るという場合、それは跳ねるということで、
急に跳ねたらアキレス腱を切るわけで、
アキレス腱が切れて急にあるいはやっと一夏は終わるのだ。

ねぶた祭りでは
躁も、躁うつも、てんかんも、みんな楽しく自分なりの参加の仕方で
貢献しているわけだ。

極限の祭り。
木村のイントラ・フェストゥムが
一瞬高炉の中で完成されるように現出するのである。

切れたアキレス腱はすぐにはくっつかない。
会社でも諦めているし、家庭でも諦めている。
ねぶたでアキレス腱も切らないようでは見所がない。

ねぶた祭りではアキレス腱は切れてもなお、
男女の激情は交換される。
そのためのカーニバルである。

解放区では前から好きだったあの人を愛してもいいのだ。
それも古くからある風習である。

そんなものを執着気質がつくるとも思えない。
社会規範を大切にする人たちのやることではない。

むしろ社会規範を無視して、
社会の奥底にある感情を素直に大幅に出そうとする人たちのしわざである。
カーニバルがあったら発散させてみたい、
リオのカーニバルに似た感情発作にまで高めてみたいではないか。

町全体のフリーセックス化の中では、
私の相手はあなたしかいないんだよ
というメッセーも感激ものである。

様々な人が様々な作戦でねぶたを楽しんでいる。
これがフェスティバルだ。

そしてクリスマスの掛け持ちが出来ないのと同じで、
ねぶたの夜には誰といるのか、
重い意味を持つ。

しかしまた、
ねぶたの夜だけはあいつに花を持たせろ、
あとは全部、お前のものだ
などと口説かれたりしていい気持ちになったりもする。


「精神科薬物療法を語ろう」精神科医からみた官能的評価-2

うつ遷延例で「失われた人生」の回復を

本来の資質を開花させる方向で

途中で頓座したものを探していまの生活に組み込む

ある程度わがままを通す

ドグマチール 半夏厚朴湯に近い
半夏瀉心湯も

半夏瀉心湯を逆流性食道炎に夕食後と寝る前に

抗うつ薬の効き目を全体の筋肉のコーディネーションで見る。
ベッドにあがる、ベッドから降りる、そんなときの体の動きの滑らかさ

診察室の入り口で向きを変える瞬間の健康な動き

声のトーン
モノトーンだったものが
感情表出のあるトーンに変わる

躁転はその4、5日後になるので、そのまえに抗うつ剤を引いておく

抗うつ剤が効いてくると歩幅が大きくなる
筋肉の反応性に先に出て
自覚的な気分の変化は遅れて出る

「ちょっと死んでみる方法」

「食べたり吐いたりするのは、すごくイライラするときにはいい治療法よ」って言ってくれたので治った

「自分がやっていたのは自発的な治療法なんだ」と思ったら、だんだん食べ吐きしなくてすむようになった

沖縄全体で摂食障害ゼロ
皆さん楽しいと踊る、しゃべる、歌う

BPⅡがくすりで境界例風になっている

うつ病には生産性がない

BPⅡを考えたら聞くこと二つ
1.中学時代
2.親戚に奇聞屋はいないか

BPを治療するうちに遷延化して波乱万丈になる

ディスチミアというのは、
なんだかご機嫌わるくなりゃせんかな、
とこちらが気を遣うような人。難しい人、気難しい人。


「精神科薬物療法を語ろう」精神科医からみた官能的評価

「精神科薬物療法を語ろう」精神科医からみた官能的評価
からの抜書き
*****

……続き……


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。